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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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祝福日

「祝福日?」


 私はパンの代金を渡しながら、タアナに聞き返した。


「そうよ。明日は年に一度の祝福日でしょ。夕方一緒に神殿庁前の広場に行きましょう。もしかしたら、巫女姫様がお出ましになるかもしれないわ。」

「祝福日……。」

「うちのお店は昼からお休みになるけど、レイヤルクさんの術屋は違うの?良かったら一緒に広場に行かない?」


 私は返事もそこそこに、パンが入った紙袋を抱えて自宅のある二階へ上った。

 祝福日が何だかわからないし、神殿庁には不快で危険な思い出しかないので、積極的には行きたくなかったが、サイトウさんの姿をこのハイラスレシアに来て四カ月目にして、初めて見る事が出来るかもしれないのだ。





「――祝福日?」


 レイヤルクは怪訝そうに顔をあげた。

 パンくずが口の周りに付いている。

 頼む。誰か彼に行儀作法を躾けてくれ。

 一人暮らしが長い男の末路なんだろうか。


「サイトウさんを見られるかもしれないからって、タアナが誘ってくれたんです。」


 私を見上げていた間抜けな灰色の目が、急に据わった。


「またその話かい。見て、どうするんだい。それに以前、あそこへは余り近寄らない方が良いと教えなかったかい?」


 レイヤルクは食べかけのパンを皿に置くと、溜め息をついて椅子の背もたれに寄り掛かり、顔の角度を斜めに傾けてぶっきらぼうな視線をこちらに投げた。

 予想はしていたが、余程神殿が嫌いらしい。

 賽銭泥棒と間違われて神官長と聖騎士に会った、なんて口が裂けても言えない。


「れ、レイヤルクさんは神官と昔何かあったんですか…?」


 ひゅっ、と音が聞こえたと思うくらい、突然空気が緊張した。

 レイヤルクは私から目を離さなかったので、私たちは暫くの間沈黙を保った状態で見つめあっていた。

 余計な質問をしただろうか?

 気まずさにたじろいだが、真っ直ぐ向けられた彼の目から、こちらも目を離せない。


「何も。」


 レイヤルクは不意に視線を逸らすと、皿の上のパンを取った。


「……何もないよ。ただ、………。」


 その後は続かなかった。

 私たちは無言で朝食を取った。

 ごはんを平らげ、カップのお茶を飲み干してソーサーに戻すと、レイヤルクは穏やかな口調で切り出した。


「サヤ。君が行きたいのなら、止めないよ。そんな権利は私に無いからね。どうせ祝福日の午後は客も来ないから明日術屋はお休みだし。好きにすると良い。」


 彼は私が口を開くより先に続けた。


「祝福日は神殿庁の広場に帝都の人々が押し寄せて、バルコニーから干し葡萄を投げて貰う儀式だよ。あまりの混雑に、毎年怪我人も出るのさ。踏み潰されない様に気を付けるんだよ。」


 干し葡萄ーーーつまり、レーズンを神官たちが投げてくれるのか。

 その話を聞いて、私は日本の節分の豆まきを連想した。炒った豆と違って、街中がべたべたになりそうだ。






 タアナはパン屋や市場で会う時に着ている地味な服ではなく、鮮やかな青い服を着て、髪も綺麗にまとめ上げた状態でうちに現れた。


「レイヤルクさん、サヤをお借りしますね!」

「ああ、楽しんでおいで。」


 片手を軽く上げたレイヤルクに見送られながら家から通りに出ると、ぞろぞろとたくさんの人が同じ方向に歩いていた。まさか皆神殿庁に行くつもりだろうか。まるで初詣に行く日本人のようだ。

 いつもよりおしゃれをしたタアナと二人で歩くと、私もわくわくした。

 私と違って顔立ちがクッキリしているから、鮮やかな色の服が似合っていて、素敵だ。羨ましいなと純粋に感じる。


「ねえ、そういえばあれから他の術屋には偵察に行ったの?」


 タアナが歩きながら自分の髪に刺した白い造花をいじりつつ、尋ねてくる。

 偵察って………他の術屋も見てみたい、と前に話した事だろうか?

 私が首を左右に振ると、タアナは緑色の目をパチパチと瞬かせた。


「まだなの?ダメじゃない。競合他社製品は常に研究しておかなきゃ!経営の基本よ。」

「だ、だって私が経営している訳じゃないし。それに術屋ってちょっと怪しい雰囲気があるから一人では入りにくくて。」

「その術屋で働いているくせに、何言ってるの!」


 ラーメン屋やバーには一人では入れない、小心者の私が、元の世界には存在しなかった術屋になど、単身で冷やかしに行けるはずも無い。

 だがタアナは急に立ち止まると、凛とした表情で私を見た。


「良い機会だわ。じゃ、今行ってみましょう。」


 私は二の腕を掴まれると、向きを変えたタアナによって表通りを直角に曲がる路地に引き摺られていった。

 路地を道なりに少し進むと、チラホラとまだ閉店していない店があった。タアナはその一つ、格子戸が下りていない店を窓の外から覗き込んだ。

 横から同じく中の様子を伺うと、店内は随分広く、陳列棚には壺やクッションといった雑多な小物が並び、大理石の様な立派な石で出来たカウンターには眼鏡をかけた中年男性がいた。その後ろの棚には最早見慣れた術光石が、ギッシリと並んでいる。


「ここら辺ではかなり老舗の術屋よ。入りましょ。」


 重く立派な木の扉を開けると、入口横に置いてある金色の鳥かごの中にある白い鳥の剥製が、羽音を立てて軽くジャンプをし、澄んだ美しい声で啼いた。コンビニのチャイムみたいだ。どういう仕掛けだろう。

 床は寄木細工で精緻な模様が作られており、贅沢な気分にさせる。

 レイヤルクの術屋の倍は広さがありそうだ。

 天井に収まっている術光石も、私がみた事がないほど大きい。

 ただし、カウンターの中にいる術屋の主は、少し脂が浮いた、ややカエル顔の中年男性だった。この点だけはうちの術屋に軍配が上がりそうだ。

 陳列されている商品をざっと確かめると、どれもレイヤルクの術屋と同じく、胡散臭い効能がうたわれた雑貨ばかりで、苦笑してしまった。試しに「貴女を一番美しく見せる鏡」を手に取り、自分を写してみる。楕円に切り取られたその中に、疑り深い顔付きをした私が写る。いつもより、二割増しくらいで色白に見え、かつ肌の小皺やくすみがうつっていない様な気がする。何だか自分が若く見える。

 成る程。

 馬鹿にしていたけど、割とイイかもしれない。これは女性なら誰でも嬉しいのではないだろうか。


「あら。現実から目を背ける鏡じゃない。」


 タアナが横から鏡の中に割り込んで来ると、笑った。


「現実逃避もたまには必要なんじゃない?」

「たまに、ならね。」


 私たちは笑い合いながら鏡を棚に戻した。

 商品の中には、どこかで見た様な物ーーー例えば「冷めない水筒」などがあり、実際に手に取り比べてみると、随分レイヤルクの商品より重かった。だが値段は格段に安い。

 レイヤルクの術屋の品物は、相場よりかなり高めらしい。

 意外にも店内には本棚があった。レイヤルクの術屋には本棚はない。珍しく感じて眺めてみると、全て紺色の背表紙に黄色で題が書かれた本だった。背表紙には「陽法論」と書かれ、第一巻から第五十巻まであった。数冊を手に取ってパラパラと捲ると、内容に驚愕した。

 花を枯れさせる神技や、水を沸騰させる神技など、普通の人には出来そうにない事が羅列され、その効果や方法について細かく説明がされていた。巻毎にそれぞれが序章から最終章に分かれていて、序章から進むにつれ、難度が上がっていく様だった。


「それ神職を目指す人とか、神官たちが使う教科書でしょ?」



 タアナが商品のショールを自分の肩に巻き付けながら、私に言った。するとそれまでカウンターの中にいた店主がコツコツと心地良い足音を立てながら、私たちの近くへやって来た。


「全巻揃えているのは当店くらいでございますよ。勿論『秘巻』と呼ばれる別冊はありませんが。あれは神殿庁の所蔵で外部に公開されておりませんので。」


 流し読みすると、中には「葉を刻む神技」なるものもあった。これでキャベツやらの野菜を切って、さっきの沸騰技を併用すれば、スープが一瞬で完成するじゃないの。私は本棚全体を指して聞いた。


「神官なら皆さんこれ全部が出来るんですか?」

「いえまさか。見習い駆け出しの従十位でやっと第一巻を終えるくらいですかね。高位の神官ですら全巻は修得していないものですよ。以前お会いした正六位の方は、第二十巻から先に進めない、と愚痴をこぼされていましたね。」


 試しに第二十一巻の目次を見ると、「枯れた植物を再生する神技」とあった。枯れさせるのは数巻前にあったから、枯れさせるのと再生させるのでは難度に相当な落差があるのだろう。興味深く立ち読みしていると、店主が嬉しそうに付け加えた。


「ちなみに私はこれでも第九巻まで修得しております。ふふ。」


 それって自慢なんだろうか。………多分そうなんだろう。すかさずタアナは黄色い声を上げて大仰に店主を褒めそやした。

 感心な子だ。

 店の奥には小瓶や小箱が並んだ棚があった。噂の惚れ薬といった類の商品は、あそこにあるのだろうか?

 私が興味を持ってそちらへ進むと、タアナがすかさず追って来た。


「惚れ薬よ!これ。ねえ、試しに買ってみたら?!」

「………まさかレイヤルクさんに使え、とか言わないよね。」

「他に誰に使うっていうのよ。」


 期待を裏切らない子だ。

 苦笑しながら、一番安い惚れ薬を手に取る。こんな不審な物を使うつもりはないが、店に入ったら何か買わないと出て行きにくいし、付き合ってくれているタアナにも気を遣う。

 レイヤルクに渡されている生活費で、彼に使う惚れ薬を購入しようとする時点で間違っている気がするが。

 私は惚れ薬を持って、トボトボとカウンターに行った。ついて来るタアナが物凄く嬉々とした笑顔を見せている。

 手にした惚れ薬を見せながら、主人に幾つか質問をする。


「すみません、これって飲んだ方に副作用とかは無いのでしょうか?あと、味でバレたりしないんですか?」


 主人は丸い顔を更に丸くさせて営業スマイルを浮かべた。顔がコンパスで描いたみたいに真円になった。


「ご心配なく。原料は太古から処方されている薬草ばかりでございますよ。無味無臭ですから、気付かれる可能性もありません。」


 私がこれ買います、とカウンターに惚れ薬を乗せると、主人は付け加えた。


「飲むと胸の高まりを感じる様になります。なるべく標的と二人でいる時に使う方が良いでしょう。」


 標的って……。

 返答に窮しているとタアナが代わりに口を開いた。


「たくさんチャンスがあるわね!」

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