60:隠れ婆
当然と言えば当然のことではあるのだけれど、こういう場所にあるアスレチックは大抵、複数人が同時に通り抜けられないような場所がある。
ロープに掴まって滑車で滑り降りたりとか、滑り台のようなものがあったりとか、まあ色々だ。
メンバーがやたらと張り切っていたおかげで殆ど一番乗りでアスレチックコースへとやってきたおかげで、まだ殆ど人がいない内に入る事が出来た私達であるが、それでもある程度は詰まってしまうものである。
まあ、流石に他にいるのは一般の人である為に、その辺はちゃんと配慮して道を譲ったりはしていたけれど、そういう心遣いは普段の時から行って欲しいものである。
そういうこともあって何とか走らずに付いて行けている私たちは、ギャーギャー騒ぎながらアスレチックを攻略してゆく面々を呆れた表情で見つめていた。
「何て言うかこう、元気が有り余ってるわよね」
「あ、あははは……」
ぼやくような私の言葉に、梓は乾いた笑みで答える。
トップを肩を並べて走る深琴と大河内、そして木刀を持ったままながら付かず離れずで付いてゆくヒメ、若干遅れつつある相場。
まあ、あの体力バカ共の後に付いて行けてるだけでも大したものだとは思う。
そしてヒメに関しては、気持ちは分からないでもないけれど、木刀は何とかした方がいいと思うのだけれども。
ぶっちゃけ、かなり邪魔になっている。網に引っかかったり木にぶつかったり、ちゃんと包装はしたままではあるのだけど、無駄に目立ってしまっていた。
私に預けておくとかそういう選択肢は存在しなかったのかしら。
「それにしてもヒメちゃん、凄いんだね」
「まあ、最近は段々人間離れしてきてると言うか……」
いづなさんとの修行もきちんと形を結んできたと言うべきか、最近のヒメは徐々に実力を増してきている。
おかげで朝の修行風景は人外魔境極まりないものになってきているけれど、その辺りはもう慣れた。
目で終えないぐらい無茶苦茶な動きをしながら剣を振り回していても、そういうものなんだと思うようになってきたのだ。
まあ、それでもいづなさんやお兄ちゃんには遠く及ばないみたいだったけど。
「化け物相手にしてると、ああいうのも結構バカにならないものよ。まあ、下手に戦えるからって調子に乗ると危険だけど」
「まあ、確かに……」
この間の学校の七不思議の事を思い出しているのだろう、梓はげんなりとした表情で頷いて見せた。
あの怪異はどいつもこいつも危険なものが多かったから、梓のその反応も無理からぬものだろう。
あのときの奴はヒメの腕ではどうしようもないようなレベルの物の方が多かったし。
「まあでも、梓は信じられないかもしれないけど、そこまで危険じゃない怪異だっているのよ。ある程度までだったら、ヒメの剣術でも十分対処できたりするから」
「あ、うん。まあ、いい怪異もいるよっていうのはヒメちゃんから教えてもらってたけど……杏奈ちゃんの日記もそうなんだっけ?」
「そんな事まで話したのか、ヒメ……」
あの日記帳の事はあんまり言いふらしたくはないのだけれども。
まあ事情を知っていてくれれば、目の前で出しても大丈夫になると言えばそうなんだけど。
ぶっちゃけ、見た目は日記に向かって話しかけている痛い子である。あんまり人前でやりたくない。
「……まあとにかく、ヒメがその気になっていれば、怪異と相対してもある程度は対処できる。安心して、とは言えないけど……でもまあ、何とかするわ」
「……うん、ごめんね」
やっぱり、怪異を知っている身でありながら私たちに協力できない立場に引け目を感じているのだろう。
まあ、仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。
梓は怪異がトラウマになっているみたいだし、いざと言う時の度胸はあるけど役立つスキルがあると言う訳でもない。
無理して関わっても碌な目に遭わないのだ、引け目を感じる必要など無いだろう。
そう、胸中で小さく苦笑する。
「こっちこそごめん。折角の旅行なのに、厄介なもの呼び込んじゃったみたいで」
「ううん、そんな事ないよ。元々起きてた事件なんでしょ? 偶然だし、仕方ないよ」
「……ええ、そうね」
偶然、か。
これが本当に偶然ならば、多少は気が楽になるものなのだけれど。
でも、きっとこれは違う。ここ最近であった怪異は全て、ある目的を持って現れた存在だろう。
そう――あいつらは全て、ヒメを狙っている筈だ。
怪異が現れなければいい、それは確かにそう思ってはいる事だ。けれど、そう思えるほど楽観的な思考をしているわけじゃない。
これまでの経験から鑑みるに、怪異がヒメを狙ってくる可能性はかなり高いだろう。
「……ったく」
小さく毒づき、嘆息する。
別にヒメが悪いわけでもない。梓だって、責任を感じる必要なんか全く無い。
あえて言うなら運が悪い――そういう事だろう。
文句も言いたくはなるけれど、今更言った所で仕方がない。
若干、もしも今年度の始め、怪異調査部に入らなかったらどうなっていたのか――そんな事は多少気になったりするけれど。
「何とかするしかない、って訳ね。やってやるしかないか」
一人ごちながら嘆息し、視線を上げる。
――そして、絶句した。
「ッ……!?」
空気が凍る、そんな錯覚。
横向きに張られた網のようなロープの向こう、木々の立ち並ぶ林の中。
一目見ただけでは見失ってしまうような、青黒い影。
けれど、それの放つ異様な気配は、この距離からでも肌で感じる事が出来るほどに強大だった。
日陰で薄暗く、分かりづらいが――そこにいたのは青黒い着物を着た一人の老婆。
髪は白髪交じりの黒髪で、市ヶ谷さんから聞いたあの名前ほど年を食っているようには見えない。
けれど曲がった腰やその陰鬱な雰囲気は、決して若者の持っているような姿ではなかった。
「ヒメッ!」
「え――――」
横に張られた網を渡っていたヒメが、私の言葉に顔を上げる。
その表情は何がなんだか分からないと、状況を理解していないように見えた――が、次の瞬間、怪異の気配に気づいたのか、すぐさま表情を引き締めていた。
その向こうで、怪異はゆっくりと顔を上げる。
しわくちゃのその顔はどこか能面じみており、現実から乖離しているような違和感を強く感じさせる。
そう、違和感。この違和感は――
「拙い……ッ!」
「あ、杏奈ちゃん!?」
咄嗟に駆け出した私の背中に、引き止めるような梓の声がかかる。
けれど、それは聞けない。むしろ、後々のフォローをして貰った方が助かる。
また迷惑をかけてしまうのは申し訳ないけれど、今ここで足を止める訳には行かない……!
地面を強く蹴り、ヒメの方へと手を伸ばす。
そしてそれに同調するかのごとく、老婆――隠し婆もヒメの方へと手を伸ばす。
距離は遠く、届くはずもない場所。けれど、あの怪異から放たれる強烈な違和感は、私が駆けるよりも速く広がってゆく。
間違いない、恐れていた事態だ。広がってくる気配からして、ヒメしか狙っていないのは分かるけれど――
「間に合え……ッ!」
横網から飛び降りたヒメへと手を伸ばす。
距離にして後1mも無い。一歩踏み込めば届く距離。
けれど――怪異が、その一瞬を制していた。
歪む不快な気配が、ヒメを背中から飲み込んでゆく――――
「ッ、ああああああああああッ!!」
このままでは閉じてしまう――その確信に、私は思い切り地面を蹴っていた。
閉じようとしているその歪みの中に、無理やり自分の身体を押し込むように。
そして、次の瞬間――
「づッ!?」
――視界は一瞬で黒く染まり、私は地面に叩き付けられていた。
周りに見えるのは鬱蒼と生い茂る木々。夜のように暗いのに、なぜか周囲を見通す事ができる不思議な空間。
私は体を打ち付けた鈍い痛みに眉根を寄せながらも、ゆっくりと身体を起こしていた。
「やっぱり、異界……っ、ヒメ!? ヒメ、どこにいるの!?」
大声を上げて周囲を見渡す。けれど、私の視界の中にはどこにもヒメの姿を確認する事はできなかった。
この異界にはいる時、私は結構無茶な入り方をしたから、その時に分断されてしまったのか。
私は思わず舌打ちしながらも立ち上がり、すぐさま周囲へと視線を走らせた。
ただ木々が生い茂るだけの空間。もうすぐ初夏と言う季節だと言うのに若干肌寒く、青と黒の交じり合った闇は不快感を催す。
周囲にはヒメの姿もあの怪異の姿も確認する事ができず、私は完全に独りとなっていた。
「とりあえず一人ぼっちで追い回されなかっただけマシだけど……状況は最悪の一歩手前ぐらいね」
私一人で怪異に出会っては対処の仕様がない。
かといって、ヒメ一人で行動させるのにも不安が残る。
とにかく合流しなくてはならないだろう。しかしこのただっ広い空間の中、どうやって合流すればいいのか。
「大声上げて怪異を呼び寄せちゃうのも……ああでも異界の中だし、向こうはこっちの動きぐらい把握してるのか」
学校の七不思議の時は桜さんがそんな感じの事を話していた。
となれば、招かれざる客がこの中に入り込んでいる事も、向こうは既に気が付いているだろう。
音の聞こえない森。生命の感じられない空間。
不気味と言う言葉すら通り越し、最早異様としか言えない場所だ。
まあそんなのは、異界に関して言えば今に始まった事ではないのだけれども。
「……はぁ」
思わず、私は溜息を零す。
そんな小さな吐息の音も、音の全く聞こえないこの空間の中では思いのほか大きく響き渡っていた。
それに私は思わず口を噤み、そして全く何の反応も無い事に肩を落とす。
別に怪異に出てきて欲しい訳ではないけれど、何の気配もしないこの場所にいつまでもいては気が滅入ってしまいそうだ。
いや、気が滅入る程度ならいいが――
「流石に、精神的にきついわ」
ぼやきつつも、私は歩き出す。
正直な所、何をどうすればいいのかなんてさっぱり分からない。
本当にこの異界の中にヒメはいるのか……一緒に放り込まれたんだから流石にいるとは思うけれど、何故離れ離れになってしまったのか。
けれど、もしもここが違う異界で、私とヒメは完全に離れ離れになってしまっていたとしたら――
「……やめやめ、考えないようにしよう」
話す相手がおらず、自然と口数は減ってゆく。
けれど、独り言でも何でもいいから耳にしていなければ、気が狂ってしまいそうだ。
心細い、不安だ……言いつくろう事なんて出来はしない、私は一人じゃ何も出来ないから。
と言うより、私の役目は皆の行動と皆の意見を観察して、その上でやるべき事を提案する事。
私は皆と一緒だからこそ思い通りに動く事が出来ていたのだ。
「……はぁ」
再び、嘆息。
ああ全く、本当に脆いものだ。普段怖がりのヒメをからかってるくせに、いざと言う時は私の方が怖がりで。
逆にヒメは、こういう状況だからこそ奮起する事ができるんだろう。
そんな強さが、私にとっては羨ましくて。
――だから私は、負けを認めたんだ。
「ヒメ……お願い、ヒメ」
自分でも何が言いたいのか、その判断が出来ない。
ただあの子に対して思っている事がたくさんありすぎて、溢れてきた言葉を形にする事が出来なかったのだ。
それでも、たった一つだけ言える事は――
「無事でいてよ、ヒメ」
私は、ヒメの事を心の底から案じている。
私はあの子の事が大好きだから。そして、皆で過ごす日常を何よりも大切に思っているから。
だからこそ、ヒメがいなくなるような未来を認める事はできない。
だからお願い、無事でいて。私の日常を、傷つけないで。
もう二度と、私の日常を欠けさせたくない。取り戻したんだから、お兄ちゃんを。だからもう、誰も欠けないで。
ぐるぐると、思考が回る。
こんな状況だからだろうか。思いつくのは、私がいつも心の底で思っている事ばかり。
ヒメを見つけなきゃとは思いつつも、こんな心の内を聞かれたいとは思わなかった。
そんな自己矛盾した私自身に、小さく苦笑を零してしまう。
「とにかく、誰でもいいから探さないと」
もしかしたら、この空間には例の失踪した三人もいるかもしれない。
少なくとも一人でいるよりはマシだ。このままでは本当におかしくなる。
この中では電話も通じないし、外への連絡手段なんて全くない。
市ヶ谷さんは異変に気づいてくれるかもしれないけど、ここまで救援にこれるのかどうかは分からない。
とにかく、移動して声をかける。これしかないだろう。
幸い周囲は薄暗くありながらも見通す事は出来る。移動にはそこまで苦労しないだろう。
闇雲に移動するのは危険だとは思うが、どこまで行っても異界の中なのだから自分の位置を見失った所で大差ない。
どの道、こんな薄暗い森の中で常に自分の位置を把握する事など、プロでも難しいだろう。
「鬼が出るか蛇が出るか……そっちは出ないで欲しいわね」
ぼやくようにそう呟き、私はとにかく人の姿を求めて森の中へと足を踏み入れて行ったのだった。




