巫女姫ヒナ=サイトウ様
「神殿庁だ。降りろ。」
クラウスは私を引っ張り出す様にして馬車から降ろした。神官長と私が同乗している時間を一秒でも減らしたかったのだろう。相変わらず人を不快にするのが上手な男だ。
神官長とアーシードが馬車から滑り降りると、建物の中からぞろぞろと人が出てきて、膝を折った。皆足首まである長く白い服を着て、色の違うショールを肩から垂らして居た。さすがは神殿庁である。ここにいるのは全員神官なのだ。勢ぞろいした制服組たちを前に、思わず見惚れてしまった。皆片膝を地面につき、右手拳を胸に当てている。
神官長が面倒そうに左手をヒラリと振ると、彼等は直ぐに立ち上がり、礼を取るのをやめた。
神官長は私を訝しげに眺める彼等に向かって言った。
「既に伝えた通りだ。ヒナ様のあたらしい護女官だ。」
全員の目が私に注がれた。
神官たちはそれぞれ丁寧に会釈を返してくれた。
私の周りには、白色の長い衣装を身に纏った数名の女性たちが群がってきた。皆、方肩から下げるショールーーーアバをつけていない。説明を求めてアーシードを見ると、彼はすかさず言った。
「神殿庁にいるのは神官だけではありません。彼女たちは事務員です。分からない事があれば、当面彼女たちに聞いて下さい。」
彼女たちはめいめい簡単に名前を名乗ると、私を建物の中へと連れて行った。大理石みたいな床の太い廊下を歩き、小さな部屋に案内されると、まず着替えるよう言われた。
「こちらが護女官の衣装です。」
手渡されたのは神官服を薄いピンクベージュにしたような衣装だった。なかなか可愛らしい色合いだ。アバはついていない。
勝手が分からないので手伝って貰いながらどうにか着替えると、終わった頃に丁度一人の事務員が私の目の前に茶の入ったカップを持ってきてくれた。
「ありがとうございます。」
礼を言うと彼女たちは遠慮がちに尋ねてきた。
「あの、ご出身が巫女姫様と同じ国というのは本当ですか?」
私があっさり肯定すると、彼女たちはパッと表情を輝かせた。
「なんて幸運な偶然なのでしょう!第八代目にご降臨された巫女姫様と同じ所にいらしたなんて。」
「はあ。」
私の半端な返事と間の抜けた表情を読んで、一番若い女性がわざわざ拳を作って力強く頷いた。
「とても幸運だわ!」
お茶で喉を潤していると、ノックも無しに扉が開き、クラウスとアーシードが入室してきた。アーシードは私と目が合うと、私の着ている護女官服に視線を移してから、優しげな目を踊らせて人懐こく笑い、お似合いですよ、と言ってくれた。お世辞かもしれないけれど、ちょっぴり嬉しい。
そんなアーシードの隣に立つクラウスは勿論ノーコメントで、威圧感だけは例に漏れず健在だった。
「早速で申し訳ないんですけど、会って頂きたい方がいますので、私たちについて来て貰えませんか?」
アーシードがそう言う最中、チラリとクラウスの顔を窺うと、超絶不機嫌そうな顔を浮かべながらも彼は補足した。
「神官長のご命令だ。」
そう言われて気が付くと、私が脱いだ服が無い。
いつの間にか部屋にいた事務員の人数が減っている。私の服は彼女たちに持っていかれてしまったのだろうか。
クラウスはすたすたと後ろを振り返りもせずに歩き出した。おとなしく二人についていきながら、私は思わず天井を見上げた。白い天井は吸い込まれそうなほど高く、梯子を使っても到底手が届きそうにはないのに、細かな装飾が彫られていた。何やら花や葉がついた蔦が絡まった様な模様だ。石の床は歩くと広い建物の中で良く響き、クネクネと長い廊下を進むと奥の方からはたくさんの人々のお祈りの様なゆったりとした歌の様な声が聞こえる。静謐な空間にどこからともなく薄っすらと、だが厳かに響く歌声が美しい。
渡り廊下を幾つか通り別の棟に移動すると、建物の中だというのに正面に大きな噴水があった。その奥には赤いカーテンが巻き付いた白い柱が二つたち、奥に部屋があった。部屋の前にも聖騎士らしき男性が起立しており、私たちをみとめると、脇へどき道を開けてくれた。
部屋の中は奥が一段高くしつらえており、段上一面に大きな赤いクッションが敷かれ、その上に靴を脱いだ一人の女性が座り、こちらを見ていた。
クラウスとアーシードは段の手前まで進むと片膝をついた。クラウスの長いマントとアーシードの長い裾が滑る様に石の床に広がり、私は綺麗だな、とその様子を眺めた。
「連れて参りました。」
片膝をついたままの姿勢でクラウスが顔を上げて、女性に話し掛けた。随分と柔らかで優しい口調に面食らった。
そんな話し方も出来るのか。
段上の女性ーーー少女と言って良いだろうーーーに視線を戻した。透明感溢れるつぶらな黒い瞳に、やや赤味の目立つすっきりとした唇。黒い真っ直ぐな髪はハーフアップにされていて、ニキビや黒子一つない肌は実に滑らかそうで、まさに美少女だった。
ーーーそして、まさに日本人であった。
彼女は恐る恐る口を開いた。
『こんにちは。あの、本当に日本人?』
彼女は正真正銘の日本語で私に語りかけていた。私が日本語でそうです、と答えると彼女の黒い瞳は驚きに見開かれ、はち切れんばかりの笑顔を私に向けてくれた。
「嬉しい!本当にこの世界に日本人がいるんだ!ねえ、貴方、もっと近くに来て。」
「なりません。不審な点が多う御座いますので不用意にお側に寄らせませんよう。」
クラウスはゆっくりと丁寧に注意をしたが、彼女は聞き取れなかったのか、つぶらな黒い瞳を瞬かせながら、まだあどけなさの残る仕草で小首を傾げてクラウスに聞き返していた。その仕草が又、堪らなく可愛らしい。
「危ない者かもしれませんので、お気をつけ下さい。」
「大丈夫よ。私と同じ、ニホンジンよ。こんな事があるなんて!」
サイトウさんの親しげで心から嬉しそうな様子に、私も嬉しくなり一歩彼女の方へ近づこうとすると、クラウスが素早く身体を反転させて前に立ちはだかった。
「気安くお側に寄るな。神官長が異界から召喚なさった巫女姫様だぞ。」
知ってるっつーの。
私がクラウスに反論する前に、サイトウさんのそばに居た中年の女性がやや苛立った声を上げた。
「護女官に対する態度としては褒められたものではありませんね。それに近くに寄らずに護女官としての職務が全うできますか?」
一喝されてクラウスはようやく私とサイトウさんの間から身を引いた。その女性も私と同じピンクベージュの衣装をきていたので、おそらく巫女姫の護女官の一人なのだろう。
茶金色の髪を後ろで一つにまとめ、凛とした茶色の瞳にスラリとした長身が、とても彼女を理知的に見せている。
サイトウさんはズリズリと膝を滑らせ、座っていた位置から私の立つ方へ近づいて来た。彼女の着ている水色の服の柔らかそうな布地から、仄かに甘い香りが立ち昇る。張りのある頬を薄桃色に上気させ、彼女は抑えきれない興奮に躍る瞳を私に真っ直ぐ向けていた。
『………私、サイトウ=ヒナです。知っているかもしれないけど。あのね、私、元居た世界で突然霧に囲まれて、霧が晴れたらルディガー……、神官長が私の目の前にいたの。』
ルディガー。
それがあの神官長の名前なのだろうか。なんだか刺さったら痛そうな名前だ。
とりあえず私も自己紹介をしなければ。サイトウさんに合わせて、日本語で答えた。
『私はミヤザワ=サヤです。四ヶ月前にベランダで酔っ払ってたらこの世界に落ちました。』
あはは、と自嘲気味に私が笑うと、サイトウさんは目を瞬かせた。
『そうだったの……。そんなふうに……。それにしても私以外に本当に日本人がハイラスレシアにもいるなんて!似た人たちがこの国の東部地域にもいるとは聞いていたけど見た事が無くて。私、余りに自分だけ浮いた存在過ぎて、来たばかりの頃は泣き暮らしてたの。だって周りはガイジンだらけなんだもの。凄く嬉しい!』
そうか。移民が巫女姫に会う機会は無いし、神殿庁の周辺にいるとしてもそれほど多くは無いのだろう。
『ねえ、サヤはいくつなの。私は16なの。私たち、友達になれるかな!』
友達、という言葉に苦笑してしまいそうになる。横に控えるクラウスの顔面に、たくさんのクエスチョンマークが飛び交っているのが、見える気がする。もし彼に私たちが話している日本語が分かったら、私みたいな怪しい女が巫女姫様の友達になるなんてとんでもない、とひと暴れするに違いない。
あまり長々と日本語で話して、周囲の人に怪しまれても面倒だし、言葉を覚える必要があるサイトウさんの為にならないので、敢えてハイラスレシア語で答える事にした。
「私は24歳なんです。」
えっ、若く見える!!と純粋に驚き、笑顔で同意を求める巫女姫を前に、クラウスは、困った様にあやふやに微笑みを返した。彼がサイトウさんの前で見せる柔らかな物腰と優しい表情は、私に対するものとは全く別人だった。
アーシードが立ち上がり、私の肩にそっと手を置いた。
「神官長に報告をしてきます。」
アーシードが退出すると、サイトウさんはこの世界に来てからいかに寂しかったかを話した。私はその話を、幾らかの抑え難い郷愁に駆られながら聞いた。サイトウさんはこちらの世界に来た時、目の前には神官長がいて、百人近い神官に囲まれていたのだという。彼女は余程私に親近感を覚えたのか、当時の事を語り出すと止まらなかった。
「ほんとびっくりしたんだよ!だって、たくさんの人たちが膝をついて私を神様か何かみたいに、讃えるんだもの。」
中には感激の涙を流す神官もいたのだという。見ず知らずの男に突然殴られて売られた私とは、何という落差だろう。その後サイトウさんは、ハイラスレシア帝国内における神殿の最高機関であるこの神殿庁で、こちらの宗教やしきたりについて学びながら過ごしているらしい。毎日のお祈りに参加したり、巫女姫として他の神殿を訪問したり。
私はレイヤルクの名は出さず、穏便な表現で自分が置かれてきた状況を説明した。つまり、術屋の主の世話になりながら生きてきた、と。正確に言えば術屋で主婦をしてきた、という言い方が相応しい気がしたけど。ひとしきり語り合うと、サイトウさんはやや俯いて不意に沈んだ表情を浮かべた。彼女はあの日、自宅の居間で母親と些細なことで喧嘩をし、口をきかないまま自室に行ったのだった。その後召喚され、くだらない喧嘩が母親との最後の会話になってしまったのだという。それを深く悔い、彼女は目に薄っすらと涙を浮かべていた。私も今頃心配しているであろう母親を思い出し、貰い泣きをしそうになる。
「巫女姫様……!」
急に泣き始めた巫女姫に驚いたのか、クラウスが気遣わし気に尋ねた。彼は笑って誤魔化し、首をただ横に振るだけのサイトウさんを心配したのか、鋭利な目つきで私を睨んだ。
同じ女性に対する態度として、どうなんだ。余程巫女姫が大事なのだろうか。もしくは単にサイトウさんが美少女だからか。
「クラウス。何でも無いの。ただ、サヤと話しているととても懐かしくなって。」
胸を押さえながら首を傾けるサイトウさんの長く艶やかな黒髪が、肩から前へ流れた。少したどたどしい話し方が相乗効果となり、実に愛くるしい。無性に守ってやらなければ、という使命感に駆られるから不思議だ。そう思いながらクラウスの表情を窺い、私は直感した。クラウスが私を睨む視線には、明らかに嫉妬が含まれている。もしや彼は、巫女姫に対する崇拝の念だけではなく………サイトウさん自身に惹かれているのではないだろうか……?




