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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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早朝の招かざる客人

「サヤ。何をしているんだい?」


 私は本棚に歩み寄り、方向が滅茶苦茶になった本を次々に棚から抜き、その表紙を確かめて行った。

 陽法論第三巻。第六巻。

 シルベニタ島探訪記。

 経営の基本。

 料理ベタなあなたの為のレシピ集。ーーーレイヤルクらしいチョイスだ。

 君に恋した7日間ーーー何これ、こんな小説も読むの?


「サヤ。」


 私を静止しようと腕に触れて来たレイヤルクの手を、無言で私は振り払った。

 本棚の半分以上を粗探しした頃、その本は遂に見つかった。

 陽法論第五十巻。

 私は反射的にその本をキツく握りしめた。

 分厚い本の真ん中辺りを適当に開く。ページの先頭には「雨の恵みをもたらす神技」と書かれている。それをレイヤルクの灰色の目の前に突き出す。

 その勢いのままレイヤルクを睨みつけ、強い口調で言った。


「これ、やってみて下さい!今すぐに。」

「なぜだい。」

「良いから!やって下さい!」


 まさか出来るの?!

 まさか、まさか。何なのこの人。だってこれ最終巻だよ?!

 レイヤルクは小さな溜め息をつくと、私に背を向け本棚から離れて行った。逃げる気だろうか?

 彼は窓辺に近寄り、右手を持ち上げると何かを詠唱し始めた。

 詠唱が終わると彼はただ窓の外を見つめていた。

 沈黙の中、ただただ彼は窓を睨んでいた。ーーー五分ほど経過した頃、遠くでゴロゴロと低く唸る様な音が響き、ポツポツと窓を柔らかく叩く水音が続いた。

 急いで窓に近づくと、外の闇を背景に私を写す窓硝子に、細かな水滴がついていた。見る間にその量が増え、外からはザーッと雨が降りしきる音がし始めた。

 夜の闇に降る雨音を聞きながら、まるで私自身も雨に打たれているみたいに、頭から爪先まで冷えていく。

 高位の神官でも難しい筈の神技を、何故レイヤルクはいとも簡単にやってのけるのだ。レイヤルクが私を落としたなんて、嘘だと思いたかった。けれど、彼の告白は全て本当なのだとーーーレイヤルクにはそれが不可能ではないほどの力があるのだと、見せつけられたのだ。


「そんな目で私を見ないでおくれ。」

「運が悪かったと思う方がまだしも納得できました。それなのに、神官長とレイヤルクさんのせいだったなんて。」

「すまない。君には本当に申し訳なく思っているよ。責任は取るつもりだよ。私といるのが嫌なら、君がこちらの生活に慣れたら、一生生活に困らない財を譲る。正民の地位は大金をはたけば手に入れられるから、私の隷民でいる必要も無い。」


 正民の地位は金で売買されているのか。でも術屋をするだけでそんなにも儲かるものだろうか。その大金とやらはどこから来ている。


「レイヤルクさん、もしかして本当は貴方は何処かの誰かからお金を貰って、召喚を妨害していたんじゃないですか?」


 妨害しようとするのはどういった人々なんだろう?私みたいな一隷民がせいぜい思いつくのは、例えばハイラスレシアに敵対する国や、神殿庁を快く思ってない勢力。召喚に成功した神官長が名声を高めるのを追い落とそうとする、神殿庁内部の抵抗勢力とか。レイヤルクが言ったみたいに、人道的な理由から召喚を妨害した、なんて信じられない。


「君は私についてあまり多くを知らない方が良い。それは君の為にならない。」


 レイヤルクは屈むと床に広げられたままになっていた、花柄の布をたたみ始めた。私は窓の外と彼の間で、視線を何度も往復させた。


「神官長は私がこっちに来ていると気づいていないんですか?」

「召喚を後でやり直して君を探していたとしても、反応を見つけられなかっただろうね。」


私が目を瞬くと、レイヤルクは説明をした。

召喚神技は途方もない力を使う。その為、どんなに優れた神官長であれ一日に出来るのは一度きりなのだと。

おそらく神官長が巫女姫を探す召喚神技を再び出来たのは、速くても翌日だった。だがその頃には私はレイヤルクのもとにいたのだ。


「神官長は狭間の世界から、君が探し出せない全く違う界に落ちてしまったと考えたかも知れない。いずれにしても、私の保護下にいる君を神技で探す事は不可能だよ。」


 レイヤルクは床に座ったまま私を見上げた。その表情は静かだった。


「君は私を神殿庁に突き出すかい?」


 そんな出来もしない事を言わないで欲しい。召喚から四ヶ月も経過した今、私が今更乱入しても神殿庁は嬉しくないだろう。サイトウさんという存在が既にいる以上、私なんて用無しだろうし。サイトウさんからすれば、私がしゃしゃり出てきたら、良い迷惑だ。それに自分が何の能力も持たない、つまらない凡人の部類だという自覚ははっきりとある。前世の記憶なんて持ち合わせていない。巫女姫なはずがないのだ。私は特別な人間ではないし、特別になりたいとは思っていない。そんな物を夢見る年齢は多分過ぎたのだ。

 何より、私を隷民と罵り何か汚い物みたいに扱ったクラウスを始めとする神殿庁の人々の所に、神官長に召喚されました、なんてどのツラ下げて行けば良いのか。

 神官長が私を日本に帰してくれるというなら話は別だが、そんな術はないというのだ。


「そんな事しません。突き出したら、私の面倒を見てくれなくなるじゃないですか。」


 レイヤルクは何も言わなかったが、幾らかホッとしたように頬を緩ませていた。

 レイヤルクの言う通りならば、彼は私にとって加害者な様でいて救世主でもあった。有り難みは全く湧いてこないけれど。

 私たちは外の雨音が煩く響く中で、長い事そうして黙り込んでいた。










 翌朝は雲一つ無い晴天だった。

 レイヤルクは何事も無かったみたいにいつも通り飄々と開店準備をしていた。

 昨夜は余り寝られなかったので、私は眠い目を擦りながら術屋の表の通りを箒ではいていた。

 何度目かの欠伸をすると目に溜まっていた涙がこぼれて視界を悪くした。手の甲で拭うと、通りの先からガラガラと大きな車輪音を立てて、一台の黒い馬車がやって来た。私が眠い目でボンヤリと眺めている間に、馬車は何故か私の目の前で止まった。

 汚れ一つついていないその馬車は、朝日に光沢眩しく光り、大きく立派なものだった。馬車の後ろには馬が何頭かついて来ており、馬上の男たちは黒くかっちりとした外套を着ている。

 道にでも迷ったのだろうか?

 まだどの店も開いていない時間に、どうして馬車なんか。

 立てた箒に半ば寄り掛かる格好で目の前の馬車を眺めた。

 おもむろに馬車の扉が開くと、中から一人の男性が出てきた。

 穏やかそうな黒い瞳に、櫛が滑り落ちそうな艶やかな黒髪。控え目な会釈をして来たその男性は、先日も市場で会ったキューティクル神官だった。どうしてこんな所にいるのだろう、と考えているうちに、彼は私の前まで歩いてきた。


「セイジェス。」

「えっと、あの…」

「セイジェスとは、東部地域の言語では『こんにちは』という意味なのです。」


 この前は別れの挨拶と言っていた気がするけど………。どちらが本当なんだろう?ーーーまさか、この神官は私が東部地域の言葉を分かるか試したのだろうか?


 彼は私の前に来ると少し首を傾けた。その視線の先には私の箒があった。


「朝早いんですね。掃除ですか?」

「えっ、あ、はい。もうすぐ開店なので………。」


 黒い瞳は箒から外され、格子戸がまだ半分下りたままの術屋に移った。なんの変哲もないレイヤルクの術屋を、彼はまじまじと見ていた。


「術屋で働いているそうですね。」


 術屋の話など私はこの神官にした覚えは無い。なぜそれを、と尋ね返そうとした矢先、馬車からもう一人出てきた。

 場違いな人物の登場に私は己の目を疑った。白く長い衣に濃い緑と赤の二色の上衣を重ね、馬車の天井につかえそうな長く金ぴかの帽子を被り、重そうな装身具の金属音をたてながら道に降り立ったのは、誰あろう神官長だったのだ。美し過ぎるその容貌に、暫し何もかも忘れて見入りそうになる。見間違い様がないが、念の為に肩から掛かるアバの色を確認すると、やはりその色は真紅で間違いない。

 冷たい海の様に澄んだ青い瞳は、何故か私と同じくらい驚きに見開かれていた。

 神官長は私に視線を釘付けにした状態で、顎だけを軽く動かし、キューティクル神官を呼んだ。


「アーシード。彼女が?本当に……間違いないのか?」

「出身を偽っていましたし、近所の聞き込みによれば、彼女がこの術屋で働き始めたのも四ヶ月前です。」

「だがハイラスレシア語をヒナ様より遥かに理解しているではないか。」


 ヒナ様ーーーサイトウさんの事だ。

 私はハッとして神官長を見た。アーシードと呼ばれたキューティクル神官は、首をそっと左右に振った。


「そうなのですが、隷民商人に情報提供を呼びかけましたところ、四ヶ月前にセーニャ区のトルボット通りで理解不能な言語を話し、奇天烈な服を着た隷民を拾ったという申し出がありました。」


 神官長が食い入る様に私を見たまま一歩私に近付き、それに気圧されて一歩下がる。どうやらアーシードは私が異世界からの隷民だと知ったらしい。だがそれだけではない。

 この異様な人物の登場は、もっと遥かにマズイ事態が起きているからだ。



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