65:奥へ
周囲に響くのは二人分の足音。
こんな光の差さぬ場所でも地面はしっかり腐葉土になっているのか、それはあまり大きい音とはいえなかったけど、それでも他に音の存在しないこの異界の中では不自然なほどに大きく響いていた。
この森の中には、生き物が存在しない。動物も、虫もいないのだ。だからこそ、そういった存在が立てる音もないのだ。
そう言葉で納得できていたとしても、この状況は不気味極まりない。故に――
「……ねぇ」
「ん、何だい?」
「えっと……何か話してよ」
「これはまた、無茶振りを飛ばしてきたねぇ」
私の言葉に苦笑するヒサルキに、こちらもまた曖昧な笑みを返す。
分かってる、何の脈絡もない事は。けれど、そうでもしなければ落ち着かなかったのだ。
青黒い森の中では景色の変化が全くと言っていいほどなく、時間の経過どころか自分がきちんと進んでいるかの実感すらも曖昧だ。
若干ながら、あの狂ってしまった男の気持ちも分かると言うものである。
こんな場所にいつまでもいたら、頭がおかしくなっても仕方ない。
「多少怪異には慣れてきたけど、あの時は皆がいたしね……一人はきついって実感してるところよ」
「へぇ」
「……何よ、その妙な反応」
変わらぬにやついた笑みでこっちを見つめて来るヒサルキに、私は思わず半眼を返す。
こいつの事だ、一体どんな嫌味が飛んでくるか分かったものじゃない。
そんな警戒心に思わず身構えれば、ヒサルキは大方予想したとおりの言葉を発してきた。
「いやぁ、素直じゃない君が随分あっさりと心の内を明かしてくれたなぁと思ってね」
「ひねくれてて悪かったわね」
色々と穿った物の見方をするのは性分なんだから仕方ないだろうに。
ヒメに向けられる悪意やらなにやら、そういうのをずっと防いできたのは私なんだ。
だからこそ、私は相手の悪意には敏感だし、まず最初に疑ってかかる。
我ながらいい性格ではないと思うけれど、それでも後悔はしていなかった。
そんな事を考えていた、ちょうどその時――ヒサルキは歩きながら、私の方へと声をかけてきた。
「じゃあ、少し質問でもしようか」
「質問……?」
再び、思わず身構える。
いくら友好的といっても、相手は怪異だ。それにウツロよりも遥かにひねくれている。
まあ、ひねくれてる云々に関しては私も人の事は言えないけれど。
ともあれ、ヒサルキはそんな私の様子を気にする事もなく、ひらひらと手を振りながら声を上げた。
「君は、あのお友達の女の子の事をどう思っているのかな?」
「ヒメの事? どうしてそんな事を気にする訳?」
「ボクが怪異だから、では理由にならないかな?」
その言葉に、私は思わずはっと息を飲む。
ヒメが怪異に狙われる理由、それは未だに良く分かっていない。
どうしてヒメだけが狙われるのか、そんな事をして怪異たちに一体どんなメリットがあるというのか。
分からないけど、かつて日記の杏奈に聞いた時には分からなかった理由……それが、多少なりとも聞けるかもしれない。
「私が、ヒメの事をどう思っているか、か……」
正直な所、色々複雑ではある。
私がヒメに対して抱いている感情は、一言では語り尽くせないものなのだ。
「まあ、そうね。とりあえず、大好きなのは確かよ。私の親友だから」
「ふむ、とりあえずね」
ちょっと口を滑らせてしまったか。こいつ、耳聡い上に抜け目がない。
ともあれ、私がヒメの事が大好きなのは確かだ。
幼い頃からずっと一緒にいた。気弱で私の後ろを付いて来ていたヒメに対し、私は妹を見るような感情を抱いていたのだろう。
護ってあげなくちゃと思って、トモと一緒にヒメを引っ張って行っていた。
そして、トモが嶋谷と友達になって、それから一緒に遊ぶようになって――――
「頼りなかったけど、素直で、ころころ笑って……いつもいつも一生懸命なあの子が、大好きだから」
ヒメのおかげで私は友達が出来なくなってしまったけど、それでもいいと思っていた。
私は本当に、心の底から、あの三人がいれば友達なんていらないと思っていたのだ。
まあ最近は梓や深琴といった友達も出来たし、いなくてもいいと言う訳じゃないんだけど。
でもまあ、それぐらいに、ヒメの存在は私にとって大きなファクターとなっていたのだ。
「まあ、最近はうちの知り合いのせいでやたらと頼り甲斐があるようになっちゃって、嬉しいやら悲しいやら」
「自分が護る立場でいたかった、かい?」
「それはあるかもね。でも、現状でも私があの子を護ってる部分はある訳だし、いいバランスになったんじゃないかしらね?」
ヒメは頭がよく回るくせに、行動は結構直情型だ。
感情任せに行動してしまう事が多いから、慎重さが必要になる場面では私の方があの子を護っている事も多い。
あの子としても、私達に護られっぱなしである事に負い目を感じていたようだから、今のような状況がちょうどいいのかもしれない。
まあ、そのせいで最近は若干危うさを感じない訳ではないんだけど。
「とにかく、あの子の事は大好きよ。もちろん、人間なんだからそんな一言で言い切れるようなもんじゃないけど」
「ふむ……ボクには君が、何かを遠慮しているようにも見える。負い目にも近い何かだね」
「……怪異の癖に、人の心に敏感なのね」
「そりゃあ、人間に憑く怪異だからね。人間の事はしっかり観察してるさ」
こいつ、意外と身近な存在なのかもしれない。
だからと言って気を許すという訳じゃないのだけれども。
しかし、こちらを観察してくるその視線は、何か見透かされているようで酷く居心地が悪かった。
「ああ、そうそう。賢司って言う人の事は聞いてもいいかな?」
「遠慮してるような言い方してるけど、聞きだすつもりなんでしょ? 嶋谷はヒメと同じく私の友達よ」
「ふぅん、嶋谷ね」
頬を釣り上げるようなその笑みに――私は、瞬時に失策を悟っていた。
こいつは、さっき私があいつの事を昔の呼び方で呼んでいたのを聞いていたのだ。
名前で呼んでいたはずなのに、今は意識して苗字で呼んでいる。
それを悟られれば、どんな風に突っ込まれるかなんて簡単に想像できてしまう。
「わ、私だっていい年なんだから……いつまでも男の事を呼び捨てで呼ぶなんて恥ずかしいでしょ。さっきのはほら……昔の呼び方が思わず出ちゃっただけよ」
「へぇ……ま、いいけどね。しかし男ね、随分と相手の事を高く評価してるのか、それとも……いや、言わないでおこうかな」
厭味ったらしい言い方に、思わず私の頬が痙攣する。
だけど、ここで変に言い返せば余計に根掘り葉掘り聞かれるだけだろう。
言い終わってから考えてみれば、さっきのも聞かれてもいないのに弁明を始めたようなものだ。
無様にもほどがある……思わず自己嫌悪に陥りながら、何とか話の方向を変えようと試みた。
「それより、聞きたい事があるのよ!」
「うん、何かな?」
……何かこれ、冷静になって省みてみると、誤魔化そうとして無理やり話の流れを変えようとしているように見える。
割とあからさまで分かりやすい、分かりやすく白状してしまっているような態度だ。
いや、いい。気にしないようにしよう。
「あんた達怪異が、どうしてヒメの事を狙っているのか。怪異達はどうにも、あの子を狙って行動しているように感じるのよ。あんたも怪異だし、何か感じるものとか無いの?」
「ああ、成程。確かに、これは君たちには分かりづらい感覚だね」
意外にも、ヒサルキは追求してこなかった。
いや、これは『語るに落ちた』と言う事だろうか。それはそれで腹が立つけど、面倒だから気にしない事にしておく。
とにかく、今はヒメの話だ。
「と言う事は、あんたも何か感じてるのよね?」
「うん、そうだね。彼女は確かに特別で、特殊だ。怪異からしてみれば、彼女の存在はとても魅力的に映る事だろう。まあボクは、人間を襲わない怪異だからその辺はどうとでもなるけど」
言って、ヒサルキは肩を竦める。
逆に言えば、もしもこいつが人を襲う怪異だったら、あの話し合いの時も危なかったのかもしれない。
市ヶ谷さんはその辺も分かっていてあの話し合いの場を設けたのかどうか……まあ、今はいい。
気になったら後で聞いておけばいいだろう。今はそれよりも、怪異がヒメの事を狙う理由だ。
「魅力的ってのはどういう事? 外見とか、そういう理由じゃないんでしょう?」
ヒメは確かに美少女だけど、怪異共が外見目当てに群がってくるとは到底思えない。
けれど、別の理由を問われても思い浮かばないのは事実。ずっと一緒にいた私でも分からないのなら、怪異特有の理由と考えるべきだろう。
まあ、灯台下暗しと言う可能性はあるけれど、今はその可能性は考えないでおく。
目の前に答えを持っているかもしれない存在がいるのだ。それなら、そっちの話を優先的に考えるべきだろう。
「何が、と言われてもなかなか表現が難しいんだけどね……あえて言うなら、気配かな」
「気配って……いや、気配が魅力的って意味分からないんだけど」
「ボクも自分で言ってて微妙だとは思ったけど、そう表現するのが一番近いんだよ。彼女の……魂なのかな、アレは。とにかく、そういう部分からボクらに近い気配を感じるんだ」
その言葉に私は驚愕を覚えながらも、その言葉をゆっくりと飲み込んでいた。
正直な所、理解が及ばない。現状分かるのは、ヒメの内側に怪異が魅力を感じる何かが存在していると言う事だろう。
そうであるからこそ、ヒメは怪異に狙われている。けど、どうして今になってなのだろう。
昔は、怪異に巻き込まれるような事なんて無かったのに。
分からない、もっと情報が必要だ。
「怪異と似た気配って言っても、ヒメは怪異なんかじゃないわよ。似た気配ってのは一体どういう事?」
「んー……ボクら怪異は噂話が元となって発生する。だけどそれだけじゃなく、ボクらを発生させている根本となるような法則が存在しているんだ。法則が無ければ現象は起きない、これは当たり前の事だね」
「何か無理矢理当てはめられたみたいだけど……まあ、納得しておくわ。けど、法則って――」
そこまで言って、私ははたと言葉を止めた。
待て、ちょっと待て。何かが引っかかる。『怪異を発生させている根本』――そういう感じの言葉を、最近耳にしなかったか。
そう、アレは確か、学校の七不思議の時。
――この世界で起こっている『怪異』という現象、それそのものが、とある超越者の力によって発生している現象なんです――
そうだ、桜さんは確かにそう言っていた。
その怪異を発生させている根本と、ヒメは同じ力を持っている?
怪異達は、ヒメが持っているその力を狙っているって言う事?
なら目的は何だと言うのか。同じ力を持っているから危険視している?
あるいは、力を奪い取って己が力とする事?
分からない、分からないけど――
「ヒメは、お兄ちゃんたちと同じ類の力を持ってる……」
考えてみれば、異界の中におけるヒメの戦闘能力は異常だ。
竹刀で怪異を叩き斬ったりなんて、ただでさえ頑丈な怪異を相手にに出来るはずがない。いや現実でも出来るわけ無いけど。
なら、それは何らかの特殊な力であると考えたほうが自然だ。
そしてヒサルキが言う事が確かなら、何故今になってと言う疑問の答えは僅かながらに想像できる。
いづなさんから聞いた事があるのだ。あの力は、同じく力を持っている人が近くにいると徐々に成長していくと。
つまりそうして成長したために、怪異に発見されてしまったのだろう。
「ふむ、何かヒントになったかな」
「ええ、ありがとう。これは結構大きな手がかりになると思うわ」
「どういたしまして。まあボクとしてはあまり関係のない事だし、頑張ってくれ」
どうやら、本気でそこまで興味は無いらしい。
こいつも本当に謎の存在だ。まあ、以前言っていたとおり、怪異に目的なんてものは存在しないって事なんでしょうけど。
とりあえず今は市ヶ谷さんに協力しているだけって感じなのか。
「……ん?」
そういえば、市ヶ谷さんは何でヒサルキのことを知っていたのかしら。
単に昔会った事があるというだけでも、まあ納得は出来るんだけど……何かが引っかかるような気がする。
何だろう、この感じ。一体何が――
「おっと、話してる間に少しペースが落ちてしまったかな。少し急ごうか」
「あ、ちょっと待ってよ」
思考の隙間に入り込むようなヒサルキの声に、私は意識を元に戻す。
まあ、今考えても仕方ないだろう。必要以上に急いで消耗するのも拙いけど、あまりゆっくりもしていられない。
色々と分かった事はあるけれど、今すぐに考察しているような暇は無い。
「……よし、行こう」
私はそう小さく決意を固め、ヒサルキの後に続いて怪異の気配の濃いほうへと進んでいったのだった。




