第9話 赤母衣衆スキピオ
賊の首領はぎりぎりと歯を鳴らした。
「あいつら、裏切りやがって。今に後悔させてやるぜ」
その時、地平線に土煙が上がっているのが見えた。
「おお! ようやく援軍が来たか。ヒヒヒ、これでやつらも終わりだ。おい騎士団と裏切り者、あれをみろ!」
土方は土煙を見て、ちっと舌を鳴らした。
――まだいたのか、まずいな。
賊の馬群はまるでなにかに追い立てられるように猛スピードで近づいてくる。
「おーい! ここだ、ここだ! 騎士団を蹴散らしてやれ!」
首領は馬の先頭に向かって手を振って大声を出した。
馬に乗った賊たちの表情まで見えるようになった。顔を真っ赤にして汗を流し、目は血走っている。
「止まれ! 止まれ! やつらを囲んで倒すのだ!」だが、新手の賊たちは首領を無視して、ひたすら前を見ている。馬群の先頭が目の前にまで来た。馬は騎士団とそれを取り囲む賊たちを避けると、そのままスピードを緩めずに次々とすり抜けていった。
「お、おい? お前ら? どうしたんだ?」
ほとんどの賊は無視していたが、一人が首領を一瞥して、あわてて手綱を引いて馬を止めた。
「ボス! 早く逃げたほうがいい。じゃあ行きますんで、さいなら」すぐに馬の腹を足で蹴ると、速度をあげて瞬く間に視界から消えていった。
大量の賊の味方が現れたかと思ったらそのまま通り過ぎていき、馬たちの蹄の音がはるか遠くに聞こえるようになった。
……一瞬の静寂。なにが起きたのか賊も、トキたちも分からないまま、戦闘は止んでいた。
するとさきほどの馬群が現れた方向から、さらに大きな土煙がもうもうと立ちこめていた。今度はずずずずんと地響きまでしている。
「リリィ、なんだろう」トキが近づいてきて話しかけた。
「あたいにも分からない。でも今より悪くなるってことはないんじゃない」
長い筒を覗いていた賊の一人が叫んだ。
「赤い悪魔だ! 賊狩りの赤母衣衆のやつらだ!」
賊の一人が「逃げなきゃ」とぽつりと言葉を発するとそれを合図に「逃げろ!」という声があちこちであがり、蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始めた。
きょろきょろと周りを見回した賊の首領に、土方が「お前はどうするんだ。残るのかい」と声をかけると、はっと目が覚めたように「覚えてろ」と捨てぜりふを吐き、あわてて逃げ出した配下たちを追いかけた。
やがて残っているのは騎士団と賊を裏切った兄弟の六人だけになった。そこへ、真っ赤な鎧甲に身を包み、紅に染めたマントを風でなびかせた三十騎ほどの武士たちがやってきた。
二本の角が伸びる兜と、赤い鬼の面をつけた先頭の男は、土方の前まで馬を寄せると、音もなくふわりと馬から降りた。
男は鬼の面を外した。すると、出てきたのは、大理石の彫像のように端正な色白の青年将校だった。鬼の面とは対照的に、いたずらっぽい黒い眼が血の通った温かみを感じさせた。
「えーーーっ、先生? スッキー?!」
トキがすっとんきょんな驚きの声をあげた。
「なんや驚いたな。ごっつい戦いと思ったら、まさかトキがおるとはね」将校も目をぱちくりさせた。
「おい。知り合いなのかよ」
リリィが肘でトキの脇腹を小突いた。トキが答えるより早く、土方が口を開いた。
「なんと、自由国家同盟赤母衣衆のスキピオ大佐でおられるか。助かりました」
「いやあ。手遅れかと思っとりましたが、さっすが騎士団、無事でなにより」
「ゲッ! あの知将スキピオ? どこが弱々しいんだよ!」
リリィが腰を抜かしたように地面に座り込んだ。
その隣でトキ、白虎、玄武の三人もぺたんと座り込んだ。こちらは本当に腰を抜かしていた。
「スッキーが大佐?」
「間違いねえ、スキピオだ!」
「お、おれたち殺される」
スキピオはしゃがみ込んだトキの頭をぽんと軽く叩き、「ようがんばった、トキ。立派になってごっつうれしいで」とほほ笑んだ。
そうして白虎と玄武のほうを振り向くと、優しさがすっかり解けた冷たい視線を向けた。二人は後ずさりしようとするが、蛇ににらまれた蛙のように身動きができなくなっていた。
「お前たちは街族団やな」
黒い瞳は井戸のような深みをたたえていた。
「はい」
兄弟は催眠術にあったように、同時にうなずいた。
その時、
「違うわ! スキピオ大佐。彼らは賊ではありません」
鈴里が間に入った。
「そうは言うても、やつら自身がそう言っておるんやけどなぁ。のう、お前たち?」
スキピオは吸い込まれるような目で兄弟を見ると、白虎は「はい、確かに俺たち兄弟は賊で・・・」とよどみなく答えた。
割って入った鈴里だが、スキピオのまなざしをうけると嘘が言えなくなった。
「違うでしょ・・・いえ、たしかに賊だけど、でも」そこから先の言葉が口を出ない。
「でも、なんですか、騎士殿?」
「でも・・・」
鈴里は歯を食いしばって、ぷはっと一気に息を吐いた。
「確かに今の今までそうだった。でも、私が二人を騎士団病院で下働きさせる。彼らはもう賊なんかじゃない!」
「姉さん!」二人の目から涙が流れ出した。
「スッキーお願い、鈴里を信じて」
「トキの先生よお、頼むよ」
トキとリリィが赤い鎧にすがりついた。
しばらく黙っていたスキピオだが、突然、笑い出した。
「鈴里さん、あんたの目に偽りはない。信じましょ」
スキピオの目が細くなった。
「皆の衆、下馬しよっか。さあさあ、お弁当の時間やで」
ほかの赤い鎧の武士たちに声をかけた。鈴里は力が抜けてその場でへたり込んだ。
「お弁当だってさ、この恐ろしい鬼がいうセリフか?」
リリィがトキの耳にこそこそと言うと、トキはほほ笑み、リリィにささやいた。
「やっぱりスッキーよ。おなかが空くと絶対に我慢ができないの」
「皆の衆、騎士団の方々にもおむすびを分けて差し上げましょっか」
スキピオは自分の弁当箱からおにぎりを取り出すと、呆然としている白虎と玄武の手にも一つずつ載せた。
「お、俺たちにもくれるんですかい?」
恐怖でさきほどまで泣いていた二人が今度は感激で男泣きし始めた。
「涙でしょっぺえ、でもうめぇ」と、涙と鼻水を流しながら二人は夢中でがぶりついた。
「おいしい!」「生き返る!」
三人の女騎士も久しぶりのご飯に大騒ぎだった。
女の食事中のおしゃべりを止められるものなんぞ、アルチャット大陸には存在しない。かしましい輪から抜け出た土方がスキピオにぼそりと話しかけた。
「イメリア流星騎士団の土方総司です。今回は本当にかたじけない。九死に一生を得ました」
土方は腰を深々と折った。
「頭なんかあげてくださいな」
スキピオは土方に横に座るよう促した。
「実はね、昨晩、えらい輝石術が発動されたのを察知して、あわてて駆けつけてきたんですわ。あれはトキだったんでっか?」
「そうです。私もあれほどの術はそうそう見たことがありません。あなたが教師をしていたとは、立派な生徒を育てられたのですね、スキピオ殿」
「ははは、土方はん。かわいい生徒をあんたのような方に預けられるとは、教師冥利に尽きます」
「お任せください。先生譲りでしょうか、あれでなかなか肝が据わっています。必ずよい騎士になります」
土方は手渡されたおにぎりを一口で飲み込むと「ところで」と話題をかえた。
「赤母衣衆がなぜこんな場所にいるのですか?」
「さすが土方はん、気がつかれはりましたか」
土方はこくりとうなずいた。
「どうも国境付近がおかしいんですわ。いえね、帝国のやつらは相変わらず静かなもんです。ただ、なんやろ、不自然さを感じるのですわ。特にサウガリア公国の空気が。それで大陸の南部を巡回していたってわけです」
スキピオの目がほんのまばたきの間だけ再び漆黒に変わった。
「サウガリアに異変ですか?」
「いえいえ、単なる予感ですから、決して広めないでくださいね。一番の理由は、勤務先のベガルタの学校が長期休みに入ったので、旅をしたかっただけです。はははは」
土方もそれ以上は詮索しなかった。
赤母衣衆はその日、村にとどまり、トキはスキピオとたき火を囲んで一晩中、学生時代の思い出を語り合った。リリィもうれしそうにその話に耳を傾けていた。
翌朝、スキピオたちは出発し、入れ替わるように、騎士団からの救援部隊が到着した。
やってきたのは、第一内科の中隊五十騎だった。先頭の馬には、アマリア・サウガリアが乗っていた。
「みなさんご無事でよかったですわ。よく四人だけで」
アマリアは馬上から見下ろしながら驚きを隠せなかった。
「四人だけ? ふん、違うけどね。昨日、通りすがりの赤母衣衆が助けてくれたんだよ。そっちも思ったよりも早かったじゃん」
リリィは皮肉をこめて答えた。アマリアは軽やかに馬から降りると、リリィの正面に立ち、腕を腰におき胸を張った。
「リリノアさん、あなた、わたくしのことを勘違いしていらっしゃいませんこと?」
「なんだよ?」リリィは少し焦った。
「人間は自分が見たいと思う現実しか見えないってこと、ご存じね?」
「サウガリア人だけじゃないのかい」
「そうかもしれない、しかし、わたくしは違う。あなたがどんなに卑しい女であっても、イメリアの騎士は騎士。土方隊長に鈴里さんがいるとは言え、たった四人でよくぞ耐えましたわ。率直に言って、わたくしはあなたのことを見直したのですわ」
「えっ? あんたがあたいを見直しただって? もう一度言ってみて」
「二度も言いませんわ。わたくしたちは無事を確認したので戻ります。あなたたちの馬は連絡してきたチャプタイという少年がもうすぐ連れてくるはずです」
再び馬上の人となったアマリアはきびきびと伝達し、馬の方向を変えようとしたがすこしためらった後、リリィを見おろした。
「今度はなんだよ、アマリア」
「帰ったら病院地下の練習場で、ご一緒に訓練して差し上げても、よろしくてよ」
「あんたがぜひとも頼むっていうなら、いいぜ」
「では、お願いするわ」頭を下げるアマリア。
「わ、わ、わかったよ。こ、こちらこそ・・・お願いします」あっけにとられたリリィもあわてて頭を下げた。
土方と鈴里が二人の会話を聞いてくすくすと笑った。トキは「あのアマリアが素直になるなんて、さすが騎士団だわ」と内心感激していた。
(この章おわり・続く)
第2章は終わります。続いて第3章になります




