対決①
神官長とアーシードの二人の視線に挟まれ、たじろぐ私に神官長は口を開いた。
「名は何と言う?」
「………サヤです。」
「………サヤ。美しい名だ。……サヤ。木漏れ陽を駆ける優しい風が揺らす音の様だ。サヤ……。」
微かに神官長の口が弧を描がき、澄んで輝く青い瞳が細められ、眉目秀麗な笑みを向けられた。名を褒められるとは思ってもいなかった。自分自身を褒められた様な気になり、少し恥ずかしい。
「サヤ、姓は何と言う?」
「はい?」
再び神官長から声を掛けられても、目を合わせない様に細心の注意を払った。その肩まわりを飾るゴチャゴチャとした装身具を懸命に見る。重くて肩が凝りそうだ。
「お前の名はサヤ。それは分かった。では姓は何だ?」
ミヤザワ、と答えそうになって慌ててそれを飲み込む。こちらの世界のファミリーネームを適当に答えて、知らんぷりをすべきだろうか。
私の全神経は今や術屋に向かっていた。もっと言えば、術屋の奥の部屋で備品と術光石の整理をしているはずの、レイヤルクに。
お客さんの名字でよく見かけるのは、シーバスだった。日本でいうタナカやキムラみたいなものだろう。
適当に、サヤ=シーバスです、と言ってみようか……?
私、外国人と結婚して名前が変わったから宜しくね!と友人に報告でもしている様な照れ臭さに襲われそうだ。
その時格子戸が引き上げられる金属音がした。振り返るとタアナがバケツと雑巾のいつもの二点セットを手に、表に出てくる所だった。
私を発見すると親しみにパッと和らいだその表情は、横に立つ二人の神官に気付くなり固まった。タアナは水が入った重たいバケツを手に持ったまま、立ち惚けていた。
二人の神官はタアナに一瞬気を逸らされた様だったが、その意識は直ぐに私に戻された。アーシードは術屋を指差し、私に聞いてきた。
「術屋のご主人はご在宅ですか?」
「は、はい。いますけど……。」
「ご主人にも是非お会いしたいんです。」
「それは……、ちょっ…ちょっとここでお待ち下さい。」
二人を通りに残し、半分開いた状態の格子戸をくぐり、慌てて術屋の中に引き返した。箒を入口に放り出してカウンターに向けて走り、更に奥にある部屋の扉を開けた。
中ではハタキを小脇に抱えたレイヤルクが、術光石を箱に積んでいるところだった。
「大変です!神官長が表に来てます!」
何を馬鹿な事を、と言いたげにレイヤルクは一瞬笑いかけたが、直ぐにその笑顔は消え去り、彼は私を押しのけて術屋の店内に向かった。レイヤルクについていくと、半分下りたままの格子戸をくぐって神官長とアーシードが術屋に入ってくるところだった。表で待っていろと言ったのに………。
レイヤルクは二人を見て呑気な声を上げた。
「残念ですがまだ開店準備中なんですよ。」
「そのようですね。我々はお二人に会いに来たのです。」
レイヤルクとアーシードの二人は表面上は穏やかに会話していたが、そこにはいつ切れてもおかしくはない緊張感があった。
「サヤさんは異世界からの隷民ですよね?ハイラスレシア語が実に堪能で驚きました。」
「私の術品によるものです。神殿が購入して下さるなら、特別に作りますよ。勿論こちらの言い値になりますが。」
はははは、とレイヤルクは愉快そうに笑ったが、アーシードも神官長もそれに釣られたりはしなかった。寧ろ一層緊張感が増しただけだった。アーシードが何かを言おうとして再び口を開きかけたところ、彼の穏やかな物腰をへし折る様な冷たく無機質な調子で神官長が言った。
「レイヤルク=シャジャーン。お前の神殿登録証を調べさせて貰った。」
その瞬間、レイヤルクの頬が強張ったのを私は見逃さなかった。神殿登録証とは、こちらの世界で言う身分証みたいなやつだ。レイヤルクの登録証がどうかしたのだろうか………?
「レイヤルク=シャジャーンの登録証は帝都の南区南端にある貧民街に程近い神殿で発行されている。お前は貧民街の小さな鍛冶屋の三男として生まれた。」
「ええ、その通りですよ。」
「鍛冶屋は十五年前に潰れ、一家は離散。………だがおかしいではないか。そんなお前が五年で如何にしてこの大層な術屋を立ち上げたのだ?」
「それはお褒めに預かりまして。」
「褒めてなどいない。レイヤルク=シャジャーンが術を使えた、という話は貧民街の聞き込みでは出てこなかった。」
「聞き込み不足でしょうねぇ。調査した部下の方の仕事が甘かったようで。ははは。」
調査したのは私ですが、とアーシードが切り返すと、レイヤルクはただ片眉を上げた。最早いたたまれないほどの緊張感で、心臓に痛みを感じる。
レイヤルクさん、そんなにこの神官たちを挑発しないで……。
「本物のレイヤルク=シャジャーンは、貧しさのあまり、己の登録証をお前に売ったのだ。だとすれば、お前は何者だ?」
アーシードと神官長だけでなく、私までもがレイヤルクを凝視していた。レイヤルクはそんな私の様子に気付いてか、微かに苦笑をした。
突然神官長が右手をレイヤルクに向けて突き出した。触れる距離にはなかったにもかかわらず、レイヤルクの身体は間髪置かずに後方に吹っ飛び、カウンターに激突した。
何が起きたのか咄嗟にはわからなかったが、神官長の仕業だという事だけは確かだった。背中をカウンターに強打し、両手を床に付いて痛そうに呻くレイヤルクのもとに駆け寄り、彼が立ち上がるのに手を貸した。
レイヤルクの手からは折れたハタキが転がり落ちた。
レイヤルクに肩を貸しながらキッと神官長を睨むと、彼は涼し気な表情で言った。
「立てるのか。一介の術者であれば腰の骨くらいは折れた筈だがな。」
なんて事を。
だが神官長は容赦を知らない男だった。
神官長はおもむろに再度右手を動かすと、パチンと指を鳴らした。
レイヤルクの身体に緊張が走ったのが見て取れた直後、カウンターに並べられていた術光石が瞬時にして粉々に割れ、曲線を描いて私を避け、まるで天から降り注ぐ雨粒の様にレイヤルクの方へ一斉に飛んで来た。
レイヤルクが避ける間など到底無く、彼は右手を前に出して床に屈み込んだ。
ガラスの様な石片をレイヤルクは術ではたき落としているのか、石片は彼の右手の前で次々に弾かれて落下し、彼に直撃する事はなかった。恐怖に身体が固まり、一歩も動けないでいると、神官長が又その白い指を鳴らした。その刹那、術屋の商品が次々と神官長の方向へ吸い寄せられ、一直線にレイヤルク目掛けて飛んで来て、レイヤルクの掲げる右手の直前でそれは砕かれ、左右に弾かれた。
「やめて!商品を壊さないで!」
実際には商品を砕いているのはレイヤルクだが、それを飛ばしているのは神官長だ。店の財産が次々に壊れていくのを見るのは、胸を抉られる思いだった。
始まりと同じく神官長の攻撃は唐突に終わりを迎えた。商品がバラバラと床に落ち、爆風がやむ。砕かれ、破片と化した商品の残骸がレイヤルクの前に山積していた。
「並の使い手ではないな。何故私と互角の力を持つ。」




