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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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レイヤルクの巫女姫

 帰宅すると家の中は外の喧騒が別世界かと見まごう程に静かだった。レイヤルクは三階にいるようだったので、帰宅の挨拶をする為に上階へ行った。

 三階の倉庫の扉を開けると、そこは呆れるくらい散らかっていた。

 部屋の真ん中にレイヤルクが胡座をかいて座り、床に散乱する花柄の布切れにむかって手をかざしている。簡素な木の椅子は何故か足が一本欠けたままの状態で、横倒しになっていた。

 足の踏み場に困るくらいに雑然と床に落ちている本や紙を避けながら、中に入って行った。


「只今帰りました。ーーーあの、何しているんですか?」

「お帰り。強化版の濡れないハンカチを製作しているんだ。」


 レイヤルクは一瞬顔を上げ、チラリとだけ私を見た後、左手を上げてパチン、と指を鳴らした。

 途端に床に散乱していた本や紙が、空中に吸い上げられ、部屋の隅にある本棚目指して飛んで行った。

 本たちは見事に棚へと片付けられたが、惜しい。順番や向きはてんでバラバラだった。

 中には見覚えのある書籍もあった。

 術屋で見た「陽法論」の本である。

 あまりに滅茶苦茶に本棚に飛び込んだせいで、何冊あるのかはわからなかった。

 ふと思い付いて聞いてみた。


「レイヤルクさんって、術で花を枯らす事は出来ますか?」

「勿論出来るよ。濡れないハンカチはその応用だからね。」


 彼は手を布にかざして何やら聞き取れない大きさでブツブツと呟き始めた。術をするのだろう。邪魔になるから出て行くべきなのだが、この夜の私には好奇心からまだ聞いてみたい事があった。


「じゃ、その反対は?枯れた花を咲かせるとか。」


 レイヤルクは幾分面倒そうに、顔を上げずに答えた。


「水不足で枯れたなら可能だね。寿命で萎れた物は無理だけど。」

「えっ、出来るんですか!?じゃ、これも元に戻せます?」


 驚いた私は、手の中のレーズンを彼に差し出した。

 レイヤルクは花柄の布と手元に置いて開いている本を交互に見ながら、少しだけ苦笑した。


「それを生の葡萄にしろという意味なら、不可能だね。干し葡萄にはもう生命が宿っていない。つまり、今から水を与えても復活する類じゃないだろう?摂理に反する術は出来ないんだよ。」

「へえ……。そうなんですか。じゃあ、レイヤルクさんは陽法論の第二十巻って、出来ますか?」


 僅かに灰色の目が見開かれ、レイヤルクは幾分脱力した様に微笑した。

 出来るよ、と軽く答えるとレイヤルクは漸く顔を上げた。


「どうしたんだい。急に陽法論の話なんかして。」


 その時、何気なく動かした私の目が本棚の中の一冊の背表紙に止まった。

 上下逆さまに本棚に収まったそれは陽法論で、「第四十五巻」と書かれていた。

 全身が総毛立った。

 言い知れぬ疑問がわき、不意に怖くなった。

 ーーー果たして出来もしない巻を買っておくだろうか?

 空を舞い、取り留めもなく広がって行くカラフルな包み紙の様に、これまで見た様々な光景が脳裏に浮かんだ。その一つ一つは日々の中で何の意味も持たず、私が見過ごして来たものだ。だが改めて思い返すと、私の中で一つの大きな違和感となって結実した。

 見知らぬ異世界の地での混乱の中で、気がつかなかったのだ。

 例えば言語を習得する薬。

 そして今日行った術屋の天井にあった巨大な術光石。確かそれを覆う為の暗幕が横に吊り下げられていたではないか。つまり術光石をつけたり消したりするのは、私が想像するよりも大変なのではないだろうか。

 ………この人は、この世界でも珍しいほど途方も無く大きな力を持っている。高位の神官に匹敵するくらいの。

 きっとそうだ。

 不意に決定的な映像が脳裏に甦る。この世界での第一日目、広場でセリにかけられている私の前にレイヤルクは駆け込んで来た。まるで私を探していたみたいに。あれはタイミングが良かった、と片付けて良かったのだろうか?

 確かめずにはいられない。生じたアイディアを、私は言葉にした。


「れ、レイヤルクさん。ちょっと思ったんですけど………、あの、まさか私は実はこの世界に迷い込んだのではなく……召喚されたのでしょうか。貴方に。」


 ビクリとレイヤルクの指先が震え、彼は片手に乗せていた本を取り落とした。床に落ちて閉じた本をゆっくりと拾い、再びページを捲り出す。


「まさか。召喚は神殿庁の門外不出の神技だよ。」


 今の僅かな沈黙が気になって仕方ない。一瞬脳裏を掠めたほんの思いつきだったのに、レイヤルクの反応が妙に引っかかる。それに、どうして私を見ないの。なぜいつまでも本のページをめくったり、戻したりを繰り返しているの………?


「レイヤルクさん、ならどうして私を買ったんですか?お金に困っていない貴方が、わざわざこの国に慣れていない隷民を?」

「そんなのは私の自由じゃないかい。」


 顔を上げようとしないレイヤルク。彼は私から何か重大な事実を隠しているのだ。その証拠に本の上に落とされた灰色の目は、ちっとも動かず、字を追ってなどいない。

 あの日市場に駆け込んできたレイヤルクは、割り込む勢いで私を買ったではないか。私以外の隷民には目もくれていなかった。

 この記憶とレイヤルクの挙動が私の中で、僅かな綻びからどんどん払拭できない大きさの疑いへと膨らんでいく。


「レイヤルクさん、なぜ急に隷民を雇う気になったんですか?」

「それは…」

「やっぱり私を召喚したのはレイヤルクさん、貴方なんじゃないですか?」


 違う、と断固とした声調でレイヤルクが言い放ち、顔を上げた。


「君を召喚しようとしていたのは神官長だ。」


 今、なんて言った。

 いまだかつて無い程の緊張感を抱いて私とレイヤルクは視線を交わしていた。ややあって、彼は緩々と長い溜め息を吐いた。


「………偽物の巫女姫はどうだった?」

「えっ?」


 何と言われたのか分からず、私は激しく瞬きをした。


「君が大事に持ち帰ったその干し葡萄を祝福の名の下に民衆に与えた、偽物の巫女姫さ。君にとっては何か価値があったかね?」


 淀みなく毒を吐くレイヤルクの口調は、いつもと変わりなく穏やかで、口元は少し笑んでいるにもかかわらず、その目は全く笑っていなかった。


「どうして偽物なんて…」

「本物はここにいるからさ。」


 カサッと乾いた音がして、祝福のレーズンが手から滑り落ち、床に転がった。

 拾う気が僅かも起きない。

 気力で視線を上げ、レイヤルクを見た。


 いつの間にかレイヤルクは立ち上がり、私の目の前にいた。その両手が私の肩に添えられている。


「私は代々の神官長の召喚を邪魔して召喚を止めてきたんだ。だが今代の神官長は化け物じみた力の持ち主でね。召喚神技に応えたのは君とヒナの二人だった。私はその神技を妨害しきれず、君だけ狭間の世界に落下してしまったんだ。神官長は神技を止められず、そのままヒナを神殿庁に召喚した。」


私はどこかそれをうわの空で聞いていた。レイヤルクが言わんとする所が、よくわからない。彼は自分が召喚したのを適当に誤魔化そうとしているのではないだろうか。


「狭間の世界ではいつ道を踏み外して数多ある未知の異界へ飛んでしまうか分からない。とても危険だったんだ。だから私は急いで何処でも良いから君をハイラスレシアに落下させたのさ。」

「………レイヤルクさんにはそんな事が出来るんですか?」

「私はこれでもその辺の神官より余程力がある身でね。君は殆どこちらの世界に来かけていたし。ただ召喚神技の真似事をした術でしかないから、着地点までは合わせられなくて、君を探すのに手間どったよ。」


 私は混乱してフリーズをしそうになっている頭を押さえた。

 つまり私は、日本からかっ攫われる途中で迷子になりそうになり、そこをレイヤルクが手荒く助けてくれた。が、着地点で今度は人売りに攫われたという事だろうか。


「召喚を止めたかったのだよ。」


 それはまた、どうしてだ。

 第一、国家の一大イベントとやらを、毎日女性客相手にヘラヘラ笑っているだけの一介の術者がなぜ邪魔をしたがる。

 今度はこちらが黙ってしまう番だった。

 レイヤルクは肩をすくめた。


「召喚は非人道的な神技だよ。そうは思わないかい?単なる誘拐じゃないか。しかも巫女姫は国家繁栄の為に呼ばれる生贄みたいな存在なのだよ。そんなものが正当化されているなんておかしいじゃないか。」


 生贄?

 それはどういう意味だ。

 眉根を寄せてレイヤルクを見ていると、彼は私の疑問に答えた。


「巫女姫は地上の権力者であるハイラスレシアの皇帝の伴侶にする為に、後宮に入れられるんだ。」


 それは知っている。

 図書館の本で読んだから。

 さっき見たサイトウさんの姿を思い出した。


「その風習は今でも残っているんですか?」

「勿論。巫女姫に断る権利は無い。有無を言わせず祭り上げ後宮へ入れられる。巫女姫は崇拝の対象ではあっても、異世界から来た人間に世継ぎを生ませるわけにはいかないからね、普通は後宮で国の安寧を祈るだけだけれど。万一、もしお手つきになれば、運が良くても一年は出られない。」


 お手つき?!

 勘弁して。いたいけな十六歳に何するのよ。


「君ならそんな所に行きたかったかい?」


 私はブンブンと首を横に振った。


「賢明な判断だね。後宮とはそういう所だ。あまり知られていないが、何せ前の巫女姫は後宮の中で女たちに殺された。私はね、先代の神官長による召喚も毎年ずっと妨害して失敗させてきたんだけれどね。五年前に即位した今の神官長を少し見くびっていたよ。当代の神官長はやはり化け物なのかな。」

「………なぜ、今まで隠していたんですか。」

「君をこの世界に連れて来る気は無かったんだ。扱いに困った、というのが正直なところだよ。隷民として保護するのが一番不自然がないからね。」

「レイヤルクさんが私を落としたなら、元の世界に返して下さい!」


 レイヤルクの話を消化しきれず、断片的な情報がグルグルと頭の中を回った。訳も分からず私は大きな声を出していた。


「そういう術は無いんだよ。」

「そんなの勝手すぎます!どうして私をこんな世界に連れて来たんですか!」

「君を助けたかったんだ。狭間の世界に永劫彷徨うか、ここでも君の世界でも無い全く異なる世界に落下する危険があった。それに………神殿庁になど君を攫わせたくなかった。」


 私はレイヤルクの胸ぐらを掴み、嘘つき、嘘つき、と連呼しながら激しく彼を揺さぶった。レイヤルクはされるがまま、ただ私を見ていた。

 さっきまでのタアナとの楽しいひと時が嘘みたいだ。サイトウさんはどうなるのだろう?


「それが本当なら、そもそも神官長は何故私を召喚しようとしたんですか?」


私はサイトウさんの召喚に巻き込まれたのだろうか。


「君が、前に召喚された巫女姫の生まれ変わりだからだよ。」


 そんなはずありません、と私は即座に否定した。私は普通の人間だし、第一転生なんて信じない。それに代々の巫女姫とやらは美女だったというじゃないの。その条件にも当てはまらない。

 そう主張するとレイヤルクは淡々と言った。


「皇帝の寵を受けた為に史上稀に見るほど不幸な亡くなり方をした先代は、美女に生まれるのに懲りたんじゃないのかい。」


 そんな。

 色んな意味で酷い。

 それじゃ、サイトウさんは何なのだ。


「太陽神が古に召喚した巫女姫の魂を持つ若く体力ある者だけが、神官長の呼び声を聞き、召喚に応える。古の時代の巫女姫の魂は長い時を経て、幾つかに分かれてしまったらしい。呼び声に答える魂はいつも一つとは限らない。過去召喚に失敗した神官長はそう言っていた。」


 私は巫女姫の魂なんてカケラも持ったつもりは無い。一切が神官長やレイヤルクの勘違いなんじゃないだろうか。

だがレイヤルクは感情を抑えた声で淡々と続けた。

あの日、妨害に気付いた神官長は二つの反応のうち、私の方をしきりに庇おうとしていた。つまり、より強く召喚神技に応えたのは、私の方であり、より巫女姫としての資格があったに違いない、と。その結果レイヤルクは私に照準を合わせて邪魔をし、私が神技から外れてしまったのだという。


「ともあれ、ヒナの召喚術は成功し、神殿庁に異界からの娘が下りた。あの日は召喚の成功に帝国中が沸き、お祭り騒ぎになっていたよ。彼女も古の太陽神の巫女姫の魂を受け継ぐのだろうね。けれど君は、私が落下させただけで過たず帝都におりた。君の魂は道を知っていたのだよ。だからこそ私は君を神殿庁になど奪われたくなかった。君は少なくともこの世界に来るのが三度目なんだよ。」

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