第1話 初恋の時
病院に帰ったトキたちをみなが出迎えた。
簡単だが心の温まるパーティーのあと、トキは風に当たりたくなって屋上にひとりで向かった。夜の病院の屋上はいつも静かで、落ち着ける場所だ。いろいろあった旅を思い返したかったのだ。一人きりで、いやあの男がいるのをひそかに期待していた。
屋上にはアッシュがいた。
「やあ、トキさん。こんばんは。また会ったね」
「おじゃまかしら、アッシュさん」
「そんなことはないよ。今晩は君が来るのを待っていたんだ」
「えっ」トキは目を大きく見開いた。
「君たちが旅に出るのを上から見ていたんだが、なんだかいやな予感がしてずっと心配していたんだ」
トキはこの言葉に今まで抱いていた感情がはっきりした形になっていくのを感じた。
月を見ながら二人は遅くまで話し込んだ。トキは旅での出来事、とくにリリィと友達になったことを熱心に語った。アッシュは今まで旅した色々な国や町の話をトキに聞かせた。
トキはアッシュの顔をちらっと見て言った。
「その目でたくさんのことを見てきたのね。ずっと籠の鳥みたいだった私とは全然違う人生だわ」
「違うさ、俺と君は同じなんだよ」
「えっ、どういう意味。何が同じなの」
「抱えているものすべてだ。俺たちはきっと離れることはできない運命かもしれない」
「教えて、アッシュ。私はあなたのことをもっと知りたいの」
「・・・」アッシュは黙り込んだ。
「それより、トキ、病院の地下で」
その時、庭園からトキを呼ぶ声がした長旅の直後にもかかわらずさっそく夜勤に入ったリリィだった。「トキ、いないかい? 急患なんだ、手伝ってくれないか」
「大変、アッシュ。ごめんなさい。私行くわ」
「ああ、そうしてくれ」アッシュはもう背中を向いて西に広がる砂漠を眺めていた。
トキは屋上の柵に身を乗り出すと、「リリィ、ここよ。今行くわ」と答えて、走り去った。
アッシュはトキを見送ると、胸を手で押さえた。
「なんで余計なことを話してしまったんだ」
急患は軽症でリリィと二人で処置をすますことができた。自分の部屋に戻る前に屋上へ寄ったがもうすでにアッシュはいなかった。
「離れることができないなんて、多分嘘。それは分かってる」部屋に戻ったトキは白衣のままベッドにあおむけで倒れ込んだ。天上を見ながら、屋上でアッシュに言われた言葉を何度も繰り返し、その度に喜んだり、「好きと言われたわけではない」と落ち込んだりした
初めての恋。いや、トキはそれが恋でなくて愛だと信じていた。彼と屋上で話す。冷たい夜風が冷やしてくれないとトキは熱で倒れてしまいそうになる。心臓が緊張して内なる音を立ててしまい上ずった声になっても、「ちょっとそれが魅力的かな」なんて冷静に打算してみる。こんな駆け引きも初めての経験。男と女が騙し合いや嘘にまみれているということはなんとなく気づいていた。
――私は彼に嘘はつかない。でもアッシュはきっと嘘をついている。
なぜか確信があった。
恩師のスキピオがかつて言った言葉を思い出した。トキの学校の教師だったスキピオが、図書館でめがねをハンカチでふきながら話した内容だ。今思えば、あのめがねは伊達めがねだったのだ。
「100%の嘘というのはないんや、トキ。どんな嘘でも5%か10%は最低真実が込められている。たとえ嘘であってもそれを信じることで、それは20%、30%となり、やがて真実になることだってあるやで」
――アッシュの言葉に1%でも真実があればいいんだ。それは絶対にある。
トキはようやく幸せな気分になって眠りについた。




