新たな日常
クラウスを一喝してくれた護女官は護女官長という、護女官を束ねる立場にある女性で、いわば私の上司だった。
彼女は厳しくも要領良く、また時に根気良く護女官としての仕事を教えてくれた。こちらにくる前は、護女官は単にサイトウさんの身の回りの世話をお手伝いさんよろしくやっていれば良いのかと思っていた。しかし実際の護女官がやらねばならないのは近くに居るだけでなく、外に出かける用事も多かった。
基本的に巫女姫は他の神殿のお祈りなど、行事に参加する時以外は神殿庁の敷地から外出しなかったので、サイトウさんが要り用な細々とした物は、護女官が買い物に行かねばならないのだった。ただ、サイトウさんは言葉が通じる私になるべく四六時中ひっついていて欲しがり、私が自由に外出出来る機会はほぼ巡って来なかった。
サイトウさんの日常はごく単調で、朝起床後は食事を取る前に、神官長と神殿庁内部にある祈りの間で、高位の神官たちと朝の祈りをするのだった。
私たち護女官は後ろの方の席で、神官長が聖水の入った壺を振り回して何やら歌の様な呪文の様な『お祈り』とやらを唱えるのを、空腹を我慢してただ只管静かに聞いて居るのだった。私は自分のお腹が鳴るのをどうにか抑えようと、この時間ずっとお腹に力を入れなければならないのがとても嫌だった。
参加者たちは常に真剣な様子であったが、私はお祈りの終わりには祭壇が聖水で水浸しになるので、木製の祭壇がカビてしまうのではないか、という事ばかりが気になって仕方がなかった。
日中はサイトウさんが帝都内にある様々な本神殿に出かけたり、高位の神官から教義を受けるのに付き添った。
サイトウさんが何処かに移動する時、例えば神殿庁内部であっても、食堂から教義を受ける間に行くだけですら、それはいつも大ごとだった。巫女姫には必ず警備の為の聖騎士が付き添い、先達の護女官が床や地面などにゴミや石が落ちていやしないかをチェックしながら歩かねばならなかった。巫女姫が躓いて怪我でもしようものなら、太陽神に顔向けが出来ないのだと言う。お陰で大変バカバカしい事に、床に目を光らせ過ぎるあまり、前を歩く聖騎士に追突してしまう事もあった。
護女官は巫女姫の部屋の近くに寝泊まりする部屋を一室ずつ支給された。それは私がレイヤルクの家で使っていた部屋の三倍は広さがあり、家具も立派で高級感あるものが揃えられていて、護女官とやらの立場の高さが垣間見えた。私は外出の仕事を頼まれかった為に、いつもサイトウさんの直ぐ近くにいられたので、彼女は私に頻繁に日本語で話し掛けてきた。彼女はハイラスレシア語をまだあまり理解していなかった。しかしながら大変心苦しい事に、私は彼女とは努めてハイラスレシア語で会話をするようにした。
私が通訳をしてしまえば、彼女がハイラスレシア語を習得する機会を奪ってしまいかねないからだ。サイトウさんは不自由なくお喋り出来る相手が、ハイラスレシアに来て以来、初めて出来た為か朝な夕なと私に近くに居て貰いたがり、純粋無垢に私の存在を喜んでくれた。私は神殿庁での常識には不慣れで、一方ではサイトウさんよりこの国での生活については多くを知っていたので、お互いに学び合えるものが多かった。それでいて、見た目も価値観も似ている同じ日本人どうし、一緒にいて大変落ち着くところがあり、側にいるのはとても心地が良かった。時折私たちは日本の話をして、しんみりと涙を堪える事もあった。
親しみに満ちた黒い瞳をキラキラとさせて、サヤ、サヤ、と可愛らしい笑顔で懐いてくれる彼女を見ているうちに、妹とはもしやこんな感じの存在なのだろうか?と思う様になった。私には気の合わない兄しかいなかったけれど。
神殿庁へ来て一週間ほどがたち、日々の大まかな流れが分かった頃、私はある事に気がついた。
食事の時間になる度に、サイトウさんのテンションが下がるのである。
普通なら楽しみにするであろうこの時間が、なぜ彼女をそうさせるのだろうか。サイトウさんは少食で、あまり食べる行為に生き甲斐を感じないタイプなのだろうか?
サイトウさんの食事はいつもとても豪華で、毎食何皿もテーブルに並んだ。私はこの時ばかりは自分から日本語で彼女に話し掛けた。
『ヒナ様って食が細いですよね。』
『やだ、サヤさん、日本語で話す時くらいは敬語やめてよ〜。恥ずかしいよ。』
スープから顔を上げたサイトウさんは一旦笑った後、小さな声で言った。
『ほんとのコト言うとね、ここの食事、あまり口に合わないんだよね。サヤになら言えるんだけど………。』
それは盲点だった。
私は四ヶ月の間自炊していたので、食べたいものを食べていた。だがサイトウさんは出された物を食べ続けているのだ。
私もレイヤルクと何度かレストランでハイラスレシア料理を食べたけれど、違いと言えばやたら煮込み料理が多いのと、香辛料が結構きいているな、と感じた程度で美味しいと感じた。だが毎日食べ続ければ、流石に堪えてくるのかもしれない。けれどサイトウさんは私が見てきた限り、いつも食事を完食していた。そう指摘すると彼女は言った。
以前、昼に出された魚料理を残したら厨房から料理人が大挙してやって来て、頭を下げられたのだという。さらにどこが嫌いだったのかを根掘り葉掘り尋ねられ、後で魚料理担当の料理人が一人、解雇されたと知った。それ以来、影響が怖くて料理を残せず、それが苦痛にすらなっているらしい。
なんて良い子なんだろう!
思わず感動してしまった。皆から讃えられる巫女姫とは、まさにこうあるべきだ。
食事が嫌だ、とは神殿の人たちには言えないサイトウさんは、発言の内容を隠す為に敢えて笑顔を作りながら、デザートのケーキをとった。
『このお菓子なんて、歯が溶けそうな味なの。ちょっと食べてみて。』
サイトウさんが切り分けてくれたケーキを摘み、遠慮せず口に放り込んだ。
口に入れた途端、強烈な甘さが広がる。生地がしっとりとして柔らかいので、口の中であっという間に広がり、甘さに拍車がかかる。
例えるなら、甘い果実を詰めた甘いスポンジケーキを甘いシロップに漬け込んだ様なお菓子だった。見た目は大変上品で美しかったが、甘さの三重奏という不快な仕上がりになっていた。控え目な甘さを好む日本人には、殺人的に甘い。粘つく糖度に、喉が嚥下を拒絶し引きつる。
無言で咀嚼していると、砂糖はハイラスレシアでは高いからこのケーキは高級品らしいよ、とサイトウさんが教えてくれた。
「メニューの刷新が必要です。」
私は激甘ケーキを食べおえると、その足で護女官長の下へ行き、訴えた。護女官長は最高級の料理を提供している、と当惑した。
「元居た国の料理と味付けがかなり違うので、巫女姫様のお腹には少し刺激が強いのだと思います。」
具体的にどう違うのかを説明し、それを実際のメニューに反映して貰うのはなかなか難しかった。日本の料理が想像できずラチがあかないと感じたのか、困り顔の護女官長は私を厨房に連れて行った。
厨房には驚嘆するほど多種多様の香辛料が入った瓶が並べられており、私はそれを一つ一つ味見をし、これは強過ぎる、これは良い、と料理長にその刺激度を伝えていった。混ぜると絶妙な風味が出るのかもしれないが、これを連日されると、日本人のマイルドな胃には、かなりキツイ。現にあまりの多彩さに、しまいには瓶の蓋をあけただけで腹痛を催すようになった。
「それしか入れないのですか?調味料がないではありませんか。それでは味がしないでしょう?」
料理長の要望に応じて、クセの少ない野菜を煮込んで、私がごく一般的な野菜スープを披露して見せると、二人は呆れた。巫女姫の国の郷土料理を教えろと言われても、残念ながら味噌の作り方が分からないので、味噌汁は紹介出来ないし、この国の人は海草を食べる習慣がなく、昆布だしは再現出来ない。
野菜スープは出汁が出ていて、塩などで味を加えなくてもこのままで十分味わい深いのだが、二人は私の調理に首を傾げた。
「どうですか?ちゃんと味がしますでしょう?」
小皿に取り分けた力作を、胸を張って二人に渡す。
「確かに味は出ているな。」
「そうかしら?私には全然物足りないわ。」
料理長と護女官長の間で意見が別れた。ちなみにコンソメスープに似たものもこの国にはあったが、この国の人はそこへやたらに香辛料を加えるのが宜しく無い。私としては、野菜を煮込んだだけのスープを是非そのまま、提供して欲しいのだ。勿論、毎日日本風にアレンジした調理をしてくれとは頼めない。それでは料理長の面子とプライドを損ねてしまいかねない。ここで生きていくには、それにも慣れないといけないだろう。
そこで隔日程度で構わないから、夕食だけでも香辛料を抜き、甘さを控えたデザートにして欲しい、とお願いすると料理長は悩ましげな表情を浮かべながらも、承知してくれた。
彼が言うには、巫女姫に食事の感想を聞いても、物凄い笑顔で、ひたすら美味しい、と繰り返すだけで、彼女の好みがいまだに分からず彼自身もそれを気にしていたらしい。
サイトウさんの為に大層微力ながらも、一仕事出来た達成感に満たされながら厨房を出ると、廊下では聖騎士のクラウスが私を待ち伏せていた。
「厨房で何をしていた?」
「いえ、ちょっと。」
別に素直に教えてやっても良かったが、詰問してくる様なクラウスの態度が気に食わなかった。というより、元来この聖騎士が気に食わない。案の定クラウスも私の反抗的な態度が気に入らなかったのか、彼は私の進路を妨げて更に聞いてきた。
「食事の時は巫女姫様と二人で何を話していたんだ?」
うるさいなぁ、もう。
多分敬愛する美少女と私が話す言語が自分には分からないからって、不機嫌になっているのだろう。嫉妬深い男だ。だいたいこの態度の差はなんだ。美人にだけ態度が露骨に変わる男はたいていクラスに一人はいるものだ。癪に障るので私は真面目に答えなかった。
「巫女姫様のケーキを強請ったんですよ。」
「おい、待て!」
さっさとクラウスを追い払って戻ろうと歩き始めたが、彼はそうさせまいと私の二の腕を強く捕らえた。いきなり強く掴まれたので、身体がグラつき転びそうになる。クラウスは人目を気にしてか、そのまま私を廊下の隅に引っ張って行った。




