59:怪異の領域へ
「ヒメ……さすがに、こんな所に来てまでそういうのを買うのはどうなのよ?」
「え、えっと……でもほら、皆を護るために、ね?」
市ヶ谷さんの所で話を終えて戻ってきてみれば、出発までは後十分という程度の時間になっていた。
話を難しい方向に持っていってしまっていれば面倒な事になっていただろう。
そうなると、あまり無駄な話をしなかったのは正解であったと言える。
ヒサルキの事や、怪異に目的が存在しないとか……まあアレは、一応有益な話であったとは思う。
まあそれはともかく――まだ若干時間があったためか、ヒメは途中にあった土産物屋に入っていたのだ。
そしてそこで買ってきたのは――
「……ある意味土産物の定番だとは思うけどさ。木刀ってあんたね」
「うう……だってやっぱり、武器が無いと不安なんだもん」
まあ、ヒメの気持ちは分からないではない。
ヒメは別に、自分の件の腕に絶対の自信を持っているというわけではない。
自分より強い相手がいくらでもいることぐらい、この子は十分に理解している。
その上で、この子は自分の剣に依存している部分があった。
或いは、そう――剣士としての自分に、か。
――剣を持つ自分は、強くなくてはならない。皆を護れる強さを持たなくてはならない。
思い描いた強い自分。仲間を護る為ならば、決して負けず決して折れない最強の剣である為に。
故にヒメは、剣を持つ自分を頼りにしている面があったのだ。
剣を持っている限り、絶対に仲間を傷つけさせないと、誰よりも強い信念を持っているから。
「まあ、自衛の手段が必要なのは確かだけどね……先生に注意されても知らないわよ?」
「大丈夫です。これでも優等生なんだから、ね?」
「確かに、ヒメが説得すれば多少は誤魔化されてくれるでしょうけどね」
まあ、相場がこれを買ってきた場合は没収されかねないけど、ヒメなら多少は誤魔化されてくれるかもしれない。
それに、ここまで着たらヒメもこれを手放そうとはしないだろう。
ヒメはすでに、剣士としての自分を己自身に重ねている。
仲間を護る覚悟を決め、恐怖の存在であるはずの怪異に正面から立ち向かう準備を終えているのだ。
そんな自分を保つために、ヒメは絶対に木刀を手放そうとはしないだろう。
いつだったかいづなさんから貰った木刀があればなお良かったんでしょうけど……流石に、無いものねだりをしてもしょうがない。
と言うか――
「……市ヶ谷さんに運んで貰えば良かったんじゃないの?」
「あ……え、えっとね。自分で持ってた方が落ち着くって言うか」
「あー、はいはい。分かったわよ、もうそれでいいわよ」
「ちょ、ちょっと杏奈ちゃん! 嘘じゃないんだよ、誤魔化してるわけじゃないんだよ!?」
「分かったっての」
もう既に市ヶ谷さんは出発してしまったかもしれないし、どっちにしろ今更戻っているような時間はない。
小さく嘆息を零しつつも、私はヒメを伴ってバスのほうへと向かっていた。
しかし市ヶ谷さんはいいけど、あいつも本当についてくるのか。
ヒサルキ――あの不気味極まりない怪異までもが。
一体なんで付いてこようと思ったのかは知らないけれど、私にとってみれば面倒な事でしかない。
何が悲しくて警戒する対象を一つ増やさねばならないのか。
確かに、ヒサルキは害の無い怪異なのかもしれない。
持っている能力は人を傷つける為のものではなく、むしろあの柿本恵に対して有益なものだった。
仮に私たちが怪我を負ったとしても、あいつがいれば何とかなるかもしれない。
が――それでも、私はあいつに対する警戒を解く気にはなれなかった。
「気をつけるしかない、か」
「ん? 杏奈ちゃん、何か言った?」
「いんや、何でも。ほらヒメ、とっとと行くわよ」
「あ、ちょっと待ってってば」
とりあえず、現状やれるだけのことはやった。
先輩への連絡は移動中にするとしても、他にやっておける事はないだろう。
後は現地で、可能な限り柔軟に対応する他無い。
「さて……ヒメ、とりあえず木刀は包みに入れたままにしときなさいよ。抜き身だと没収されるだろうから」
「それぐらい分かってるってば」
木刀を抜き身と表現するのが正しいのかどうかはともかくとして……一応の注意をしながら、私はバスの方へと向かっていった。
と――そこに、見知った人影を発見する。
周囲をどこか不安げな様子できょろきょろと見回しているそれは、間違いなく梓のものだった。
七不思議に相対する前、まだ大人しかった頃の小動物っぽいその仕草に、私は小さく笑みを零す。
「おーい、梓!」
「あ……杏奈ちゃん、ヒメちゃん! よかった……!」
私たちの姿を認め、梓は心底安堵したような表情を見せた。
どうやら、随分と心配させてしまっていたらしい。
まあ梓は他に相談できる相手もいなかっただろうから、結構心細い思いをさせてしまっただろう。
協力してくれた事も含めて、十分に感謝しなくては。
「ちょっと遅かったね、心配したよ」
「うん、色々話してたから。先生のほうは大丈夫だった?」
「勿論だよ。元々、優等生の二人だからね。特に何か聞かれたりする事は無かったよ。二人とも信用されてるんだね」
「別に、そこまで大したものじゃないよ」
感心した様子の梓の言葉に、ヒメは照れ気味な笑みを浮かべながらそう答える。
とはいえ、それは実際のところ事実だろう。
少なくとも先生は、私たちが進んで問題を起こすとは思っていまい。
まあ、木刀を持ち歩いている所を見られたらその限りではないだろうけれども。
「あ、ところで梓」
「ん? どうかしたの、杏奈ちゃん?」
「他の三人には何か聞かれなかった?」
「あー……まあ、ちょっとね。正直、私だけじゃ誤魔化しきれてないだろうから、後々自分で話しておいて欲しいかな」
「了解。しっかし、どう説明したもんかしらねぇ」
流石に馬鹿正直に話す事もできないだろう。
あいつらは誰も怪異の事を知らないのだ。アレはおいそれと話す事ができる内容ではないし、こちらとしても出来る限り伏せておきたい。
多少は知っている相場はともかく、深琴や大河内にこれを知らせるわけには行かない。
「ほら、もう時間もあんまりないし……そろそろ行こう」
「っと、そうね」
梓の言葉に頷き、私たちは彼女の後に続いてバスの中へと乗り込んでいった。
さて、ここからが本番だ。まずは先輩と話をしなくてはならない。
何としてでも怪異を退け、私たちの日常へと帰るために。
その為だったらどんな事でもする覚悟を決めて――私はヒメと視線を合わせ、小さく頷きあっていた。
* * * * *
姫の沢公園――――
名前に「ひめの」と付いているおかげか妙に親近感の沸くそこは、山の近くに位置している自然公園だ。
色々な花が咲き誇り、それも季節によってさまざまな情景を味わう事ができる。
自然の風景が好きな私としては、こんなタイミングでもなければ是非とも堪能したい場所であった。
この時期はどうやらツツジの時期であるらしく、そこらじゅうに薄紅色の花を見る事ができる。
まあ、流石にここのを摘んで蜜を吸ってみようとか、そういう事は考えないけれども。
とにかく私としてはそういった自然のものに興味を惹かれる訳なのだけれど――
「よっしゃ、アスレチックコース行こうぜ!」
「あはははっ、誰が最初に全制覇出来るか競争よ!」
「班行動だって言ってるでしょうが、止めなさい」
やたらと騒ぎたがる相場と負けず嫌いな深琴、そして深琴がやるとなれば乗らないはずがない大河内に、どっちかと言えば体育会系のヒメ。
こいつらからすれば、風景を見て楽しむより、アスレチックコースで身体を動かす方が遥かに楽しいのだろう。
この体力馬鹿共に付いて行くのは、私も梓もちょっと辛い。
まあ、アスレチックをクリアせずに横から付いていく程度なら大丈夫だろうけど。
ってか、今は私も梓もスカートだから、ああいうのはやりたくない。
幸い、ヒメや深琴はパンツスタイルだから大丈夫だと思うけれど。
「でも杏奈、折角なんだしさ、楽しまないと損じゃない?」
「それには同意するけどさ……せめて私や梓も付いて行ける程度にはしてよ。アスレチックはやらないから横を歩いて抜けるけど」
「それなら大丈夫でしょ! さ、行くわぐぇぇ」
「ここから走るな、せめて現地から一斉スタートにしなさい」
走り出そうとする深琴の襟首を掴み、私は嘆息する。
そのおかげで首が絞まったのか、思いっきり咽ながら私のことを恨めしげに見つめてくるが、こちとら班長だ。
班員の暴走を未然に防ぐのが私の仕事なのである。
断じて鬱憤を晴らそうとしていたのではない。ないったらない。
「ほら、アスレチックならアスレチックで、さっさと行くわよー」
正直な所を言えば、行きたくはない。
山の方へと入る道だ、行けば怪異に出会ってしまう可能性は高いだろう。
けれど、実際の所を言えば、今立っているこの場所ですら危険な領域である可能性は高い。
結局の所、どこにいても同じなのだろう。
班の皆を促しながらアスレチックコースへと向かうその途中、私は市ヶ谷さんに向かってメールを送信していた。
アスレチックコースに行っている事を伝えておけば、ある程度探しやすいかもしれないし。
「篠澤さん、それ、邪魔じゃない?」
「え? そんな事ないよ?」
大河内がヒメに対して当然と言えば当然なツッコミを入れていたけれど、その程度でヒメが武器を手放す事はないだろう。
その様子を視界の端に入れつつ、嘆息を零しながら、私は先ほど先輩から聞かされた話を思い起こしていた。
曰く――
『老婆を題材とした都市伝説は多様性がありすぎて特定できないし、本来の伝承から形を変えてるならなおさらだよ』
――との事だった。
まあ、私も先輩から借りた資料で多少は知っている。
たとえば、学校の怪談などで出てくる三ババアや四ババア。
これらは、特定の時間に特定の場所に行くと現れるとされる都市伝説だ。
特に四ババア、これは四時四十四分に学校のトイレに行くと現れ、別の世界に連れ去られてしまうとされている。
神隠しと結びつくと言われれば、成程確かに納得できるものだった。
まあ、これは学校のトイレに現れると明言されているので、今回現れたのはこいつじゃないだろうけれど。
なら、妖怪としてはどうだろうか。
これはこれで難しい。先輩は都市伝説には詳しいけれど、それに関連した妖怪でなければそこまで知っている訳ではなかったのだ。
多少ながら調べてもらったけれど、その結果分かったのは、市ヶ谷さんが言っていた『隠れ婆』という妖怪は本来熱海に現れる存在ではないと言う事だった。
神隠しを起こす妖怪の伝承は全国にある。これらを総称して『隠し神』と呼び、大体ナマハゲ扱いされているような存在だ。
要するに、遅くまで親の言いつけを無視して遊んでいると、隠し神がやってきて連れ去られてしまうぞ、と言う子供に対する脅し文句の定型文のようなものなのだ。
こういう話だったら、どこで形になっていてもおかしくないだろう。ただし、こいつらは本来、大人に手を出す事はない。
「……都市伝説と、怪異と混同されている、か」
市ヶ谷さんの言葉を思い出す。
この言葉の意味するところはつまり、妖怪の伝承と都市伝説の逸話が融合してしまったと言う事なのだろう。
先輩にも伝えたけど、反応はやはり芳しくなかった。
怪異って言うのは総じて理不尽だけれども、その正体が分かっていればある程度対策できる存在だ。
ヒサルキも言っていたけれど、怪異は特定の行動から外れる事はない――まあ、ある程度の例外はあるけれども。
とにかく、あらかじめ性質が分かっていれば手の施しようもあるのだ。しかし、今回はそれがない。
その場で素早く正体を察し、判断を下せる嶋谷や先輩がいない状態でのこの状況……正直、厄介極まりない。
「――おーい杏奈! 早く早く!」
「っと……あーもう、落ち着きないわねあいつらは」
「あはは……でも杏奈ちゃん、大丈夫?」
聞こえた声に顔を上げれば、無駄に元気な深琴がアスレチックコースの入り口で手を振っている所だった。
さっきまで隣にいたと思っていたのに、ちょっと思考に集中しすぎていたか。
おかげで、梓にも心配かけてしまった。
結構余裕がなくなってきていることを自覚して、私は小さく苦笑を零す。
「ごめん、梓。そっちにも迷惑かけてるわ」
「ううん、いいんだけど……これから、現れるかもしれないんだよね」
「うん。私はヒメから目を離さないようにしたいから、他の皆の事お願いできる?」
「事情が事情だしね、分かったよ」
自分も怖いのだろうに、気丈に頷いてくれる梓――彼女に対して感謝の言葉を口にして、私は視線を上げる。
戦わねばならないから――頑張らないと。




