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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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泥棒は嘘つきの始まり

「無礼者!正面からお顔を見るな。」


 黒髪男が私の首を後ろから押し下げ、私の首がグキっとイヤな音を立てた。

 腸が煮えくり返るとはこの事だ。どんな方法でも良いから絶対に後で仕返ししてやる。

 私は無理矢理首を掴まれ、猛烈な屈辱感に耐えた。私を押さえつける男が口を開いた。


「神官長。この隷民が供物を盗もうとしておりました。」


 ああ、まさか本当にこの人が神官長?!


「顔を上げさせろ。無抵抗の女性に乱暴な真似をするな。」


 神官長と呼ばれた男は、眉一つ動かさないまま静かな口調で黒髪男に命じた。


「その娘の身辺を調べろ。怪しい物を持っていなければお前も剣をおさめよ。往来の真ん中でそんな物を抜くな。」


 首の後ろから大きな手が離れると、一転して無理矢理立ち上がらされた。黒髪男が今度は私の外套に掴みかかってきた。


「ちょっ、なにすんのよ!触らないで…!」


 油断も隙もありゃしない。彼は私の外套をまさぐりながら私の胸や腹の辺りに、大変無遠慮に手を往復させた。

 キリッとした眉を盛大にひそめ不快そうな、いかにも「命令されたからやっている。本当はお前になど外套の上からですら触りたくなどない。」といった風体が更に腹立たしい。

 でもどんなに探したって、怪しい物なんて持っていない。残念だったな!!


「おかしな物は持っていない様です。」


 黒髪男の報告に神官長は無言で頷き、二人を睨みながら外套を直す私を冷たく見下ろしていた。整い過ぎた目元が凉しい、を通り越して寒い。青い目線を身に受けるだけで凍え死ねそうだ。

 神官長は警備兵が地面に置いた籠に歩み寄り、毛皮を一枚摘み上げた。


「こんな物を盗んでどうする。」

「だから盗んだんじゃありません!私がさっき毛皮問屋で買って来た高原兎の毛皮です。」


 術屋の買い出しだと素直に話したいが、神官嫌いのレイヤルクを騒ぎに巻き込んでしまう可能性がある。それは避けたい。

 黒髪男は怒りのあまり血走っている目で私を睨んだ。


「隷民の分際で、なんて口の利き方だ!」


 隷民隷民うるさいな。差別主義者か。


「クラウス。いい加減剣をおさめろ。そう怒鳴り散らすな。」


 黒髪男はどうやらクラウスという名前らしい。私の脳内の、この世界の中で極めて非友好的な人物リストに早々とランクインした。それも見事なごぼう抜きの末の、ぶっち切りの一位だ。

 黒髪男は一度私を睨み、長い剣の鋭い尖端を私の外套の上からお腹部分に軽く当て、まるで撫でる様にゆっくりとそれを首元まで滑らせた。神官長の命令を聞くつもりは無いのか。

 彼は大層な時間をかけて手に持つ大きな剣の鋭利な先端を私の喉仏のあたりへ押し付けてきた。怒りで頭が熱くなると同時に、それと同等の恐怖が沸き起こる。まさかとは思うがこんな所で死にたくはない。


「隷民は二度と神聖なこの場所に足を踏み入れるな。もし異教徒ならば、俺は容赦しない。高貴な巫女姫様がいらっしゃる神殿庁の周囲をウロつくな。目障りだ。………それにしてもお前、ハイラスレシア語が流暢だな。東部地域のどの辺りから来た?」


 その凄味のある、地の底から響く様な低い声に、背筋がぞわりと寒くなる。ここでいけしゃあしゃあと、実は私の出身は巫女姫様と同じ異世界です、チラ見だけでもさせて貰えないだろうか、と答えれば命は無いだろう。私は数秒の間に、レイヤルクの家でこれまで見聞きした記憶のページを捲った。答えを決めると、盛大に震える声を喉からどうにか捻り出す。


「わ、私は東部地域の最東端にある、ルーツェン村から来ました。生まれも育ちもど辺境です。世間知らずで、この台が供物台とやらだなんて、知らなかったのです。」

「ルーツェン?どうやって。東部地域の端の方まで交通網は未だ整備されてはいないだろう。」


 神官長の淀みない否定に、内心慌てながらも私は反論した。


「そんな事はありません。東をくまなく歩き回られた事でもおありなんですか?」

「神官長になんて態度だ!!神官長、この者、供物を盗んで生計を立てる東部地域からの不届き者の移民に違いありません!」


 マズい。黙って成り行きに任せていれば、完全に犯罪者扱いだ。助けて。私、お願い私を助けて。


「す、すみません。私、せ、世間知らずなんです。」


 しまった、世間知らずはさっき使ったキーワードだ。これでは説得力に欠ける。語彙力は説得力に比例する。


「で、出稼ぎに出て来ている縁者を頼って村から出て来ただけなんです。途中で人攫いに会いまして、今は主の店で働いております。」


 すると神官長が嫌味にまで形が良い眉を釣り上げた。寒さで既に冷たい手足が、悪い予感のあまり更に冷えていく。時間を二分ほど巻き戻して今の言い訳を作り直したい。


「どこの店で働いている?」

「う、ああ〜、そ、ま…」

「答えられないのか!」


 またまたまたクラウスが剣先を私の喉仏にぴったりと付けてきた。その瞬間、弾かれた様に私の口からは言葉が飛び出していた。


「パン屋です!!私パンを焼くのが死ぬ程得意なんです!」

「そのパンとこの毛皮に何の関係がある?」


 神官長の至極冷静な問いかけに私は、へっ?と素っ頓狂な声で返事をした。

 痛い程の沈黙が私を待っていた。

 いっそ嘘つきだとなじってくれないか。だって視界に入る神官長の美貌が驚異的過ぎて気が散り、まともな弁解が思いつかないのだ。絶体絶命だ、レイヤルクの名を出し、あとで彼に迷惑が掛かるのが避けられないかと思われたその時、別の警備兵が遠慮気味な足取りでこちらへやって来た。


「あのう、すみません。いつ割り込んで良いものか迷いまして……。実はその女の子が歩いて来て供物台にこの籠を乗せてから一旦離れたのを、自分は見ておりました。間違い無く彼女の物であります。」


 遅いっつーの。

 この黒髪短気男が剣身を裸にする前に割り込んでくるべきだったでしょ。

 神官長がクラウス、と咎める様な声色で彼を呼ぶと、クラウスは漸く剣を私から離し、私の外套の首元部分を後ろから掴み、私を地面に置いた籠の方へ歩かせた。

 まるで思春期の女子がお父さんの使用済みバスタオルをつまむみたいに、何か凄く汚い物体を運ぶ様に。

 首元を掴む短気黒髪男の手が私を強く前に押し出し、転びそうになった。


「危ないじゃないの!何すんのよ!」


 もう我慢出来ない。

 私は怒りに任せて腕を振り回し、黒髪男の腕を振り払った。大きく動かした私の指先が彼の左目に軽く当たり、男はうっと呻いて目を押さえた。偶然の産物ではあったが、胸中をくすぶっていた怒りが、霧が晴れ渡る様にスカッとした。


「お前、ふざけた真似を…」

「よせ。クラウス。お前も神殿庁の聖騎士ならばそれくらいの事で感情を曝け出すな。誤ちを彼女に詫びよ。」


 神官長が振り向きながらそう言うと、黒髪男はグッと堪える様に口を閉じた。暫時黙り込んだ後、彼は搾りかすを無理矢理絞り出すみたいな声で、すまなかったな、と詫びた。ここまで心がこもらない謝罪をされたのは初めてかもしれない。相変わらず目だけは私を瞬殺したそうな憎悪が込められていた。


こうして私は籠を返され、ついでに神殿庁の敷地から丁重かつ断固としてつまみ出された。




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