第1話 俺は俺を追放することにした
王宮の大広間に、春の光の柱が立っていた。
精霊魔法の、初の御前試技である。
披露したのは、十七歳の少女だった。リタ・ソレイユ。田舎の製粉小屋の娘だという。彼女が両手を組むと、光の柱の中に水の精霊がすうっと形を成し、宙に浮いた水球が、みるみる膨らんで大広間の天井に届いた。
詠唱、なし。魔法陣、なし。触媒、なし。
所要時間、三秒。
貴族たちがどよめき、拍手した。「ほう、便利なものじゃ」「井戸いらずになるのう」陛下も鷹揚に頷いておられる。宮廷魔法使いの同僚たちも、感心した顔で手を叩いていた。
拍手していないのは、大広間でおそらく俺一人だった。
俺の名はガレル・オズワース。宮廷魔法使い、勤続十九年。専門は古典体系魔法、すなわち詠唱と魔法陣と触媒でもって世界に丁重にお願いをする、あの由緒正しくまだるっこしい魔法である。
いま俺が同じ水球を作るなら、こうなる。詠唱に四十秒。魔法陣の展開に一分。触媒の水晶粉が銀貨二枚ぶん。合計二分弱と、そこそこの経費。
彼女は三秒で、タダでやった。
俺は拍手の海の中で、ひとり静かに計算を終えた。
詰んだ。
誤解のないように言っておくが、俺は無能ではない。むしろ有能な部類だと思う。古典体系の詠唱短縮では宮廷で俺の右に出る者はいないし、魔法陣の省画数記法は俺が整備した。二分かかる仕事を一分五十秒に縮めるために、俺は十九年を費やしてきた。
三秒は、その努力の延長線上にない。
あれは短縮ではない。別の乗り物だ。馬車の車輪を磨いてきた男の前に、空飛ぶ絨毯が現れたのだ。車輪磨きの名人であることは、絨毯の時代に何の慰めにもならない。
周囲を見る。同僚たちはまだ拍手している。長官などは「余興としては見事」と評していた。
余興。
あれが余興に見えるのか。
おまえたちの目は飾りか。
いや——違うな、と俺は思い直した。
見えないのだ。あれの意味が。
自分の積み上げてきたものが崩れる音というのは、積み上げた本人にしか聞こえない。同僚たちの耳に届くのは、早くて三年後だろう。宮廷の給金体系が改定されるのが五年後。古典体系魔法使いの席が半分になるのが、まあ七年後といったところか。
俺にはもう、はっきり聞こえていた。
その夜、俺は官舎の自室で、机に向かった。
羊皮紙を一枚出す。
ペンを執る。
宮廷魔法使いガレル・オズワースを、本日付けで追放に処す——と書きかけて、手が止まった。
考えてみれば、俺を追放できる者が、この宮廷にはいない。
追放というのは査定の結果である。おまえは無能だ、不要だ、出ていけ。そう査定されて初めて、人は追放される。だが宮廷の連中の査定は三年遅れている。連中が俺を正しく「型落ち」と査定できるようになる頃には、俺は四十を過ぎ、放浪を始めるには膝が笑う齢になっている。
正しい査定を下せる人間は、この宮廷にひとりしかいない。
俺だ。
ならば、手続きもひとりでやるほかあるまい。
俺は羊皮紙に、あらためて書いた。
一、宮廷魔法使いガレル・オズワースは、精霊魔法の登場により、その職能の主要部分が向こう数年で無価値となる見込みである。
一、本人はこの事実を大広間にて確認した。確認してしまった以上、知らなかった頃には戻れない。
一、よって当職を追放に処す。執行は明朝。異議申し立ては認めない。
署名。
追放を命じた者、ガレル・オズワース。
追放される者、ガレル・オズワース。
書き終えて、我ながら間抜けな書面だと思った。同一人物が上下に二回署名している公文書を、俺は十九年の宮廷勤めで一度も見たことがない。
だが、書いてみると不思議なもので、胸のあたりが妙に軽かった。
十九年、俺はずっと査定される側だった。長官の顔色、陛下の覚え、同僚との序列。他人の秤に乗り続けて、秤の目盛りに一喜一憂して、それが宮仕えというものだと思っていた。
最後の最後に、俺は初めて自分で秤を持った。乗せたのは自分で、出た目は「追放」で、ずいぶんな辛口査定ではあったが——少なくともこの査定は、正確だ。
正確さというのは、こんなに気持ちのいいものだったのか。
翌朝、俺は長官室の扉を叩いた。
「辞めるだと? 気は確かか、オズワース」
長官は書面を三度読み返した。「追放? 誰がおまえを追放した」
「私です」
「おまえが、おまえを?」
「はい。厳正な査定の結果です」
長官は、頭痛をこらえる顔になった。「……昨日の小娘の余興か? あんなものはな、オズワース、しょせん水芸だ。詠唱もなしに撃った魔法など、精度も持続も出ん。おまえの緻密な古典体系とは、格が違う」
ああ、と俺は思った。三年後、この人は今日の台詞を思い出すだろうか。思い出さないだろうな。人間は、自分の秤が狂っていたことだけは、決して思い出さないようにできている。
「長官。十九年、お世話になりました」
「待て、貴様、席をどうする気だ。おまえの後任など——」
「ご安心ください。三年後には、席のほうがなくなっておりますので」
俺は一礼して、長官室を出た。
官舎を引き払い、杖と、触媒袋と、着替えを鞄に詰めた。荷物は驚くほど少なかった。十九年いた場所から持ち出したいものが鞄一つぶんしかないという事実に、俺は苦笑いした。査定は正確であったらしい。
幸い、腕には自信があった。宮廷で十九年通用した男が、市井で通用せぬ道理はない。
王都の大門を、昼前にくぐった。
振り返ると、王宮の尖塔が春の空に光っていた。あそこの大広間では今ごろ、精霊魔法の二度目の試技でもやっているだろう。俺の椅子は当分あたたかいままで、冷えはじめるのは三年後だ。その頃には誰かが座っているかもしれないし、椅子ごと撤去されているかもしれない。どちらでも、もう俺の知ったことではない。
俺は追放された身である。
追放した男は厳しいやつで、嘆願も撤回も受け付けないという。なにせ俺の性格は俺が一番よく知っている。ああいう男の下した査定は、覆らない。
「……さて」
街道は南北に延びていた。北は帝国、南は辺境。
精霊魔法の噂が届くのが遅い土地ほど、俺の型落ち魔法の値崩れも遅いはずである。技術者の逃げ足としては、南一択だった。
俺は南へ歩き出した。
膝はまだ、笑っていない。
(第1話・了)




