第十三話 夢想と追憶
「茉奈のばか、あほ、まぬけ。ようやく会えたのに、会えなくなったら意味ないじゃん」
枕に顔をうずめてくぐもった声で拙く茉奈を罵倒する。本当は馬鹿とも阿保とも微塵も思っていないのに、何故だかそんな悪口が口からあふれ出て止まらない。そんな自分にまた嫌気が差して視界がにじむ。泣いている自分を直視したくなくて目を瞑った。
「なに、喧嘩したの?」
気が付けば梅子は教室にいた。机を挟んで反対側には莉希がいる。その手に握られた文庫本が鞄にしまわれるのをぼんやりと見送って、ああ夢なんだなと気が付いてしまった。
「喧嘩したっていいけどさあ、あんまり部活に影響出さないでよ」
(部活がやりたくてもできないんだよ、今は)
「もうすぐ本番前なんだからさ」
鞄から取り出した購買のクリームパンに莉希はおもむろにかぶりつく。クリームパンを食べる莉希なんて飽きるほど見ているはずなのに、二日会わなかっただけでこんなにも懐かしい。
「で、どっちが悪いわけ」
「……たぶん、どっちも」
躊躇ったあとにそう答えた。茉奈だけが悪いとも梅子だけが悪いとも思えない。ただ些細なすれ違いのはずなのだ。
(そういえば前に喧嘩したときも、こんな風に莉希に……)
「じゃ、梅から謝るんだね」
「なんで?」
「茉奈は頑固だから、絶対自分から謝らないよ」
莉希の目が節目がちに窓の外に向けられる。何か思い出す時の癖。
「でも私が謝る必要はないよね」
「そうやって意地を張るから仲直りしづらくなってくんだよなあ」
莉希はそうやってケタケタ笑う。クリームパンはもう半分以上食べられていた。放課後らしい教室には梅子と莉希以外に人がいない。あるはずの壁掛け時計は外されていて時刻はわからない。そんな状態で莉希だけがはっきりしていて自身の想像力に苦笑した。
「ところで今回は何で喧嘩したの?」
「……方向性の違い」
「バンドの解散理由かよ」
ふは、と莉希が噴き出した。食べ終わったあとでよかったなと頭の隅で考える。
「意地の張り合いになったら、はるぴが困り果ててすごい顔するんじゃない」
「別にいいもん。春樹が困ったら茉奈がどうにかする」
「お前もお前で頑固だなー」
語尾に「笑」の文字が付きそうなほど嬉々とした声色に若干の苛立ちを覚えた。ああ、莉希は茶化すのが大好きな人間だった。
「まあ、仕方ないか。梅より茉奈の方が大人だもんね」
「はあ? 私だって大人ですー、向こうの方が子供だもん」
「そういうとこだよ、梅」
頬を膨らませて不満を訴えても所詮は夢の中、莉希は取り合ってくれない。
「仲直りしろとは言わないけどさ、ちゃんと茉奈のことも考えてあげなよ」
「言われなくても」
「本当に言われなくてもやった?」
「やりましたー」
二人で顔を見合わせると弾けたように笑いだす。なんとなくおかしく思えてくるだけで笑えるのだから人間というのはコスパがいい。
「じゃ、質問。なんで茉奈は『あんなこと』言ったのかな」
「それは……自分の立場を考えて?」
「それって無責任だと思う?」
顔を近づけてくる莉希に無言で首を横に振った。むしろ茉奈の行動は責任感から来るものだとすら思う。
「思わないけど……友達より立場を優先するって薄情、じゃない。ずっと前から、友達なのに」
茉奈には言えなかった本音が零れてしまった。
「つまり梅は、だーいすきな友達が構ってくれなくて拗ねてるんだあ」
莉希が顔面いっぱいにあくどい笑みを浮かべて頬をつついてきた。うっとおしくて手をはねのける。
「拗ねてない。……多分、きっと、絶対」
自分の心がわからなくなってきた。莉希の手が伸びてくる。人差し指でおでこをつつかれた。
「この子供め」
「……そうだね。子供だ」
視界がまた滲んで自嘲の笑みすら浮かんでくる。目の前の莉希は相も変わらず梅子を弄ってやろうという思惑が滲んだ表情を崩さない。
「ねえ莉希、どうやって仲直りしたらいい?」
「うーん? どっちも仲直りしたいって気持ちがあるなら、あとは歩み寄りだけでいいよ。友達なんでしょ」
歩み寄り。莉希の言葉を口の中で転がす。どうしたらいいか考えているうち莉希が机の横にかかったスクールバッグを持ち上げた。鞄に机の中の筆箱や化粧ポーチを放り込んでいく。
「そろそろ帰る。今日塾だし」
「うん。ばいばい」
「仲直りしたいなら、なるべく早く茉奈と話すんだね」
莉希がスクールバッグを肩にかけて踵を返す。その背中を見つめていると、言い表せない気持ちがこみあげてきた。
「……ねえ、莉希。こっち来てる?」
「……はあ? 何言ってんの」
聞きたくなってしまって口をついた質問に莉希は眉根を寄せる。意味がわからないと言いたげに梅子に次の言葉を促した。
「私たちと同じ世界にいる?」
「……なに言ってるのかいまいちわかんないんだけど」
呆れかえった莉希は梅子の前の机に片手をついた。顔を上げるとばっちり視線が合う。
「私たちは五人で一つ。梅たちがいるところに私もいるに決まってるでしょ」
「……そっか」
そっか、ともう一度絞り出す。莉希はまたねと笑って教室を出て行った。その背中を見送ると、まだ話していたくなってしまう。
「……歩み寄り、ね」
再び目が覚めた時には外でドラゴンが鳴いていた。厚い雲の向こう側で太陽が目を覚まそうとしている気配がした。どうやらふて寝したまま夜を過ごしてしまったらしい。異世界生活三日目の始まりである。梅子はベッドから立ち上がり靴を履く。目指す先は魔王の執務室。まだ城は眠っている時間だ。音を立てないようにそっと扉を開けて、僅かな隙間に体を滑り込ませる。
脳裏に焼き付いた赤い瞳の莉希は、まだ醜悪に笑っていた。




