14 物語の主導権
14 物語の主導権
ぼくは山花さんに少しでも早く自分の考えを伝えたかったが、はやる心を抑えて、夜が明けるのを待ってチャットを開始した。
山花:おはようございます。どうしたのですか? 先生の方から私に連絡をくれるなんて、初めての事じゃないですか。それにまだ朝の6時ですよ。
ぼく:おはようございます。朝早くからすみません。山花さんは農家の方だから早くから起きていらっしゃると思いまして、居ても立っても居られなくて連絡した次第です。まだ寝ていらっしゃいましたか。
山花:いえ、一時間前には起きていました。それで何の話でしょうか?
ぼく:山花さん、ぼくも麦川アパートのその後を考えてみたんです。どうして居心地のよかった麦川アパートを舞さんたちが出て行くことになったんだろうと。そこにはいったい何があったんだろうと、思ったんです。
山花:それで何かわかったんですか。
ぼく:これはあくまで一つの推理なんですけども、やっぱり今のこのコロナに原因があると思うんです。キャバクラに勤めている誰かが客からコロナをうつされて、アパートに持ち込んだんですね。それでアパートのみんなが集団感染して、クラスターを形成したんです。外でアパート以外の住人と濃厚接触した人間の候補としては、一番キャバクラに勤めてる者が考えられるでしょう。おっさんが競馬場やパチンコ屋から持ち込んだとは考えにくいんですよ。どこからもパチンコ屋が感染源になったという話は聞かないでしょう。あれは誰とも話をしなくて、ひたすらパチンコ台に向かっているからですよ。競馬場も人と話をしませんものね。同じように、コンビニやラーメン屋も可能性は低いと思っているんです。コロナの感染は、やっぱりマスクもせずに非常に近くで、長時間話すことによって発生していると思うんですよね。
山花:麦川アパートがコロナのクラスターを起こしたというのは初耳ですね。もしや、うちの舞が持ち込んだと言うんではないでしょうね。
ぼく:いえ、誰が持ち込んだかはわかりません。家で家事をしている萌でないことは確かだと思っているんです。
山花:でも、萌さんだってスーパーに買い物に行ったりして、外に出ていたでしょう。
ぼく:スーパーで他人とぺちゃくちゃ話して濃厚接触することは、考えられませんね。まあ、ここでは誰が持ち込んだかは問題じゃないんです。私が候補に挙げたキャバクラだって1人じゃなく3人が同時に感染してアパートに持ち込んだことも、十分に考えられますからね。持ち込んだ人間を特定するのは難しいと思います。なぜならば、コロナを持ち込んだ女の子は若いので、軽症だったか、あるいは無症状だった可能性も高いからです。ですから、誰が持ち込んだかを考えてももはや埒が明かないと思います。アパートにコロナが持ち込まれはしましたが、実際、いえ、ここで実際という言葉を使っていいかどうかわかりませんが、あえて使わせていただきますが、実際、アパートの住人は若い人たちばかりですから、コロナに感染しても重症化せずにみんな軽症か無症状ですんだと思いますね。ですが、アパートの住人の中でただ一人、軽症ですまなかった人がいるんです。
山花:えっ、それは誰です?
ぼく:あのおっさんです。すでに50歳です。それにこのおっさんは、酒の飲み過ぎで高血圧と糖尿病の持病がありました。
山花:高血圧と糖尿病ですか。それは先生しか知らない情報ですよね。
ぼく:そうですね。私も最近知ったばかりなのですが。
山花:それで、そうした持病があるために重症化したのですか?
ぼく:そうです。40℃以上の熱が続き呼吸が苦しくなって、萌が保健所に連絡して、4日間の自宅待機の後、病院に搬送されました。
山花:それでおっさんは助かったのですか? ワクチンの注射を打っていなかったのですか?
ぼく:ワクチンはまだ医療関係者しか回っていないでしょう。それが済んでから65歳以上の高齢者ですからね。50歳のおっさんはワクチンを打っていなかったんです。
山花:それでおっさんは助かったのですか?
ぼく:残念ながら、亡くなってしまいました。萌が病院まで付き添おうとしましたが、入院病棟に入ることができず、おっさんは一人寂しく亡くなったそうです。
山花:かわいそうに・・・。
ぼく:おっさんは火葬された後、お骨となって麦川アパートに帰ってきました。
山花:それはみんなショックだったでしょうね。
ぼく:ニューヨークにいる幸子と七海にも連絡が行き、二人ともすぐに日本に飛んで帰って来たのですが、羽田空港の近くのホテルに二週間隔離されました。
山花:コロナの被害がこんな身近にあったのですね。それで、おっさんが死んで、どうしてみんなは麦川アパートを出て行ったのですか? おっさんが死んだために、みんなの仲が悪くなったのですか? おっさんがそんな重要な役割を果たしていたとは思えませんが。
ぼく:そうですね。しかし、おっさんが死んで、初めておっさんの役割の重要性が明らかになったのです。
山花:その重要性とは何ですか?
ぼく:アパートの大家と賃貸契約を結んでいたのは、おっちゃんだったのです。他の誰も大家とは契約を結ばずに、なあなあになっていたことが、この時になって初めてわかりました。そこで、おっちゃんが亡くなったのを、大家の跡を継いだ甥っ子が、麦川アパートを潰す絶好の機会と捉え、全員に立ち退くように宣告したのです。
山花:あんなぼろアパートを今更潰してもあんなところにマンションが建つわけではないでしょう。何の資産価値もないと思いますが。
ぼく:不幸だったのは、アパートの大家夫妻がコロナで亡くなったことです。おっちゃんが咳をしながら部屋代を払いに行って、大家夫妻に感染させたと嫌疑がかけられているんです。それを甥っ子は恨んでいるようなんです。甥っ子は小さい頃から叔父夫婦に可愛がられていましたからね。
山花:そりゃあ、恨まれても仕方ないかもしれませんね。どうして熱が出てまで、部屋代を払いに行ったんでしょうね。
ぼく:白菜が余っているから取りに来ないか、と大家から声がかかったので、おっちゃんは布団から出て大家のところに行ったらしいんです。
山花:萌さんがしっかり見張っていなかったからいけないんじゃないですか?
ぼく:萌が目を離した一瞬の隙らしいんです。萌も後から自分を責めていますから、これ以上萌を責めてはいけないんじゃないでしょうか。
山花:いずれにしても、おっちゃんが亡くなったことで、全員が麦川アパートを立ち退くことになったのですね。喧嘩別れじゃなくて、ほっとしました。
ぼく:すでに幸子は麦川アパートに戻って、萌と話し合って、どこかに麦川アパートを再建しようと計画していますので、舞さんもいずれは新しい麦川アパートに入ることができると思いますよ。
山花:それを聞いて安心しました。この前、リモートで舞が先生とお会いした時はあんなにぐれていましたので、この先どうなるんだろうと心配していたんです。舞もアパートから出て不安だったんでしょうね。
ぼく:ぼくも麦川アパートの再建には微力ながら力を貸しますので、舞さんには心配しないように、伝えておいていただけますか。
山花:もちろん。先生には小説後のアフターケアまでしていただいて、感謝のしようがありません。やっぱり先生が本気を出すと違いますね。優花さんたちの親にもこのことをすぐに知らせて安心してもらいます。
ぼく:お役に立てて嬉しいです。
山花:先生、これからも我々親子の面倒をよろしくお願いします。
ぼく:はい、わかりました。
ぼくは清々しい気分に包まれていた。それは小説以後の麦川アパートの姿がすっきりしたことによるのだろうか。それとも、物語の主導権を山花さんから自分に取り返したことだろうか? そのいずれもであろう。
ぼくは窓から入る早朝の日差しを浴びて、いくぶん自己陶酔しているようだった。
つづく




