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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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市場の成果

「はい。近所なもので。……あの、もしかして隷民を買われるのですか?」


 神官は少し笑ってかぶりを振った。


「いいえ。違いますよ。通りかかっただけです。貴方は誰かを買いに来たのですか?」


 通りがかっただけにしては、熱心に眺めていたように見えたけれど。

 それにしても例え正民だろうと、自分が人を買うなど考えたこともない。思わず苦笑してしまう。この神官は私が隷民だとは知らないからそんな事を言うのだろうか。若しくは単なる皮肉だろうか。

 穏やかそうな物腰だし、優しそうな目をしている。私が隷民だと知っても、この神官なら私を軽蔑したりしないような気がする。


「とんでもない。私、隷民なんです。隷民が隷民を買うなんて…。」


 そうだったのですか、と呟くと神官は私の頭から足下まで素早く視線を滑らせた。その穏やかな表情が僅かに曇る。


「近頃は隷民を酷使する者も少なくないと聞きます。貴方の主は大丈夫ですか?………その……寒くはありませんか?」


 どうやら外套を着てこなかったせいで、余計な懸念を持たれたらしい。生来の顔立ちの貧相さも手伝って、(あるじ)から最低限の衣服すらままならない生活をさせられているとでも思われたのだろう。

 神官は少し屈んで私に顔を寄せると、憐憫の情が滲む声色で言った。


「本当に困っていたら、神殿に来てくださいね。どこの神殿でも、不当に虐げられている隷民の救済活動をしていますから。酷い場合は隷民に対する主の所有権を剥奪するのも可能です。」

「そうなんですか?私先日、神殿庁を通りかかっただけで騎士に摘み出されたんですが…」


 例の黒髪短気男を思い出し、おさまりかけていた怒りに、若干の油が注がれた。二度と敷地内を歩くな、とか暴言を放っていた男が勤める神殿が、隷民の保護活動をしているとは意外だ。

 神官は不可解そうに眉根を微かに寄せながら瞬きをした。


「そんな野蛮な騎士がいましたか?」

「ええ。たしか、クラウスさんと呼ばれていた聖騎士さんでした。私が異教徒だとお怒りだったみたいで。」

「クラウス!!あの聖騎士ですか。………大変申し訳ありませんでした。良くも悪くも貴族思想に凝り固まった人間でして。隷民と正民を必要以上に分け隔てたがるのです。ですがそんな選民思想は誤りです。」


 神官は右手を空高く上げ、天を指した。


「太陽は地上の生命に分け隔て無く、平等に慈愛を注いでくれます。神は信仰に拘らず手を差し伸べよと仰せです。」


 自信に溢れた堂々たる発言に、本当に神官なんだと思い直し、一瞬クラリと立ちくらみがした。

 ご高説素晴らしいが、平等主義ならばそもそも隷民という、ガチガチの差別的システムをなくして欲しいものだ。私がこれまで見聞きしたところによると、この国は地上と天上の権力ーーーつまり皇帝と神官長の持つ力は不可侵で拮抗しているらしいから、その辺りは神殿としては皇帝に口出ししないのだろうか。

 まあ、隷民の保護と言いつつも多分、貧者救済につけこんだ宗教勧誘が本当の目的なんだろう。隷民には異教徒も多いのだろうから。私なんてまさにそうだし。

 精神的に一番弱った人間は、洗脳され易いというではないか。


「ご心配には及びません。私の主はなかなか慈悲深い方ですから。」


 神官は心から安心したといった様子で何度も頷くと、私を温かみ溢れる黒い瞳で見つめながら言った。


「セイジェス。」

「………はい?」


 今何て言ったんだろう。キョトンと視線を返すと、神官は少し目を細めた。黒く慈愛に満ちた瞳が、何故か急に陰りを帯びて感じられる。


「セイジェスーーー東部地域では『さよなら』を意味すると聞きましたが。違いましたか?」

「ああ、えっと。」


 そう、私は図書館でこの神官に東部地域から来たと勘違いさせたままだった。今更それを否定して一から説明するのも面倒臭い。

 初対面に毛が生えた程度の人に身の上をベラベラ話すのも憚られる。私は早く帰宅して料理をしたくて、適当に頭を下げて、セイジェス、と挨拶をしてから神官に背を向けた。

 ………っていうかセイジェスって、何だよ。

 速足で市場を横切り、建物に両側を挟まれた路地に入る前に、もう一度後ろを振り返る。

 市場の賑わいの中、直立不動で神官がいまだこちらを見ていた。









 半日寝ていれば治る、と大口を叩いた割にレイヤルクは夕方を過ぎても起きて来なかった。

 流石に何か食べた方が良いのではないか。

 台所には、折角作ったのに見向きもされていない可哀想な野菜スープとフルーツポンチが待機していた。台所の方をチラリと見てから、私は一念発起してレイヤルクの寝室へ向かった。

 数回扉をノックしても反応が無かったので、ノブに手を掛け回してみると、ガチッと音がしてノブが殆ど動かない。

 なんと、鍵を掛けられていた。

 なんてことをするんだ。

 中で血を吐かれようが、失神されようがこれでは助けられないじゃないか。

 そんなに私を信用していないのだろうか。

 こちらは看病するつもり満々なのに、こんな風に排除されてしまうと、切ない。

 それとも所詮隷民になんて看病されたくないんだろうか?

 考えると腹が立ってきて、私は大股で居間に戻った。

 もういい。やることもないし、昼寝してやる。

 長いソファにゴロンと身を横たえると、私は背もたれの方に顔を向けて、少し丸くなってから目を閉じた。









 ――音も聞こえないほど深い、深い穴。意識が遠退きそうなくらい、暗いその穴の底にある黒い染みのような水面を、私は覗いている。


(ああ、またあの夢だ。)


 夢だと分かっていてもなお、私はあれを探すのだ。

 暗く深い水の淵から、淡く光る金色。あれが何か分からないのに、私はあれを渇望している。欲しくて堪らないのに、どうしようもないのだ。

 必死に覗き込む私の鼻腔を、湿り気を帯びた水の匂いが通り抜ける。顔を下げているせいか、自分の長い金色の髪が肩から流れ落ち、視界の邪魔をする。私は何故かその髪の色に違和感を抱かない。ーーーそう、夢の中の私は金色の髪をしていた。

 強烈な痛みを腹部の辺りに感じる。

 それだけでなく、足下が痺れそうなくらい気持ちが悪い。

 夢の中なのに、何故こんなにも苦しいのだ。

 いつもは予定調和のように再び意識が微睡んでいき、目が覚めてくれるはず。

 早く、早く目が覚めて………!

 ――違う。

 微睡んだら終わりだ。今目を閉じれば最期、もう二度と私は目を開ける事など出来ないだろう。

 早く水面に金色に滲むあのーーーネックレスを取らなければ。

 ああ、苦しい。


「サヤ!大丈夫かい?!」


 グラグラと肩が揺さぶられ、目を開けると冷たく柔らかな物体に私は顔を突っ込んでいた。

 革張りのソファの背もたれに強く押し付けられていた(ひたい)を引くと、寝返りをうって後ろを振り向く。

 息がかかりそうなくらいの近距離に、私を心配そうに凝視する灰色の双眸があった。

 レイヤルクが私の肩に手を掛け、ソファの横に膝をついて私を起こす。


「随分うなされていたよ。どうしたんだい?」


 身体を起こすと、服が冷たく濡れているのに気がついた。相当寝汗をかいたらしい。

 たまに見るこのいつもの夢が、これほどはっきりしていたのは初めてだ。なんて嫌な夢だろう。

 窓の外を見るともう暗くなっていた。


「ちょっと………悪い夢を見て。」


 私は急速に現実に戻された。あっという間に夢の中の情景が霧散する。

 レイヤルクはゆったりとした布地の、裾が足首まである、薄い灰色の普段着を着ていた。さっきまでの寝間着ではないし、両手にもいつもと同じく、白い手袋がはめられていた。


「レイヤルクさん、もう良くなったんですか?!熱は?」


 レイヤルクはヒラヒラと片手を振りながら、立ち上がった。


「心配かけたね。ご覧の通り、復活したから…」


 話の途中でレイヤルクの身体から、盛大に腹の虫が鳴く音がした。

 一瞬の沈黙の後、私たちはほぼ同時に笑い出し、私はソファから下りた。


「ごはんは作ってあるんですよ。今温め直しますから、待っていて下さい。」


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