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神代杏奈の怪異調査FILE  作者: Allen
ヒサルキ編
64/108

64:剣士と探偵










「―――ッ!」



 黒い剣閃が翻る。

凄まじい速さで無駄なく振るわれるそれは、常人の目には決して捉えられぬほどに洗練されたもの。

次々に現れる腕を躱しながら斬り飛ばし、そして止まる事無く次なる腕の迎撃に向かう。

それはさながら剣の旋風。あらゆるものを巻き込んで斬断する剣の颶風。

しかし、それすらも未熟。



(まだ、まだ遅い。これじゃ無駄だよ、もっと速く――――)



 あらゆる方向から襲い掛かる敵の姿を俯瞰しながら、姫乃はただ己の持つ『無駄』を一つ一つ潰していっていた。

この世界のどこかには護るべき者があり、そして自分には未熟と呼べる無駄がある。

その状況が、姫乃にとっては何よりの修行となっていた。

高い精神性を保ちながら己の動きを命のやり取りの中で見つめ直し、即座にそれを己が剣へと反映してゆく。

何が無駄であるか、何が己の動きを妨げているのか、研ぎ澄まされた感覚で周囲の情報を把握する姫乃だからこそ、己が動きすらも客観的に捉える事が出来る。

護るべき者があるが故の、極限の集中状態――その異常なまでの察知能力をそう呼んでいいのかは定かではないが、生憎と今の姫乃にはそのような雑念など存在していなかった。



(重心がちょっとぶれてる。踏み込みが3cm深い。これも直す)



 動きの欠点を消せば消すほど木刀の動きは速まり、目指すべき場所へと近づいてゆく。

姫乃にとって、普段行っているいづなとの訓練は決して無駄なものではない。

けれど、そこには実戦に臨むような心構えが存在していなかったのだ。

姫乃にとって、剣を握る時と言うのは、己が仲間を護る時のことを指している。

しかしいづなとの対決は仲間の危機に類するものではなく、それ故にただ技の反復練習にしかなっていなかったのだ。



(狙った位置からちょっとずれる。これは腕が少し下がってるから。これも修正)



 しかし今この場所で、姫乃は護るべき者と倒すべき敵を見出している。

それ故にこの実戦における一秒は、訓練における一時間よりも遥かに価値の高いものへと変わっていたのだ。

自分を護り、誰かを護る。その為にはさらに強くならなければならない。

その必要性が、その義務感が、姫乃を更なる高みへと押し上げて行っていたのだ。



「もっと、もっと、もっと……!」



 剣は届く、剣を届かせる。仲間を護る為に、大切な人達を失わない為に。

故に己が力が届かない事を認めない、その為にただ自分を押し上げてゆく。

至上の剣士の称号などに憧れた訳ではない。ただ純粋に、仲間を護れないと言うその弱さだけが認められなかった。

だからこそ姫乃は渇望する。


 ――強くなりたい。


 皆を護る為だけの強さが欲しいと。

相手が理不尽なほどに強いならば、その分だけ強くならねばならない。

差が開いているのならばそれを埋める。決して手の届かぬ高みなど認めない。

必ず届くのだと、必ず己が力で届かせるのだと。



(もし、それでも届かないって言うんなら――)



 己が意識を周囲の空間に分散した無我の境地で、姫乃は己が想いの深淵に触れようとし――刹那、周囲の空間にノイズが響いた。



「――っ!?」



 同時、把握していた空間内に一つの気配が現れる。

一瞬怪異の本体が現れたのかと姫乃は身構えたが、すぐにそれが間違いである事に気づいた。

なぜなら周囲に走ったノイズの音と共に、現れていた無数の腕が苦しむようにぎこちない動きをした後、消滅してしまったからだ。

態々己の一部を苦しめるような真似を怪異がするとは思えず、姫乃は警戒を抜かぬまま近づいてくるノイズの方へと向き直る。

まるでラジオから聞こえてくるような雑音。それは、木々しか存在しないこの異界においては酷く違和感のあるものであった。

――そして、その気配の主が現れる。



「ああ、良かった。ようやく見つけられたよ」

「って、市ヶ谷さん?」



 木々の間から姿を現したのは、手に古ぼけたラジオを持った市ヶ谷浩介その人だった。

彼はその手に持ったラジオから雑音を垂れ流しつつ、安堵の表情を浮かべて姫乃へと声をかける。



「怪我は無いかい、篠澤さん?」

「あ、はい。大丈夫ですけど……市ヶ谷さんはどうやってここに?」

「君たちから話は聞いていたからね、追加の連絡も来たし、出来る限り急いできたんだが……さっきの様子じゃ、俺の助けが無くても何とかなったか」

「あ、いえ。助かりました。杏奈ちゃんを探さないといけないので」



 構えていた木刀を下ろし、姫乃はぺこりと頭を下げる。

その表情の中には、先ほどまでの強い念を抱いていた鋭い刃のような気配は存在しない。

頭を上げた姫乃は、そのまま周囲へと視線を走らせる――が、生憎と浩介以外の気配は存在していない。

アレだけ暴れまわっても、その音は杏奈には届かなかったようだ。

探さなくては、と逸る気持ちを何とか押さえつけ、姫乃は目の前の男性へと疑問を投げかける。



「あの、杏奈ちゃんを見かけませんでしたか? 一緒に来てると思うんです。早く見つけないと……!」



 問いかける声は若干ながら上ずっており、それを聞いて初めて、姫乃は己の焦りを自覚していた。

怪異を倒しきれば外に出る事が出来る、そうすれば杏奈を助けられると、漠然とそう考えていたのだ。

けれどいくら斬ってもきりが無く、異界が晴れる気配もない。刃を振るう事に集中していたためか時間の感覚など殆ど無かったが、それでもそれなりの時間が経ってしまっているだろう。

そんな姫乃の焦りを感じ取ったのか、浩介は落ち着かせるように手を振りながら声を上げた。



「大丈夫だ、彼女のほうにはヒサルキが行っている。すぐに見つけ出して助けてくれるよ。それに、ヒサルキならば俺の位置をすぐに見つけられるからな。少しすれば合流できるだろう」

「そう、ですか……よかった」



 まだ安心できる訳ではないが、その言葉だけでも幾分か心が軽くなる。

その感覚を噛み締めながら、姫乃はふと、未だに雑音を流し続けているラジオの方へと視線を向けた。

骨董には決して詳しいとは言えない姫乃にすら分かる、古めかしい時代を感じさせるようなラジオ。

それから流れる雑音があの怪異を退けたのだと言う事は、姫乃にも容易に想像できる事ではあった。

少なくともテリアからそのような道具の事は聞いた事が無かったのだ。



「あの、市ヶ谷さん。そのラジオって、一体?」

「ああ、これか? このラジオは、昔怪異に取り付かれていたラジオなんだ。その怪異は既に祓われているけど、その後に残った道具を利用してるって訳だね」



 怪異が取り付いていたラジオと言う事で姫乃は一瞬身構えるが、既に実害が無いと言う言葉を聞き、ゆっくりとそれに近づいてゆく。

見た目は茶色の、木で出来ていると思われる品。普段電気屋で見るような黒い機械的なものではなく、どこか温かみの感じる事が出来る品である。

そのスピーカーからは未だに雑音が流れており、周囲には機械的な音が響き渡っていた。


 ――否。



「ん? これ……もしかして、人の声ですか?」

「へぇ、よく気づいたね。うん、これは俺の声を録音したものだよ。それをいくつもいくつも重ねて、雑音のようにしているんだ」

「重ねて……? それじゃ、聞けなくないですか?」

「ああ、まあ俺にも聞く事は出来ないね」



 姫乃の問いに対し、浩介はどこか苦笑するような色を滲ませながらそう答える。

そんな彼の言葉に対し、姫乃は思わず疑問符と共に首を傾げていた。

聞けないような音を録音する事にいったい何の意味があるのか。そして、そんなものがどうして怪異に対して有効なダメージを与えられたのか。

いかに怪異に慣れてきているとはいえ、未だ知識が多いとは言えない姫乃には、その原理を想像する事が出来なかったのだ。



「えっと……その、どういうことですか? 怪異を倒す方法って、自分の声を沢山聞かせるって言うのもあるんですか?」

「まあ、厳密に言えば違うけどね。このラジオの中には、俺が今まで解決してきた怪異に関する詳しい話をいくつもいくつも録音してあるんだ。

君も知っているとは思うが、怪異って言うのは要するに情報の塊だ。このラジオはつまり、情報に対してそれ以上の量を持つ大量の情報をぶつけているような物なんだ」



 言うなれば、それは単純な力押し。コップ一杯の水を風呂桶の水で押し流すようなものだ。

実際のところ、かなり単純で分かりやすい手ながら、非常に手が込んでおり時間をかけた仕掛けであることが伺える品だ。

イメージとしてそれを掴む事ができた姫乃は、感心したようにラジオを覗き込んでいた。



「つまり、情報を上書きするって言う事ですか?」

「……」

「え、あの……ごめんなさい、私何か間違えましたか?」

「あ、ああ、いや。間違ってないよ。むしろ、一発で正解を当てられたからびっくりしただけだ」



 思わず目を見開いていた浩介は、居心地悪そうな姫乃の様子に慌てて相好を崩す。

姫乃の言った事は間違いではない。むしろ、限りなく正解に近い答えであった。

情報を更なる情報で上書きし、消滅させる。

しかしそれは、上書きする事そのものに主眼を置いたという訳ではない。

怪異と相対するには、まずイメージが重要となるのだ。



「ええとだね、つまり怪異っていうのは情報な訳だ。俺たちが情報と聞いてイメージするのは、コンピュータの文章とかだろう」

「あ、はい。そうですね」

「一般大衆に認識されている物事――それは即ち、怪異を構成するものと同じだ。だからこそ、俺は怪異それぞれ個別に存在する対処法を調べるのと同時に、どのような怪異に対してもある程度の効果が期待できる武器も作ったんだよ」

「今ある情報を消すには、情報を上書きすればいい……そういう一般のイメージを利用している、って事ですか」

「ああ、そういう事だよ」



 さらに言うなら削除デリートすればいいという事ではあるのだが、さすがに現実に発生している現象をボタン一つで消す方法は中々思いつかない。

故にこその回りくどい方法ではあったのだが、それでも実際に使ってみれば中々に効果は高かったのだ。

少なくとも先ほどのように、怪異の末端程度ならばすぐさま一網打尽に出来る程度の威力はある。

流石に、本体を一瞬でと言う訳には行かないのだが。



「こんな仕事していると、こういう手札も欲しくなるものでね……さて、これからどうする?」

「えっと……杏奈ちゃんの方には、ヒサルキさんが行ってるんですよね?」

「ああ、もう合流してるだろう。向こうの方は怪異の気配は少なかったが、あの子は少し特別な気配をしてるからすぐに見つけられる筈だ」



 そんな浩介の言葉に姫乃は小さく頷くと、しばし口元に手を当てて黙考した後、ぐるりと周囲を見回した。

姫乃はそのままゆっくりと気配を探り、先ほどまでの匂いが濃い方向を見つけ出す。

間違いなく、先ほどの怪異の本体はその方向に存在していた。



「……杏奈ちゃんの安全が確保されてるなら、問題ないです。むしろこっちが注目されてる内に、相手の事をやっつけちゃいましょう。私も手伝います」

「そこは必要ない、俺に任せてくれ、と普段なら言う所なんだがな――」



 言って浩介は苦笑を浮かべ、そしてその視線を姫乃の木刀のほうへと向ける。

先ほど入ってきたばかりの浩介ではあるが、ここに来るまでに多少時間を要してしまった事を自覚していた。

そしてそれだけの時間があれば、怪異が人間を殺す事など容易いと言う事も、過去の経験から十二分に知っていたのだ。

それ故に、怪異に集中的に狙われながら傷一つない姫乃は、最早異常としか呼べぬほどの戦闘力を有している事になる。

あくまでも、浩介の感覚では、だが。



「篠澤さん、君の持っている木刀は……」

「あ、えっと……こ、こういう事もあろうかと買っておいたんです、お土産物屋さんで」



 姫乃の動揺は、趣味で木刀を買ったと知られては杏奈と同じように呆れられてしまうと思ったが故の事であったが、生憎と浩介が気にしていたのはそんな点ではなかった。

これがもしもいづなから譲られた高級品であったなら、何らかの曰くつきである事を疑っただろう。

しかしながら、姫乃が今手にしているそれは、どこにでも売っているような量産品。

素人が下手に使えば簡単に折れてしまうような品であった。当然ながら、そんな物で怪異と戦う事など出来はしない。



「君は……一体どうやって怪異にダメージを与えているんだ?」

「え?」

「いや、先ほどの話を聞いていたなら分かると思うんだが、普通は怪異に物理的な攻撃をした所で大して意味は無いんだ。確かに物理的に存在を得ている以上、触れる事も出来るし弾き飛ばす事も出来るが、それは有効なダメージには成り得ない」

「え……それじゃあ私、どうやって……?」

「いや、それを聞きたいのはこっちなのだが」



 小さく肩を竦め、浩介は首を捻る。

しかしながらいくら考えた所で、その理由を考え付く事などで気はしなかった。

調べようにも今この場では出来る事など限られており、考えれば考えるほど疑問が増えてゆくだけである。

ならば、と浩介は思考を切り替えることを選択した。

今この場で考えても分からないのならば、気にするべきではない。



「気にはなるけど、今その事を考えるのは止めておこう。それより、君の攻撃が怪異に対して有効な打撃になるんだ、チャンスが増えると考えたほうがいいだろう。

俺としては、女の子を前線に立たせるなんて事はやりたくないんだが……」

「私、戦います。杏奈ちゃんを護りたいんです」

「……覚悟は堅そうだね。けど、決して無理はしないように」



 嘆息を零しながら、浩介は頷く。

姫乃の行動原理を、彼女のその一言だけである程度理解できてしまったのだ。

そして、それがどれほど強固なものであるのかも。



(あんたの言った通りって訳か……)



 胸中で小さく呟き、再び気づかれない程度の嘆息を零す。

そしてそれと同時に気を取り直すと、浩介は姫乃に対して首肯した。



「よし、それじゃあ行こう。ラジオがあるからある程度は大丈夫だと思うけど、油断はしないようにね」

「はい。市ヶ谷さんは賢司君や先輩の大切な人ですから、背中はしっかりとお護りします」



 真っ直ぐと頷く姫乃と、それにどことなく曖昧な苦笑を浮かべる浩介。

そんな二人は、そのまま迷う事なく、怪異の最深部へと向かっていったのだった。





















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