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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
2/66

ようこそハイラスレシア帝国へ!

 猛烈に体を揺さぶられた気がして目を開けると、眩しいまでの明るさに目がくらみ、思わず再び目を閉じた。


『ガーラ、ダシャン!』


 間近から罵声がして、驚いてまた目を開ける。

 目の前には浅黒い顔をした大きな男が立ち、私の肩を掴んで揺らしていた。

 何事か叫んでいるが、全く意味が分からない。

 どうやら私は気を失っていたらしい。

 目を開けた私を見て巨体男は安堵したのか、怒鳴るのをやめ、私の肩から手を離す。

 男が目の前からどくと視界が開け、次の瞬間私は自分の目を疑った。

 周囲にはおかしな格好をした外国人の人だかりができていて、こちらを一様に見ていた。

 彼等の背後には小さな窓がビッシリとついた、クリーム色の平面的な建物が建ち並び、抜ける様な青空から眩しい太陽光がさしていた。

 まだ変な所にいたのだ………。

 痛いほどの陽光が、夢じゃないぞと教えんばかりに私の顔面に照り付けて止まない。

 あまりの衝撃に呼吸すら忘れて身じろぎすると、身体が動かなかった。なんと私の両腕は後ろで拘束され、足首の辺りには太い綱が巻かれ、クリーム色の建物の壁に寄りかかる形で地べたに座らされていたのだ。

 完全に思考がフリーズ状態になる中、汗だけは一斉に全身から噴き出す。

 口の中が猛烈に乾き、喉の痛みを覚えていく。強烈に喉が渇いた。こんな状況だし、深酒をした後なのだから当然か。

 視線を横にずらすと、私と同じく拘束されている人々がざっと数えて十人ほどいた。

 老若男女問わず壁伝いに一列に並べられ、衆人に見物されていた。一番端にいたお婆さんが男に無理やり立ち上がらされると、見物人の内数人が挙手し、次々短い言葉を競う様に発した。暫くそれが続いて終わると、挙手していた見物人の一人が巨体男に何やら手渡した。

 あれは金だろうか?

 するとお婆さんは足の拘束を解かれ、金を払った人物に引き渡された。そのまま二人は人垣を離れ、後ろに広がる広場の雑踏に消えていった。

 ここへきてやっと事態が一つ飲み込めた。

 間違いない。

 私は今セリにかけられている。

 視野の及ぶ限り見覚えない景色が広がり、広場を行き交う人々は誰もこちらに関心を示さない。

 少し離れた所にある果物を売る屋台のそばでは、茶髪の少年がオレンジみたいな果実にかぶりつきながら、私と目が合うと片眉をヒョイと上げただけだった。

 私たちは至極ナチュラルに売りに出されていた。

 ーーーーこれは一般人を引っ掛ける壮大なドッキリか何かだろうか。

 そうだと思いたい。

 だが頭の片隅では、もう一人の私がそれを否定していた。

 でき過ぎているのだ。

 異国情緒溢れる景色も、そこに集う外国人も。自然すぎる程、その場に馴染んでいた。

 お婆さんの次に立ち上がらされたのは私だった。

 まさか私の順番だろうか。

 だが私が起立するなり、見物人たちの多くは興味が無さそうに視線を逸らし、別の『売り物』の値踏みを始めた。

 見物人の一人は私の服を指差し、おかしそうに笑っていた。

 ようやく気づいたが、私はTシャツにパジャマのスボンを履いていた。

 一人の客が挙手し、巨体男と交渉を始めた。ハゲ散らかった小太りのおじさんだ。

 やめてやめて。

 まさかあんたが私を買う気!?

 悪い冗談だ。

 ………冗談じゃないとしたら、どうしたら良い。どうにかこの場を逃げられないかと、両手を必死に動かすが、綱が食い込み痛いだけで、僅かな隙間も空かない。

 話がまとまりでもしたのか、小太りのおじさんが腰にぶら下げた財布らしき巾着を手に取る。するとその時雑踏の中から一人の男が駆け込んで来た。布で鼻先まで覆っているので、よく分からないが、若い男のようだ。

 彼は小太りのおじさんを押しのけて私を指差すと、懐からキラキラと金色に光るコインを数枚取り出し、巨体男に手渡した。それを見た小太りのおじさんは、肩をすくめて一歩後ろへ下がる。

 巨体男は目を見開いてコインを見つめ、コインに唾をかけてそれを自分の服で擦り、再度目の前にかざして食い入るように確かめていた。

 ――あのコインには絶対に触りたくない。

 その後彼は二言三言若い男と話し、若い男が更にコインを手渡すと、巨体男は若い男に一枚の紙切れを渡し、私の足元に屈んで足周りの綱をナイフで切ってくれた。

 察するにどうやら私はこの若い男に買われたらしい。

 若い男は控えめな笑顔を浮かべながら、私の背中を押して歩くよう促して来た。


 ついていくべきか否か、迷いながらも私は若い男について行った。まだ手は縛られていて走って逃げるなど出来ないし、又逃げて売られてはたまらない。状況が分からなすぎる。

 若い男に腕を引かれながら、事態を把握しようと懸命に周囲に視線を走らせた。

 青と白のレンガが敷き詰められた道路の両脇に、建物がひしめく。

 建物はどれも石造りで、あまり高さが無かった。高くてもせいぜいが三階建てで、四角い小さな窓がたくさんついた、平面的な形の家が多かった。だが所々から尖塔が空高く建っており、塔の屋根は丸みを帯びた玉ねぎの様な形をしていた。少し乾燥した風が吹く街の中を、長くヒダが多い衣服をきた人々が歩いている。人々の衣服や建物からは、なんとなくオリエンタルな印象を受ける。

 何事か楽しそうに話しながら、子どもたちが笑い転げて通りを駆けて行く。長い服の裾が、ヒラヒラと舞う。

 ある家の前には木の簡素なテーブルが出され、老人が二人向かい合って座り、ゲーム板に似たものを挟み、対戦をしているようだった。

 暑くはないけれど、太陽はさんさんと降り注ぎ、とにかく湿度が低いように思える。唇をこすり合わせると、皮が剥けている。リップクリームが今すぐ欲しい。

 喉の渇きもどんどん酷くなっていく。歩くのが辛いくらいだ。

 やがて男は一軒の建物の前で足を止めた。それは灰色の石造りの三階建ての建物だった。外壁の一部には花柄の彫刻がされ、長方形の各部屋の窓には黒い枠が使われていて、なかなかにお洒落な外観をしていた。

 一階には雑貨屋が入居しているのか、花瓶やらハンカチやらを店頭に並べていたが、今は営業時間ではないのか、前面に黒い鉄格子がおりていた。

 男は笑顔を浮かべて一度軽く頷きながら、私に何か話している。


「すみません、何を言っているのか分かりません。」


 勇気を出して日本語で話しかけてみると、彼は話すのをやめ、苦笑しながら首を左右に振った。彼は私の肩をポンポンと軽く叩くと、建物の入口へと私を誘った。

 店舗の横、建物の左正面には別の入り口が設けられていて、中には上へと伸びる階段がありそれが二階部分への入り口になっていた。男について行くのは危険なのではないかと一瞬躊躇したが、中に入れば水にありつけるかもしれない。このままでは脱水症状で死んでしまいそうだ。

 入り口の外壁には金色のプレートが付けられていて、何やら三角を並べたみたいな形の文字らしき物が刻まれていた。ここの住所だろうか。階段は滑らかな石で、黒い鉄製の手摺りは手触り良く、曲線を描いてまるで階段から伸びる植物の様なデザインをしていた。

 ステキだ。

 日本にあったら間違いなく高級物件の部類に入るだろう。

 二階に上ると直ぐに両開きの大きな扉があった。扉を開けるとまず、広い玄関に迎えられた。玄関からは幅広の廊下が続き、左右に部屋があり居間へと繋がっていた。居間の白い石の床には、赤を基調とした幾何学模様の大きな絨毯が敷かれ、その上に暗い色の木製の応接セットが置かれていた。居間の奥には大きな出窓に囲まれた陽当たりの良いスペースがあり、窓に面して腰掛けになりそうな出っ張りがグルりと壁から出ていた。

 男は私を居間のソファに座らせると、自分も向かいに座り、そこでようやく自分の顔を覆っていた布を外した。男の髪は茶色で私よりも長く、三つ編みで一つに束ねられて後ろに流されており、毛先は腰程まで達していた。意外にも割と整った顔をしていて、灰色の柔和な優しい目元はどこか少年っぽさすら感じた。

 外国人っぽいとは思っていたが、まさに外国人だった。

 凝視していると、彼は両手の平を私に向け、少し待っていろ、というような仕草をしてから居間の脇にある別の部屋へ行ってしまった。戻って来た彼の手には、グラスがあったので、私は快哉を叫びそうになった。ついに、何か飲む物を貰えるーーーだが歓喜のあまり浮かした腰は、空気椅子状態で硬直した。

 グラスを満たす液体の色が、常軌を逸していたからである。

 男はこの上なく爽やかな笑みをたたえたまま、運んで来た細長く透明なグラスを私達の間にある木のテーブルの上に置いた。

 思わず瞬きすら忘れて凝視してしまう。グラスの中の液体はまるでオシャレなカクテルみたいに二色の層に分離しており、下部はまるで鮮血のような赤色で、上部は金粉でも溶かし込んだような、神々し過ぎる金色だった。

 何、これ………?

 目が離せないでいると、男は手を伸ばしてグラスを私の方へ更に押しやった。恐々視線を上げると、彼は和かに軽く頷いて、カップを持つような形をさせた右手を自分の口元に寄せ、クイッと飲む振りをして見せた。

 これを、飲めと………?

 引きつりながらもどうにか笑顔を作り、私は丁重に首を左右に振る。

 飲めるわけが無い。深酒をしていたら変な場所に迷い込み、気を失って目が覚めたら売られて、買い手からどう見ても尋常じゃない液体を強引な笑顔で勧められている。あまりの喉の渇きと異常事態に、正常な判断力を失って飲んでしまっても自分を責めるつもりはない。けれど、私にはどうしても飲めない。なぜなら両手を後ろで縛られているからだ。

 すると男はやっと私の状況に気づいたのか、あっと口を開けると両手をポンと叩き、ソファから立ち上がった。そそくさとテーブルを回り、私の横にやって来たので、もしや手首の拘束を解いてくれるのだろうか、と期待に胸を膨らませていると、彼は唐突に私の後頭部を抑えた。

 通常ではあり得ない行動に、全身の筋肉が強張り、遅まきながら身の危険を急に感じる。

 だが男はそんな私の反応に少しも影響を受ける事なく、一ミリも萎える事のない笑顔でグラスを空いているもう片方の手に取り、私の口に押し当てた。

 無理やり飲ませる気だ!

 上体を逸らして逃げようとしたが、それより強い力で上向かされ、意思に反して開いてしまった口から、ヌルい液体が流れ込んでくる。それは私が嚥下していないのにも拘らずあっと言う間に舌を滑り、喉の奥まですると転がって行ってしまった。

 まるで液体自身がグラスから私の中に押し入って来た様な、数秒の出来事だった。押し付けられたグラスが空になったのが視界に入った直後、液体は胸の辺りで発火したみたいに熱を帯び、その熱は胸から喉を経由し頭の中心部にせり上った。熱は一瞬で頭の中を巡り、余りの熱さに視野が燃えた様に赤くなる。ーーーまさか毒でも飲まされたんだろうか!?突然身体を襲ってきた異変に、私がギャーギャーと叫びながら暴れていると、男は私の腕を押さえて拘束から解放してくれた。自由になった両手で頭を抱えて目を硬く閉じ、異様な熱に耐えるしかなかった。

 そしてその熱は沸き起こった時と同じくらい、急に引いた。

 恐る恐る目を開けると、相変わらず無駄に爽やかに微笑む男と目が合う。

 男は柔らかな声で言った。


「手荒い真似をしてすまないねぇ。でも意思の疎通が出来ないと、お互い困るからね。」


 驚愕のあまり、ソファから立ち上がってしまった。男の言葉が何故か理解出来るのだ。


「私の話す言葉が、もう分かるかい?」


 返す言葉なく、赤べこのようにただ首を縦に振った。すると男は大仰に両手を叩いて歓喜した。


「良かった、良かった!それ人に使った事が無かったんでね…。」


 人に……?

 面食らっていると、彼はおほんと軽く咳払いをしてなぜか佇まいを正した。


「私の名はレイヤルク=シャジャーンという。ハイラスレシア帝国へようこそ!」


 ハイラスレシア…………?

 もう、瞬きをするだけで精一杯だった。

 ここまでの精神的なダメージが凄過ぎて、頭が全く回らない。


「ははは!………驚いちゃったかな? 君はどこか隣接する異世界ーーーこことは別の世界から迷い込んできた隷民だろう?」


 私の身体は爪先から脳の神経細胞に至るまで、硬直していた。

 対照的に男は実に朗らかな笑顔で続ける。


「君の事はさっき市場で、私が一万ガルで購入したんだよ。」

「ガル? れ、隷民………?」


 自分で口を開いておいて、自分でビックリだ。私、何だか分からない言語を話している。

 自分で自分が気持ち悪い。


「そう。神殿の登録証を持たない者はハイラスレシア帝国の正民ではないからね。持たなきゃここでは隷民さ。だから君みたいにたま〜に迷い込んで来る不運な異界人も、隷民ってわけ。君若い女性にしちゃ笑っちゃうくらい安かったし、その頓珍漢な服装からして、迷い込んで来たばかりだろう? で、君、名前は?」


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