花束
翌朝、アドリアーネはそわそわして日記の到着を待っていた。
朝食もあまり喉を通らず、今日の予定もまだ決められない。
正確には結婚式までの予定はもう決まっているのだが、本当に進めていいのかわからないのだ。
昨日の日記には大胆にもプロポーズをしてしまっている。
幼い頃のものとも、再会してからのものとも違う、前世を合わせて人生初の本気の告白。
はしたないと思われただろうか、それともしつこいと思われただろうかと心配になっては空に浮かぶ化け物を睨みつけて大丈夫だと言い聞かせる。
アドリアーネは前世以来久しぶりに感じる不安に戸惑いつつも、懐かしい感情にちょっとした興奮もしていた。
これで聖王女ではなく、普通の女性として少し成長できたような気がするのだ。
(でも不安の原因がわかっていても、やっぱり嫌な気分ね……)
ふうっと息を吐き出して気持ちを落ち着けようとしたとき、侍女が日記の入った小箱を持ってきた。
緊張してはいたが侍女の前で慌てるわけにもいかず、何事もないかのようにお礼の笑みを浮かべる。
だが、小箱を受け取ろうと改めて視線を向けたとき、その笑みは凍り付いた。
「姫様、いかがされました?」
「え? あ、ええ。何でもないわ」
再び笑みを浮かべて小箱を受け取ると、侍女はほっとしたようだ。
侍女もまた笑みを浮かべて一礼すると、下がっていった。
「姫様、大丈夫なのですか?」
ターニャは侍女のようには簡単に騙されない。
アドリアーネが朝からそわそわしていたことも、小箱を見てショックを受けていることにも気付いている。
今さら誤魔化しても仕方ないと、アドリアーネは正直に打ち明けた。
「小箱に蔦が絡まっているの」
「蔦、でございますか?」
「ええ。まるで開けられたくないとでもいうように」
「まあ……」
ターニャは言葉を失くしているようだ。
昨日は日記に蔦が絡まっていた。
あれはジュードの本音を隠すためだったようだが、今度は何を隠したいのだろう。
アドリアーネは鍵を手に蔦をかき分けて開けると、さらに蔦を手で取り除いてからおそるおそる小箱を開けた。
そして息を呑む。
「まあ!」
今度は感嘆に近い驚きの声をターニャは上げた。
アドリアーネもまた驚いてターニャを見る。
「見えるの?」
「はい。私にもはっきりと見えます」
「本物なのね……」
再び小箱の中へと視線を落としたアドリアーネは日記の上にある花束を見つめた。
正確には花束とは呼べないかもしれない。
薄桃色のコスモスの花が三本、無造作に置かれているだけなのだ。
短い茎の先は鋭利な刃物で切られたような切り口だったので、おそらくジュードが持っていた小刀か何かで切ったのだろう。
アドリアーネは手を伸ばしてそっと持ち上げた。
途端にコスモスは力なくへにょりと首を垂れる。
「ターニャ、急いで水を――花瓶をお願い」
「かしこまりました」
誰かに手配するよう言えば、このような無造作な贈り方はなかっただろう。
間違いなくジュード自身がアドリアーネのために用意して贈ってくれたのだ。
今の時期は庭のあちらこちらにコスモスは咲いているので、たまたま目についたという理由なだけで花の種類に意味はないはずだ。
とにかくあのジュードが花を贈ってくれた。
それだけでアドリアーネは踊りだしそうなほど嬉しかった。
(蔦はきっと、本当に照れ隠しだったのね)
これ以上コスモスの花が傷まないように優しく手に持ったまま、アドリアーネは微笑んだ。
その姿はまさしく天使そのもので、ターニャと一緒に花瓶を持って部屋に入ってきた侍女は足を止め、見惚れてぼうっとしたほどだった。
そして瞬く間にジュードがアドリアーネに花を贈ったことが広まるのである。
ついに悪魔のような冷酷王が天使のような聖王女に屈したと。
そんなことになるとは思いもせず、アドリアーネは同じように蔦の絡まった日記を小箱から取り出した。
先ほどまでと違って、もう蔦のことも気にならない。
蔦を取り除いて日記を開く。
すると赤いバラの花びらがひらひらと舞い落ちた。
「まあ……」
「姫様、いかがなさいましたか?」
もう何度目かのターニャの気遣う問いかけに答えようとして、アドリアーネは微笑みながら顔を上げた。
しかし、侍女がまだ残っていることに気付き、何でもないとばかりに首を横に振る。
どうやら侍女はジュードが花を贈るほどの日記の内容が気になるらしく、もたもたと部屋に残っていたのだ。
そんな侍女をターニャはもういいとばかりに下がらせた。
「それで、素晴らしい言葉が書いてあったのですね?」
「いいえ。実はまだ読んでいないの。ただ日記を開いたら赤い花びらが舞い落ちて感動してしまっただけ」
「まあ……」
今度はターニャが三度の驚きの声を漏らした。
ただターニャには見えなかったので、それはジュードの心ということだ。
ようやくあの野蛮で偏屈な王がターニャの大切な姫様の素晴らしさに気付いたらしい。
ターニャはガッツポーズとやらをしたくなったがどうにか堪えた。
アドリアーネは期待と少しの不安とでどきどきしながら、日記に書かれた文面を読んだ。
その愛らしい顔はかすかに強張っていたが、文面を追うごとに明るい笑顔に変わっていく。
「――ターニャ、奇跡よ!」
「またでございますか?」
喜びに興奮しているアドリアーネの言葉に、ターニャはわざとそっけなく答えた。
実際、聖王の傍近くに仕えていれば、奇跡を目の当たりにするのは珍しくはない。
「すごい奇跡よ! だって、ジュード様がプロポーズしてくださったんだもの!」
「それはようございましたねえ。おめでとうございます」
「ありがとう!」
本当に嬉しそうなアドリアーネを見ていると、ターニャまで嬉しくなってくる。
もちろん不満は溢れんばかりにあった。
本来ならアドリアーネが到着した時点で跪いてプロポーズするべきであり、婚約解消の申し出などもってのほか。
今からでも会いに来て跪いて許しを請い、それから直接プロポーズするべきなのだ。
決して交換日記の文面でするべきではない。
聖王国の民が知れば暴動が起きそうなほどではあるが、こんなにアドリアーネが喜んでいるのだから水を差すべきではないだろう。
ターニャの一番の望みはアドリアーネの幸せなのだから。




