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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第二章 神殿庁
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揺れる心

「クラウスと歌を歌うのは凄く気持ちが良いの。」


 そう言って可憐な笑みを見せるサイトウさんは、天真爛漫そのものだった。聴いているこちらも夢心地になるほどの歌なのだ。あれだけの歌を歌えるのは、当の本人も気持ちが良いに違いない。そう思いながらクラウスに視線を向けると、彼は巫女姫に膝を折った。


「交代の時間ですので、御前失礼致します。」

「えっ、もうそんな時間?」


 あからさまに落胆するサイトウさんに少し気遣いを見せる様に、クラウスは言った。


「巫女姫様の御歌は聴く者を天上にものぼらせます。夜更けまで練習にお付き合い頂き申し訳ありませんでした。」


 サイトウさんにはまだ分からない難解な単語を使ったクラウスの褒め言葉だったが、文の流れから意を汲み取ったサイトウさんは、頬を桃色に上気させた。


「私も、クラウスと歌うと…えっと、幸せになれるよ。」

「ーーー失礼致します。」


 くるりと背を見せ、広間を立ち去って行くクラウスの耳は、真っ赤に染まっていた。そんなクラウスをサイトウさんは名残りおしそうに眺めている。ややあって私の視線に気づいたサイトウさんは、我に返ったのか激しく瞬きをしてから、綺麗に結い上げられた髪を飾る銀色の装飾物を気まずそうにいじった。


「クラウスも歌が上手ですね。意外でした。」

「えっ、意外だった………?そう?」


 少し困惑した様子でモジモジするサイトウさんは、再び頬を上気させていった。俯いてもなおその顔は薄紅に染まっており、私は見てはいけないものを見てしまった気分になった。

 サイトウさんはクラウスに特別な感情を抱いているみたいだ。

 何だってクラウスなんかを……。

 だが想像してみるに、それは無理もない流れだったのかもしれない。昼となく夜となくそばに居て護ってくれる、偉丈夫な騎士たち。彼らにとって巫女姫は特別な存在だし、右も左も分からない異世界で、頼りになる精悍な騎士たちは若い女性にとっても、特別な存在なんだろう。クラウスは私には無愛想だし失礼な男だが、サイトウさんに向けられる黒い瞳は心からの忠誠に満ちている。あんな目で毎日見つめられたら、異世界から来たばかりの戸惑ううら若い少女の心など、容易に奪われてしまう気がする。


『あのね、クラウスと初めて出会ったのも、歌っている時だったの。』


 秘密を打ち明けるみたいにサイトウさんは日本語で切り出した。サヤになら何でも話せちゃう、と少し恥ずかしそうに笑いながら。

 この世界にトリップして来たばかりの頃、彼女は日本に帰りたくて、毎日泣いていたのだという。日が暮れると郷愁はピークになり、夕方になると自室の小さなバルコニーに出て、日本の歌を口ずさみ悲しみを紛らわせていたらしい。

 そんなある日、彼女がバルコニーでいつもの様に日本語の歌をうたっていると、どこからともなく男性の歌声がして、なんと日本語の歌を共に歌い始めた。驚いて辺りを窺うと、バルコニーの下にいた聖騎士が彼女を見上げていた。それがクラウスだったのだ。彼は毎日サイトウさんが歌うのを聴いて日本語の歌を覚え、彼女が心寂しい時、一緒にうたってくれた。


『無口でぶっきらぼうだから誤解され易いけど、凄く優しいひとなの。』


 私自身は彼から優しさのカケラも示された経験が無い為、それには共感しかねたが、当時の彼女の境遇を思えば理解は出来る気がした。クラウスを優しい人だとは認められないけど。だって隷民を見下す人が優しいなんて、私には思えない。私は思い切って日本語で尋ねた。クラウスが好きなのか、と。

 サイトウさんは弱弱しく笑った。


『私、もう少ししてこの世界に慣れたら、皇帝の後宮にいかなくてはいけないんだって。』


 一旦言葉を切ってから彼女はつぶらな瞳を私に向けた。


『後宮だよ?あり得ないよね。日本じゃ考えられないでしょ………。』


 胸が苦しい、とでも言う様にサイトウさんは自分の胸を押さえた。そうして堪らなく長く細い溜め息を吐く。後に漏れたのは気弱な言葉だった。


『………彼はこの事、どう思っているのかな?』


 どくん、と私の胸まで痛んだ。

 サイトウさんは自分の状況をきちんと知っていた。それでいて、揺れる気持ちと不安を抱えていた。

 彼女がずっと気に病んでいたのは、もしかしたらクラウスとの事なのかもしれない、との印象を受けた。

 単に日本が恋しいとか、巫女姫としてのプレッシャー、などだけではなく。

 若い巫女姫は、自分の役割を真摯に受け止め、ハイラスレシア帝国に来て初めて心を開いた男性への淡い気持ちと、未知の後宮という場所への不安に悩まされていたのだ。


『ねえ、私が後宮に行く時は、サヤもついて来てくれるよね?』


 ギョッとして顔を上げると、伺う様な上目遣いに、ノックアウトされそうになる。


『私が行ったら足を引っ張るだけだと…』

『一人にしないで!私サヤと一緒だと凄く落ちつくの。ね?お願い!』


 私が行ったら迷惑になりそうな気もしないではない。護女官としてどころか、ハイラスレシア人にもなりきれていない。


『一人でそんな所に行かされたら、私耐えきれ無いよ。』

『ヒナさん………。』


 サイトウさんは私の両腕を縋る様に掴み、零れ落ちそうな大きな瞳を潤ませた。あまりの可憐さに、内容いかんにかかわらず盲目的に賛同してあげたくなるところを、ぐっと堪えた。安請け合いは禁物だ。ハイラスレシア人の半人前でしかない私が何か後宮で失敗をやらかしたら、サイトウさんの汚点になるのだ。今はそんな事態が容易に想像出来る。

 それに正直なところ、日本から来た一般人としては、後宮に対して漠とした恐怖があった。………いや、これはサイトウさんも同じだろう。だからこそ彼女は私にも一緒に来て欲しがっている。同じ価値観を持ち、同じ目線で物を語れる人間を。

 そう考えると、自分が冷たい人間にも思えた。そもそも私はサイトウさんの力になりたくて、神殿庁に来たのだ。今こそ、彼女から物凄く必要とされているではないか。そう、こんな私なんかでも、何かの時に役に立つ事があるかもしれない。むしろサイトウさんがいなくなった神殿庁に私が残る事に一体、何の意味があるんだろう。それにやはり、レイヤルクが言っていた事も気がかりだ。


『じゃあ、神殿庁の方々が良いと言ってくれたら、行きます。』


 神殿庁の次は後宮だなんて。………ここまできたら、行ける所まで行ってやろうじゃないの。

 たまには開き直るくらいでなきゃ、異世界トリップなんて、やってられない。






 サイトウさんが飲み終えた茶器を片付けに広間を出ると、私はクラウスとサイトウさんの事を考えながらガラガラとカートを手で押した。

 サイトウさんは断言こそしなかったが、クラウスに惹かれている。一見相思相愛だけれど、巫女姫の立場では到底それを公言出来ないだろう。現に二人が仲睦まじく会話をするのは、広間で周辺に近しい護女官しかいない時だった。

 ガンっ、という鈍い音と同時に茶器が揺れ、衝撃がカートから両手に伝わる。


「す、すみません!」


 ぼんやり歩いていたせいもあるが、曲がり角から人が飛び出してきた為に、カートをその人にぶつけてしまったのだ。焦りながら顔を上げると、私の焦りは頂点に達した。

 カートを衝突させた相手は、神官長だった。

 どうしてこの人が先導も付けずに私のカートの通り道に左折して来たのだ。神官長なのだから、その辺の廊下をノコノコ歩かないで欲しい。心臓に悪いではないか。先ほどまで顔の周りに巻いていた布は既に取られており、表情に乏しい涼やかな瞳が私を見下ろしていた。


「お時間がありましたら、聖木をご覧にいれたいのです。」


 神官長はカートには一言も触れず、そう言った。まさかそれを言うために私をここで待っていたのだろうか。よほど聖木を私に見せたいらしい。しかし私は目下、カートで茶器を運んでいる真っ最中だ。それを訴えるつもりでカートの持ち手をギュッと握りしめると、神官長は軽く膝を折り、丁寧にお辞儀をしてきた。


「こちらでお待ち申し上げております。」


 なんと言われようと、頑なまでに私を聖木見学ツアーに同行させたいらしい。この神官長はなかなか強情な性格をしている。良いだろう。私は神殿庁の従業員であり、彼はここの主だ。トップに誘われているのだから、サボりには当たらない筈だ。そう開き直り、猛ダッシュでカートを厨房まで押した。

 茶器とカートを戻して引き返してくると、廊下に寄り掛かり腕を組んだ神官長が私を待っていた。

 神官長は無言で歩き始めた。

 私は少し離れて隣を歩き、彼を見上げた。沈黙が気まずかったので、他愛ない話を振ってみる。


「神官長のお住まいは神殿庁から近いんですか?」


 私は神殿庁の中に部屋を貰い、住み込みで働いていたが、神官長は自宅から毎日通っていると聞いた事がある。


「馬車で二十分ほどに御座います。今度是非とも遊びにいらして下さい。」


 まさか自宅に招待を受けるとは思わなかった。オトナの社交辞令として受け取り、私もサラリと笑顔で答えた。


「お招きお待ちしております。」


 招かれる事は絶対ないだろうけど。私の心の中での突っ込みを知ってか知らないでか、神官長は軽く頷いて私と目を合わせた。なんだか視線を合わせて会話をすると、妙に緊張した。買い出しに付き合って貰った時はそうでもなかったのにーーー。

 そうか。

 顔を晒しているからだ。

 美形過ぎる顔を向けられると、あまりの麗しさにどうして良いのか分からず、混乱してしまう。出来ればいつも顔を隠していて欲しいほどだ。私は勝手にそう納得した。

 神殿庁の渡り廊下を幾つか通り、私たちは庭に出た。神殿庁には建物がたくさんあり、その集合体で構成されていたが、建物の間には大小様々な庭があった。私が神官長について出たのはその一つだ。

 その庭には芝がはられており、学校の校庭ほどの広さがあった。パッと見た限りは神殿庁に良くある普通の庭であったが、石を敷き詰めた歩道は真っ直ぐに庭を通り、それは一本の立派な木まで伸びていた。


「神殿庁の聖木です。」


 太い幹は地からうねる様に天を目指して延び、躍動感に溢れている。暗い黄緑色の葉を重たげにつけた枝が、夜の空の前に幾重にもかさなり少し不気味に見えた。幹は非常に太く、人が横に両腕を広げて手を繋いでも、何人も並ばなければ一周できないであろうと思われた。かなりの樹齢があるに違いない。

 一部が露出し、地を這う木の根元まで来ると神官長は土の上に落ちている落ち葉を拾い上げた。


「聖木の葉は護符として、神殿庁が一枚百ガルで販売しております。帯の折り目にしまい、肌身離さず携帯するのに丁度良いのです。」


 百ガルといえば、私が市場で買い物をした統計の結果によれば日本の通貨で換算すると一万円くらいだ。葉っぱが一枚一万円………。とんでもない値段だ。今木の下に落ちている葉を集めて売るだけで、数十万の利益が出るというわけだ。感心して木を凝視していると、神官長は鱗状にザラザラとした木の幹に手を触れ、もう片方の手を己の腰に当て、私を見た。


「いかがですか?」

「はあ。迫力のある木ですね。」


 私が素直な感想を言うと、神官長は物足りなさそうな表情を浮かべた。ーーー神殿庁の大事な木なのだ。もっと大袈裟に褒めるべきだろうか?


「この聖木は初代の巫女姫様が異世界から来られて雨に降られた折に、雨宿りをされた木だと言われています。」


 つまり、伝説の木なのだろう。改めて大木を見上げてみたが、特に何の感情も湧かなかった。神官長に視線を戻すと彼は私を観察する様にジッと見ていた。


「ヒナ様はこの聖木をご覧になり、見覚えがある気がする、と仰っていました。」

「そうなんですか。私には見覚えがありません。」

「………随分嬉しそうに仰る。」


 意識したわけでは無いが、自然と口元が綻んでしまった。流石、サイトウさんにはちゃんと過去の巫女姫としての記憶の一部が、残像の様に残っているらしい。だから再三言っている通り、私は太陽神の巫女姫などではないのだ。私は普通の人間だ。この木を見て思うのは、縄文杉ってこんな感じなのかな?という感想くらいだ。でももう、その縄文杉を見る機会が絶対にない。

 ハイラスレシア帝国の縄文杉、聖木から目を離して神官長と視線を合わせると、神官長は穏やかに微笑んだ。引き込まれる様に見惚れてしまった。二人でいる時しか、見せてくれない貴重な表情だ。その驚異的に美しい笑顔を目の前にして、妙に嬉しくなってしまう。………果たして私はこんなに美形好きだったのだろうか。

 こうして見られる神官長の裏の姿に、何だか急速な勢いで興味が湧いてしまう。私の中で『嫌い、又は苦手』だった神官長に対する気持ちが、違う方向に爆走し始めていた。

 神官長は外套の下から布きれを取り出すと、手にしていた葉をそれで包んだ。そうして私に一歩近付き、それを差し出した。


「差し上げます。」

「ありがとうございます。」


 おずおずと受け取り、布を撫でると人肌を思わせる程に滑らかな布だった。絹だろうか。布越しに葉を触っていると、ふとこの世界に来た時の事を思いだし、苦い笑みが込み上げた。


「レイヤルクさんはこの葉っぱ百枚分のお金で私を買ったんですよ。」


 全く、葉っぱ百枚で人が一人手にはいるなんて、おかしいではないか。そもそも私、安すぎないか。手元から顔を上げると神官長の表情を窺い知る事は出来なかった。暗い空を照らす白い月に雲がかかり、庭が闇に沈んだのだ。闇に仄かに輝いて見える金色の髪が縁取る神官長の顔は、確かに私に向けられており、その頭上高く聳える大木の枝葉は揺れ蠢く幾千の人の手にも見えた。

 その不気味さにぞくりと胸が震え、私は思わず後ろへ後ずさった。


「どうかなさいましたか?」

「ちょっと、木が怖いです。」

「はい?」


 私は木の枝を見上げながら答えた。


「手みたいに見えます。ユラユラ揺れている、手。」


 夜の大木の気味の悪さを目で訴えたが、神官長は聖木を見上げてはくれなかった。彼はただ私を見ていた。

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