第2話 決戦!リリィVSアマリア
その日の深夜。団長の寝室にある天蓋付きのベッドで寝ていた山下五一はパチリと目を開けた。起き上がりもせずに、目を見開いたまま口を開いた。
「なんだい」
暗闇の天井から黒い影がすっと降りてきて、ベッドの前で膝をついた。
「失礼します団長。例のアッシュの件ですが」真面目な声で話し始めたのは黒衣裳に包まれたキルキル警備隊長だ。
「なにかわかったのか?」
「いいえ、帝国内のネットワークも使いましたが、該当する幹部はいませんでした」
「じゃあ、白だと言うことかい」
「正規軍に所属はしないということだけです。気になるのは…」
「気になるのは?」
「過去が一切分からないことです。隠蔽されている痕跡すらない、それがかえって不気味なのです。部下に常に見晴らせていますが、今晩は暁トキと親しくしていました」
「トキくんと?」
「はい。彼女に『自分は君と同じだ』と話したという報告があがってきました」
「皇女のトキくんと『一緒』と言ったのかい? その線からも探ってみてくれ」
「了解しました」キルキルは音もなく暗闇に姿を消した。「トキくんとアッシュか」
五一団長はつぶやくと、またまぶたを閉じた。
◇
…それから半年がたった。
この間、トキは自分で病院内の扉を開けられるようになった。
地下の自然の洞窟を利用した訓練室で、毎日、リリィとアマリアとともに鍛えていたのだ。
もっともトキの目には、二人が一緒に行う訓練はケンカにしか見えなかった。だが、二人は次の日には、なにごともなかったように顔を合わせ、またケンカ、いや組み手をはじめるのだった。
冬のある日のこと、いつものように口げんかが始まり、どういうわけか、リリィの鉄バットとアマリアのレイピアと呼ばれる細身の両刃の剣を交換して実戦組み手をすることになった。
「ちょっと、それは危ないんじゃないの」
トキがあたふたしていると、いつの間にか後ろに土方が腕を組んで立っていた。
ぼそりと、どこかうれしそうに言った。
「互いの獲物を取り換えるのは、信頼しあっている証拠さ」
「そうなのですか?」
「俺の祖国ヤマドゥに伝わる神話に、兄弟の神が、それぞれ、山の幸をとる弓矢と海の幸をとる釣り針を取り換えることになり、二人の関係が決定的に破壊したという物語がある」
「えーーーっ。それじゃあ、リリィとアマリアもダメじゃないですか」
「関係が崩れた理由は、弟のほうが兄の大切な釣り針をなくしてしまったからだ。だが、この二人はそんなことはしないさ」
「今日はいくら謝ったって許さねえからな。無理やりでも頭を床にすりつけて土下座させてやる」リリィが挑発した。
「リリノアさん。わたくしが一度だってあなたに謝ったことなどあったかしら。相変わらずの甚だしい勘違いよね、ホホホ」と嘲笑で返した。
「本当に大丈夫なんですか、土方隊長?」
「・・・」
「冷や汗かいてますよ、隊長!」
だが組み手が始まると土方の予言が正しいことがわかった。
リリィはバットを打ち込まれても刃がこぼれることをさけるためにレイピアで受けたり、払ったりはしなかった。
アマリアもバットを地面や壁にめり込ませたりはしなかった。絶えまない罵りあいさえなければ、まるで美しい演舞を見ているようだ。いつのまにか周りにたくさんの騎士たちが集まって嘆息しながら見守った。
互いに全く譲らないまま一時間が経過して二人の足元は流れ落ちる汗で池のようになった。
「ちょっと、二人ともいい加減にやめなさいよ」
トキが声をかけたが、二人とも一心不乱でまるで聞き耳を持たない。アマリアには第一内科の騎士が声をかけたが、それも効き目がなかった。
「困ったな、どうしたものかね? 鈴里が言えばやめるだろうけど、彼女は夜勤だしな」
土方は少しも困った表情をみせずに肩をすくめた。
その時、天井のスピーカーからおなじみのキルキルの声がした。
『はい、はい。鍛錬中のみなさん、お疲れさまです。急ではありますが、地下室の空調メンテナンスのため洞窟の入り口を開放いたします。強風が入ってきますのでお気を付けください』
ゴウーという音とともに猛烈な風が吹き込んできた。
ほかの騎士たちは面食らった顔つきをしただけで足を踏ん張っているが、トキの小さな体は風にあおられふわりと浮かび上がり、にらみ合っていた二人に向かって飛ばされた。二人の間合いに入ると、リリィとアマリアはそれぞれの手でつっこんできたトキを同時に抱きとめた。
二人は声をぴったりそろえて
「トキ! なにやってんの。危ないでしょう」
と異口同音にしかりつけた。
風はすぐにおさまった。
ようやく我にかえったリリィとアマリアは武器を互いに返すと、同じ歩調でベンチに向かい、そして同時に座った。
リリィはカバンからタオルを取り出すと、流れ落ちる汗を拭った。だが、アマリアは息を整えるだけで汗が垂れ流れている。
「あんた、タオルないのかい?」
「ええ、まさかあなたごときとの訓練で汗をかくとは思いませんでしたので、ロッカーに置いてきてしまったのですわ」
リリィは黙ってカバンに手を突っ込むと、美しい水色の真新しい布を取り出して、ぐいと差し出した。
「あたいの故郷特産の織物だよ。あんたにとってはたいしたことないだろうけど。あたいのかあちゃんが騎士団に入団したときにくれたんだ。使いな」
「とてもきれい。海の色ね。ありがとう、リリノアさん」
素直な反応にリリィは少しうろたえた。
が、「リリィでいいよ。かあちゃんは『よいライバルになるお友達ができたらあげなさい』って言っていたんだ。よかったらもらってくれ」と頭をかきながら答えた。
「あら、あなたのお友達はトキではないの?」
「あいつは親友さ。でも別にライバルってほどのもんじゃない」
――あの、わたしすぐ横にいるんですけど。
トキは口元を引きつらせた。だが、この言葉に怒りをあらわにしたのは、アマリアだった。
「わたくしがあなたのライバルですって。ちゃんちゃらおかしいわ」
「なにぃ! せっかく認めてやったら、すぐにこれだ。だからお前みたいなお高い女はいやなんだよ」
また二人はにらみ合い一触即発になりかけたが、「ふん」と息を合わせたかのように同時にそっぽをむいた。土方がククっと口を押さえている。
「わたくし、帰らせていだきますわ」
「おう! 勝手に帰りやがれ。もう二度とくんな!」
「そうはいきませんわ。あしたもあなたをコテンパにして差し上げないと気が済まないわ」
「あしたも、って、一度もコテンパにされたことなんかないし」
リリィはキーと歯をむいた。
「さよなら、リリィ。ところで、あなたもアマリア様と呼ばずに、呼びつけにしてもよくてよ」
「最初から様とかつけてねえし!」リリィがつっこんだ。
二人が訓練室から姿を消すと、我慢しきれなくなった土方がガハハと腹を抱え出すと、訓練室中に笑いが広がって、しばらくやまなかった。
◇
トキは訓練を終えると、夜勤のない夜はほとんど毎晩、こっそりと病棟の屋上に通っていた。もっとも「こっそり」と思っていたのは、トキ本人だけであったが。
この日も、先に来て、ただ西を眺めているアッシュに、リリィとアマリアの不思議な友情について話した。ただ、騎士としての活動を口外するのは御法度なので地下室のことは伏せて、病院内でいかに張り合って仕事をしているかを延々と説明したのだった。
風が吹き込んでトキの身体がとばされて、二人に受け止められた話をしたときに、アッシュは目を光らせて、顔を寄せて、「俺でも君を受け止められるかな」と聞いた。
ザザザと庭園の木々の葉が風で揺らぐ音がした。風がトキの肌や肉を吹き飛ばし、むき出しになったトキの心臓にアッシュの視線が突き刺さったように感じた。目をそらし、「地下であんな強い風が吹くなんてねえ」とごまかすしかなかった。




