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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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そして彼は、いなくなった。

 アーシードが話し終わると、神官長がレイヤルクの方へ一歩前進した。


「小さな術屋の主ふぜいが、何故こんな事をした?何故そんな力を持つ?」

「自分たちを全能だと信じ、無知な者を言いくるめ、己の野心の為に利用するお前たち神殿が、私は大嫌いなのさ。偽巫女姫を意のまま祭壇に祭り上げるが良い。地上の最高権力者に捧げるが良い。本物はもうそれを拒否する事を学んでいる。」

「何故ヒナ様を偽だなどと言う?」

「分かっているだろう?召喚した本人が一番ね。サヤの魂はヒナに比べるべくもないほど、強く反応していたんじゃないのかい?サヤに照準を合わせる過程でヒナの反応も拾ってしまったんじゃないのかね。」


 レイヤルクは口の端を軽く上げて控え目な声で、だがはっきりと言った。ヒナは言わば、サヤのオマケだったのだよ、と。

 神官長の切れ長の瞳が眇められ、そのすぐ後に彼の薄い唇が微かに動き、何かを呟いた。直後、爆発音が私の両耳を劈き、びっくりして目を反射的に閉じた一瞬の後には、レイヤルクの横にあったカウンターが吹っ飛んでなくなっていた。カウンターがあった筈の場所には木屑が散乱し、埃とチリが混じった物がゆらゆらと辺りを漂う。

 神官長は破壊魔と化していた。


「前神官長も召喚神技を行おうとするたび、妨害を受けたと聞く。雑魚が何人か捕縛された筈だが……大本命はお前だったか?」


 おそらくそうだ。

 レイヤルク自身が、以前から妨害をしていたと言っていたのだから。


「前神官長が最後に召喚を試みた時、妨害による神技の跳ね返りから彼を庇った数名の神官が命を落とした。この時も、お前か?」


 レイヤルクは答えなかった。ただ、そうする事で肯定しているみたいにも見えた。


「希代の力を持つと言う噂は伊達じゃなかったみたいだねぇ。そんな神官長さえ現れなければ、今頃ヒナもこのサヤも、平穏に暮らしていた筈なのに。私でさえも。ーーー礼を言うよ、神官長殿。」


 神官長は術屋内部にサッと目を走らせた。次いで発せられたのは低く抑えられた声ではあったが、端々に怒りを感じた。


「若造が構えるには上等すぎる店舗ではないか。どこから金を得た?ハジュス国か?コールハン諸国連合か?」

「自分より年若い者に若造呼ばわりされようとはね。ご想像にお任せするよ。………それより、ヒナ=サイトウを担ぎ続ける算段なら、私のサヤをどうするつもりだい?」


 私の手首を掴む神官長の手に一層の力がこめられ、今や手首から先の血流を止めんばかりに食いこんでいた。


「彼女は神殿庁にて厚遇する。巫女姫の魂を持つ彼女をこんな所に置いておく訳にはいかない。それにヒナ様は強い郷愁と疎外感に落ち込まれる事が少なくない。二人が力を合わせよとの太陽神のお導きだろう」

「それはそれは。正当な巫女姫に、補欠の面倒を見させるのかい。」


 レイヤルクが鼻で笑った。

 やはりサイトウさんはホームシックにかかっているらしい。同じ日本人として、胸が痛む。意を決して神官長を見上げると私に真っ直ぐ向けられる双眸とぶつかった。それは私の内側まで透かす強さで見つめて来ており、本能的に逃げ出したい衝動に駆られる。


「あの、噂に聞いたのですが、サイトウさん……巫女姫様は体調を崩されているのですか?」


 するとアーシードが困った様に眦を下げて答えてくれた。


「勿論こちらへいらして混乱されていましたが、言葉を覚えよう、馴染もうとなさっています。しかしやはり同じくらい落ち込まれる事もおありです。」


 そう言えば神殿庁の掲示板では、東部地域出身の人間の求人をしていた。あれはもしや、アジア系に見える人間を雇い、サイトウさんの孤独感を少しでも和らげる目的だったのだろうか?日本の親元で暖かく暮らしていた高校生が突然こんな世界に放り込まれたら、確かに疎外感は半端ないだろう。

 アーシードにそう尋ねると、彼はそうだと即答した。彼はゆっくりとした調子で私に聞いた。


「ヒナ様に会って力をお貸し下さいませんか?」

「ええ、会いたい……会いたいです。私にとっても、唯一の同郷の人ですから。でもレイヤルクさんは…」

「であるならば、この男に最早用など無い。捕らえられぬなら、抹殺するまでだ。」


 神官長の右手が動くのを私は見逃さなかった。考えるより速く私はその右手に掴みかかり、レイヤルクの方を振り返った。


「お願い、レイヤルクさん、逃げて!!」


 レイヤルクが私たちに背を向け、奥にある部屋に向かうのが見える。アーシードが私の肩を押さえ、腕を神官長の右手から離させた。更に神官長が何事かを呟き、私を払いのけようとする。ーーーこの右手を自由にさせてはならない!!今度こそレイヤルクを害するに違いない……。

 そう思うと自然と身体が動いた。まだ自由が残っていた頭を動かし、レイヤルクに向けて上げかけられていた神官長の右手に無我夢中で顔を突っ込み、私はその甲にがぶりと噛み付いた。

 レイヤルクが抹殺されてしまうーーーそんな危機感に突き動かされ、私は白い手に一切の遠慮なく、思い切り歯を立てた。アーシードがひゅっと息を飲み、私を神官長から離そうと両肩を引いたが、反動で私は更に顎に力を入れた。同時に口の中の手が引かれ、私の歯はガリっと彼の皮膚を裂いた。私の歯までがモゲそうな危険を感じて、漸く口を開いて神官長の右手を解放した。

 神官長は僅かな間痛そうに顔を顰めたが、直ぐにレイヤルクの逃げた奥の部屋へ向かった。その後を私も追う。


「なっ、……どこへ!?」


 アーシードが掠れた声を漏らした。

 棚が林立する薄暗く狭い倉庫はもぬけの殻で、誰もいなかったのだ。

 勿論そこには勝手口も階段もない。どこへ消えてしまったというのか。無事にどうにか逃げられたのだろうか?

 私とアーシードが呆気にとられて棚の裏を覗いたり、無駄に視線を彷徨わせる中、神官長は独りごちた。


「転移したか。」

「まさか。あの者は転移まで出来ると?そんな馬鹿な。」

「今は泳がせておけ。お前は引き続きあの男の身元を調べよ。」


 そう言うと神官長は棚と棚の間にいる私の方へ、歩を進めて来た。マズイ。噛み付いた上にレイヤルクを逃亡させたのだから、タダでは済まないだろう。レイヤルクが逃げた今、今度は我が身の危機だ。私は転移などできようもないのに。あわあわと焦っているうちに、神官長はあっという間に私の正面に来て、なんとそのまま腰を折って床に膝をついた。一瞬、コンタクトレンズでも落としたのかと思った。

 ………この人、なにをしているんだろう。

 目の前で低頭し、その姿勢を保って微動だにしない神官長の金色に輝く後頭部を私は目を点にして見つめていた。ーーー馬車を下りる時には被っていた帽子は、先ほどの騒ぎで何処かに落としたらしい。

 説明を求めてもう一人の神官である、アーシードを探すと、なんと彼も神官長から少し離れた場所で私に対して跪いていた。

 大の大人に頭を下げられるというのは、非常に心地が悪い。気まず過ぎて全身がソワソワしてしまう。


「あの、お二人とも。何なさってるんですか?顔を上げて下さい。」

「サヤ様。私の力不足の為に、正当な巫女姫にあらせられる貴女様を召喚出来なかった事、心よりお詫び申し上げます。」

「へっ……?あ、ああ、そうですね。じゃなくて。私正当じゃありませんから。そこんとこ、皆さん何か勘違いされてますよ。」


 あははっ、と笑ってみたが、いっこうに二人は顔を上げず、空気も軽くならない。なんだよ。じゃあ、「私の地球での人生返しなさいよこの誘拐犯!」と罵倒すれば良いのか。四ヶ月前ならそうしていただろう。

 だけど、今さら、しかもこうして土下座の勢いで来られてしまうと、怒る気力が湧かない。


「神官長さん、私は太陽神の巫女姫様では絶対にあり得ませんが、もし貴方が本当に私をこちらに連れてこようとした方でしたなら、私はただこんな事態を招いた関係者各位に、責任持って私のハイラスレシアでの生活を助けて貰えたら嬉しいなあ、と…」

「四月もの間この様な汚き所にてお過ごしだったとは、本当に申し訳ありません。直ぐに神殿庁にお連れします。」


 汚い………!?ここ、四ヶ月間私が掃除していたんですけど!毎日床は掃いたし、棚も拭いてたっつーの。失礼な奴だな。

 密かに憤慨していると神官長は頭を下げて床を見つめたまま声を落として言った。


「あの男ーーー、レイヤルク=シャジャーンはサヤ様に何かご無体を強いたりはしなかったでしょうか………?」


 無体?そう聞かれれば色々と思いだされるのは、二色の液体を無理矢理飲まされたことを始め、毎日無賃労働してきましたけど。だけど、レイヤルクからすればタダで拾い子を養っていただけだ。

 私は首を左右に振った。


「いいえ。レイヤルクさんはとても親切な主でしたよ。」


 私は何度視線を彷徨わせても、もうこの部屋にレイヤルクは見当たらないというのに、再び彼を探してキョロキョロしていた。どこに行ったの、レイヤルクさん。

 おもむろに神官長が顔を上げた。私を見上げる目には少し険があった。


「主などと仰いますな。サヤ様にはその様な存在は居りません。」

「あのう、私の事は神殿庁の他の方やサイトウさんは知っているんですか?」


 すると神官長は再び頭を下げた。今度は床に額が付きそうなくらい、頭を下げたものだから、長い金髪がサラサラと床に流れた。汚い床に。


「貴女様の存在を知るのは私とアーシードのみに御座います。今から巫女姫様をお名乗り頂くのは少々難しい状況にございます。」


もちろん、名乗るつもりなんてさらさら無い。そんな事しても、誰の得にもならない。


「貴女様の御身は神殿庁にて大切にお預かり致します。私の保身と利の為といかようにも罵られる覚悟でお願いしとうございます。サヤ様の召喚とレイヤルクという術者による妨害についての公表は控えて頂きたく存じます。」


 自分の利己心の為に、と真面目に言っちゃうあたりが天晴れだ。二人も巫女姫がいた前例がない、とか言えば良いのに。

 私だって巫女姫として扱って欲しいなんて、露ほども、思っちゃいない。サイトウさんの立場が無いし、私はあんなに見映えも良くないから皆さんガッカリするだけだろう。どう考えても今更二人目なんかが登場したら、胡散臭いだけだし。


「異論ありませんよ。サイトウさんに会えるなら、神殿庁に行きます。………あの、でもレイヤルクさんはどうなります?」

「調査し、捕らえます。神殿庁に弓引き巫女姫を手に入れんとした大罪ですので、一切の温情は与えません。秘密裏に抹殺します。」


 こ、コワ………。


「そんな……。彼は私を助けてくれた一面もありますし、それに基本的にとても良い人でしたよ。彼がいなかったら私は、行き倒れていたかもしれません。」

「あの男がいなければ、貴女様は狭間の世界になど落下なさる事もなかったのです。」

「レイヤルクさんにも言い分はあります。お願いですから、彼を…」

「あの男の命乞いなどなさいますな。」


 取りつく島もなさそうだ。百年の敵でも見る様な目付きになっている。もう少し様子をみて、頃合いを見計らって相談しよう。

 その時少し遠くにいたアーシードが膝をついたままこちらにやって来た。


「サヤ様には私の養女になって頂きます。こちらの正民としてのお立場が必要ですので。」


 驚いて説明を求めると、アーシードは真摯な黒い瞳で私に語った。

 神殿庁にはまだまだ、隷民に対する差別的思想を持つ者が少なくないのだと。ーーーなるほど、クラウスはその代表例だろう。


「サヤ様にはおそれながら、ヒナ様の最もお近くでお世話をして頂く『護女官』として神殿庁にいらして頂きたいのです。」


 アーシードによれば、巫女姫の身の回りの世話は、神殿庁の神官のうち、家柄が良く地位も高い女性が護女官として選抜され、務めるのだという。


「アーシードはハイラスレシアでは並ぶものが無い名家であるバノックバーン家の出であり、高位の神官にございます。その養女であり、何より巫女姫様と同じ国からいらした方であれば、神官でなくとも皆納得する筈です。」

「失礼ですがアーシードさんってお幾つなんですか?」


 二十五に御座います、とアーシードは答えた。私と一つしか変わらないけど……。それで養女って……。


「あの、もうそろそろ立ってくれませんか?いくら人目がなくてもこういうの困ります。私も膝をつきますよ?」

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