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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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ベランダからさようなら

 ――またあの夢だ。

 いつの間にか眠ってしまったらしい。

 いやだ……。見たくない。

 けれど自分の意思とは関係無く、どうする事もできないまま、いつもこの夢の中へ真っ直ぐに引きずりこまれるのだ。

 音も聞こえないほど深い、深い穴。

 その穴の底にある黒い染みの様な水面を私は覗いている。

 暗く深い水の淵から光る淡い金色。――あれは何だろう?

 何か分からないのに、私はあれを渇望しているのだ。遠過ぎて手が届き様が無い。

 届かなくて、絶望に胸が侵食され、やがて意識に暗幕が垂れていく。辛いと感じる反面、同時にこれは夢の終わりなのだと安堵する。




 駅名のアナウンスにびくりと目を覚まし、窓の外のホームの景色を眺める。


「うわっ、やばっ…」


 またおり損ねるところだった。電車で席を確保出来るのはラッキーだが、寝過ごして家を通り過ぎてしまっては元も子もない。

 仕事で疲れてまだ眠りたがる身体に鞭打ち、閉まりかけたドアに突進し、どうにか電車を降りた。

 危ない危ない。



 駅から自宅までの道のりを歩いていると、煌々と明るいスーパーに引き寄せられ、つい寄って行ってしまう。

 今日も性懲りも無く、缶ビールとつまみを買ってしまった。帰宅したら、遅めの晩御飯であるカップ麺をすすりながら、飲んでやるのだ。

 飲むしか無い。でなけりゃこんな仕事、本当やってらんない。

 私が就職して直ぐに配属になったのは、同期たちとは随分異色の部署だった。

 入社直後に配属になったのは、社内の情報管理センターという所だった。

 配属先はデータ処理や解析が主な職務であり、同期に相談しても、誰も私の様な仕事をしている子はいなかった。海外出張へ出かけたり、他社にお付き合いを広げたり、皆が華やかに楽しい社会人生活を送っている様に見えた。

 私は頑張って研修に参加し、参考書を片手に格闘しながら日々の業務をこなした。だが、直上の上司が「自分探し」にインドへ旅立ってしまうと、事態は急速に悪化した。

 巷で流行った自分探しブームは随分前に廃れ、今や意味不明だった過去の遺物として忘れ去られているものだと思っていた。それがこんなに身近に起こり、我が身に火の粉が降りかかろうとは。彼の仕事が私に降りかかり、二進も三進もいかなくなったのだ。

 毎夜遅くまで働き、朝はあまりにも会社に行きたくないために腹痛を感じる始末。

 今日は仕事でミスを犯し、隣の部門の上司に叱責されながら日付けが変わるまで残業をして帰宅をしたのだ。

 幼い頃から体調が悪い時に限ってしょっちゅううなされた、暗い穴を覗く夢――あの夢を通勤中の車内でさえ見てしまうくらい、今夜私は疲れているのだ。




 一人暮らしの狭いアパートに帰宅すると、ベッドに座りテレビを見ながら、買い込んだビールをがぶ飲みする。

 それがすべての終わりであり、はじまりであった。

 録画してあったお笑い番組を見ながら、テレビの芸人に向かって、インドへ向かった先輩の悪口をまくし立て、ストレスを発散する。


「自分は見つかったのかよ!」


 最初は心地よかったが、やる程に虚しさが募ってきた。

 時計を見るとかなりの時間がたっていた。もう寝ないと、流石にまずいか……。

 何気なくカレンダーを見て、あれっと気づいた。


(今日、私の誕生日じゃん………!)


 暫く放心した後、虚し過ぎて笑い出してしまった。

 なんて切ない誕生日。

 最低な二十四歳の一日目だった。



 アルコールでふらつく体をどうにか動かし、淀んだ室内の空気から一旦避難しようと、ベランダへ出る。

 外は良い感じの涼しい風が吹いていて、頭の中まで熱くなった身体を冷やしてくれて、気持ちが良い。

 まだ手に持っていたグラスを傾け、琥珀色の液体を一口、口に含む。酒が通った喉元の熱を、直ぐに風が運び去るーーーああ、外で飲むのも意外と気持ちがいい。

 私はグラスを持つ手をベランダの手摺りに乗せ、ぼんやりと向かいのアパートを眺めていた。寝静まり、明かりのない建物を。

 酔いのせいか、建物がユラユラと蜃気楼みたいに揺れて見える。

 早く私も寝ないと。五時半には起きて会社に行かなきゃいけない。ーーー行きたく無い。

 嫌だなあ、と私は小さく呟いた。明日から待っている作業が脳裏をよぎる。これがいつまで続くのだろう。


「もう、消えちゃいたい……。」


 そう思わず口走った直後、視界が歪んだ。

 どうやら相当酔っているらしい。

 空いている方の手の甲で、両目をゴシゴシと擦る。本当は目の周りの小皺が増えるからやっちゃいけないらしんだけど。でも非常事態なのだ。何せ、なんかモヤモヤした霧みたいなのがベランダに漂っているんだもの。


「コレ、幻覚?」


 思ったよりもかなり酔いが回っているらしい。

 あれよあれよと言う間に濃い霧に囲まれ、向かいのアパートが見えなくなる。

 幻覚にしてもかなり酷い。怖くなってきたので、部屋の中に入ろうとベランダを数歩下がり、――そこで更なる違和感に襲われた。

 歩けどもサッシにぶつからないのだ。

 狭い一人暮らし用のアパートのベランダにいるはずが、どの方向に進んでも、手摺りやサッシに当たらない。

 気がつくと私はベランダの中ではなく、一寸先どころか足元すら見えない霧深い空間を歩いていたのだ。


(何……?なんなの、これ)


 垂れてきた鼻水を拭こうとして、まだグラスを持っている事に気付く。私は飲み掛けの酒の入ったグラスを手に、身一つで異様な状況に放り出されていた。

 何が起きたのか、パニックになって暫しその場でうずくまって助けを求め叫び続けた。だがそれに何らの手応えも得られない。

 仕方なく立ち上がり、恐る恐る一歩前に足を踏み出したその刹那、唐突に視界が暗転した。

 私の身体はあらゆる隙間すら塗り潰された様な漆黒の空間に放り出されていた。

 先程まではあった地面の感覚がなくなり、立っているのか、ーーー自分が呼吸が出来ているのかすらわからない。

 パニックに陥り、闇雲に足を動かして走り出す。

 滅茶苦茶に手足を振り回し、けれど進めているのかも分からないので息も上がってキツくなった頃、ふと前方にーーー闇の裂け目から漏れ出す白く揺らめく、微かな光がある事に気が付いた。

 半べそ状態でそちらへ歩み始めたのは、無条件に明かりの方向へと向かう虫みたいな本能がなせる神秘だったのだろう。

 無我夢中で光の方向へ向かうと、先程まで遠くの方で揺らいでいた光が、とんでもない速度で私目掛けて突進をしてきたのが視界の端に映った。

 咄嗟に自分の頭を庇う。

 まるで巨大な綿の塊にでも体当たりをされた様な衝撃が全身に走り、私は後方へ吹っ飛んだ。

 呻きつつも身体を起こし、目を開ける。

 そうして私の視界に飛び込んで来たのは、見た事も無い世界であり――それまで私が所属していた世界は跡形無く消え失せていた。






 私が転がっていたのは、ザラザラとした地面だった。手の平についた砂粒をはたき落としてから辺りを見渡す。

 ようやくアルコールの幻覚からさめたのだろうか。

 いや………おかしい。えらく静かだ。

 周囲は異様に暗く、私が立つ道らしき両側には、見た事もない四角い建物が林立していた。


「何……? ここ」


 何がどうなっているのだろう。

 どこでおとしたのか、グラスも見当たらない。取り敢えず落ち着こう。まだ酔っているのに違いない。

 深呼吸をしてみたが、状況は変わらなかった。

 それどころか、ジワジワと違和感を覚えていった。自分の腕に触れてみるとサラサラしているのだ。――真夏の湿気はどこへ行った。

 空気が異様に乾燥していた。

 車の音一つしないし、景色からしてアパートの近所ではない。

 それどころか、都内ですらない気がしてきた。

 あまりに恐ろしく、なす術なく、その場所に迷い込んだ私の前に現れたのは、頭の周りに布を巻き、全身にぶかぶかとした衣を纏った三人連れだった。

 ーーーもうムリです。

 どうかギブアップさせて欲しい。

 なんで皆さん外国人なの?

 そのサハラ砂漠のラクダ商人みたいなコスプレ、何?

 不気味過ぎて声すら出せないでいる私に向かって、声と体格から男性だろうと推測される彼等は、何やら私に話しかけていた。だがその言葉は私が今まで聞いた事も無い言語で、私にはさっぱり分からなかった。

 しかもどうみても友好的な感じじゃないのだ。突然彼等の一人が私の手首を掴み、叫ぶ間もなく首の後ろに強い衝撃を感じると同時に、目の前が真っ暗になった。







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