40:人食いピアノ
中央棟二階、移動教室の際に使う部屋がいくつかある場所。
そこにある音楽室―――正確には、そこと繋がっている音楽準備室こそが、次なる怪異の舞台だ。
怪異の名前だけだったら、これまでの七不思議の中で最も物騒だったけれど、果たしてどうなる事やら。
今までの怪異、一番最初の以外は攻撃方法がはっきりしてなくて、良く分からなかったと言うのが正直な所なのだけど。
あんまり予想外の出方をされると、こちらとしてもかなり危険だ。
「とりあえず、皆大丈夫だね?」
そんな不気味極まりない部屋を前に、先輩は今一度私達を見渡してそう問いかけていた。
しつこいぐらいに私達の体調を聞いてくる先輩……部長として、私達のことを気にかけているのかしら。
普段いい加減だけど、この人は決して責任感が無いと言う訳ではない。
何だかんだでやるべき事はやる……そういう人だった。
だからこそ、そんな先輩の言葉に、私も真面目に返答する。
「精神的に疲れてる事は否定しませんけど、体力的にはまだ大丈夫です」
「……万全とは言いませんけど、この状況では万全の状態に自分を持ってゆく事は不可能でしょう」
「ふむ……まあ、それもそうか」
私と、そして桜さんの言葉に、先輩はコクリと頷いていた。
この人も、ここに来るまでの流れで、桜さんの事を信頼し始めているみたいだった。
まあ、『異次元の鏡』以外の三つの怪異で矢面に立って、私達のことを助けてくれていたのだ。
実力、実績―――共に信頼に値するものであると先輩は判断したのだろう。
それは、私としても喜ばしい事だった。
「……さっきも言った通り、今回の怪異は本来手を出さなければ何もしてこないタイプの物のはずだ。けれど、これまでの七不思議を考えると、必ずしもそうとは言い切れない。
十分に注意しなくてはならないよ……手を出さなければいいというタイプであっても、元々危険性はかなり高いんだ」
「……はい」
皆が皆、先輩の言葉に首肯する。
相手は危険極まりない怪異、しかも話しの上で死者の存在が告げられているような内容だ。
それ相応の危険があると見るべきだろう。絶対に油断してはならない。
「ま、いざとなったらぶっ壊せって事で」
「うう……貴重なものだと気が引けるよ、お兄ちゃん……でも、仕方ないよね」
とんでもなく高価な品物であるために、破壊する事に対して気が引けているヒメ。
私だって、流石に何百万何千万もするような品物は流石に気後れする。
まあ、準備室にある方は価値の低い方らしいし、そこまで凄いのかどうかは知らないけれど。
けど、桜さんならその辺りも全く遠慮なんてしなさそうね。
「……いっそ、最初からぶっ壊した方がいいのかしら」
「その方がいいのなら、私はそうするけど」
「いやいやいや、それが解決方法になるとは限らないんだから。下手したら怪異を終わらせられなくなっちゃうかもしれないから。まあ、緊急時なら仕方ないとは思うけど」
半眼を浮かべる先輩の言葉に、私ははっと正気に戻る。
危ない危ない、立て続けに起こる異常事態に、思考が大分危ない方向に行っていたようだ。
まあ、ぶっ壊した方が手っ取り早いんじゃないかと思ったことは事実だけど、普段ならそれを口に出すような真似はしない。
とにかく、その辺りは先輩の指示に従った方がいいだろう。
「でもまあ、危険がある可能性は非常に高い……また、矢面に立って貰って構わないかな、お姉さん」
「はい、最初からそのつもりです」
「……ありがとう。迷惑をかけてしまって、申し訳ない」
「いいえ、私が望んでやっている事ですから」
桜さんは、淡く微笑みながら先輩にそう告げる。
正直この人に任せっきりになってしまっていて心苦しいのだけれど、この人でなければ対抗できないような存在ばかりである事もまた事実。
『異次元の鏡』のように、私達でも何とか対応できるようなものの方が珍しいのだ。
実際、比較的安全であった『張り付き生首』でさえ、私達だけではどうにもならなかった訳だし。
「それじゃあ、お姉さんを先頭に……行くよ、皆」
そういえば、今更ながら怪異に関連する場所は何処もかしこも鍵が開いている。
私達の事を招き入れているという事なんだろうか。分からないけれど、開いているならば好都合だ。
まあ、閉まっていても先輩がピッキングか何かであけてしまうのだろうけど。
扉を開けて入った先は、音楽室の隣にある音楽準備室。
音楽室とは中の扉で繋がっており、こちら側には普段使わない楽器やら道具やらが色々と納められている。
そして、その奥の方……若干広くなっているスペースに、それはあった。
「……『人食いピアノ』」
小さく、嶋谷が呟く。
その声音は慄いているようでも、何かを期待しているようでもあった。
黒く重厚な出で立ちは、使われていないとは思えないほど艶やかである。
普段なら、それはただ『綺麗』だと言う感想しか持ち得なかっただろうけれど、今この場では魔性の魅力と化してしまっている。
近づく事が怖い―――現実から乖離していると錯覚するような、そんな存在感を持っていた。
まあ、この場が現実であるかと聞かれれば、また何とも言いがたい場所なのだけれども。
現在の所、ピアノは沈黙を保っている。
鍵盤を覆う蓋も、大きな天板も全て閉じられ、この状態では何も異常は感じられない。
この奇妙な存在感は、私達がピアノを気にしすぎているからという理由だけなのだろうか。
「……何も、起きない?」
「いや、元々触れなければ何も起きないタイプだからな。今この状態では何も起きないんじゃないか?」
「だからって触るのもね……って言うか、ピアノ弾ける人っているの?」
嶋谷の言葉にそう返せば、全員分の沈黙が帰ってきた。
どうやら、誰もピアノを弾いた事は無いらしい。まあ、習わなければ触れる機会なんて無いでしょうけれども。
何処がドなのかも分からないような人間では、ピアノに触れた所で意味は無いだろう。
適当に鍵盤に触れただけで何か起こるのかどうかは、まあ良く分からないけれど。
「……とりあえず、触るなら鍵盤の蓋の方で」
「まあ、下手したら死ぬ天板よりはマシだろうな」
私の言葉に対し、嶋谷はそう同意を返す。
まあ、そういう事だ。落ちてきても精々指の骨を折るだけで済む蓋の方が、天板よりもいくらか安全だろう。
いや、指の骨だって折りたくはないけれども。
「開けるなら私がやるから、皆はまだ下がっていて」
「桜さん……ごめんなさい、お願いします」
危険な場所に足を踏み入れるのは結局桜さんの仕事で……申し訳なく思いながらも、私は引き下がる。
しかしそんな私の表情に、気にしていないとでも言うかのように笑顔で首を振りながら、桜さんは真っ直ぐピアノの方へと歩いていった。
音楽準備室の広さは普通の教室の三分の二程度、それほど広いと言うわけでは無い。
私達と桜さんの間は、距離にして五メートルも無い程度だ。
そして桜さんは、私達の見ている中でピアノの蓋へと手を伸ばし―――唐突に、その手を止めてしまった。
「……桜さん?」
一体どうしたのだろうか、そう思いながら私は目を凝らし……一つ、奇妙な事に気づいた。
桜さんの上着の袖の部分、そこが、何かに掴まれたように引き絞られていたのだ。
いや、掴まれたと言うより、何か細いものが巻きついているような感じ。そう、まるで糸の様な―――
―――刹那、脊髄が丸ごと氷に変わったかのような悪寒が、背筋を駆け抜けていた。
ピアノで、糸って―――!
「皆、逃げなさいッ!」
桜さんは叫びながら左手を振るい、いつの間にか抜き放っていた刃で虚空を斬る。
しかし、それと共にブツリと言う音が響き、先輩の照らすライトの中で細く反射する糸のような何かが映った。
そうだ、アレは―――
「ピアノ線……ッ!?」
探偵モノの漫画でもたまに凶器として用いられる、細く頑丈な糸。
何処から放たれたのか、どこかに設置されていたのか。
恐れるべきなのは、桜さんですらそれが巻き付くまで気付けなかった事だ。
それはつまり、私達では誰一人として反応する事すら出来ないと言う事。
『白装束の行列』……『七人ミサキ』とはまた違った、物理的な危険性を持つ怪異。
「部屋から出るんだッ!」
状況を察した先輩が、私達へと向けて強く叫ぶ。
ああ、そうだ。早く逃げなくてはならない。これは、私達の手に負える問題ではない!
トモが弾かれるように、笹原さんの手を引いて部屋の外へ。
そして、逡巡するヒメを嶋谷が捕まえて連れ出してゆく。
私もそれに続き、残るは全員が出るのを確認した先輩―――そこに、小さく風を切るような音が響いた。
「ッ―――!」
咄嗟に、先輩は身体を投げ出す。
視認する事は出来ないけれど、そこへと向けて何本かのピアノ線が向かってきている事は容易に把握できた。
そしてその糸たちは、先輩が回避する際に投げ出された懐中電灯を絡め取り―――それを、締め潰しながら寸断してしまった。
「冗談じゃ、ないよ……っ!」
落ちてきた破片に対し、先輩がそう毒づく。
その懐中電灯の破片は、まるで人間が捕まったらどうなるのかを体現しているようにも思えてしまった。
あんなものに捕まったら、ひとたまりもない―――珍しく余裕の無い先輩の声だったけれど、それも無理からぬ事だろう。
そして最後の一人、桜さんは―――
「ッ、く、あッ!」
置いてあったスピーカーを蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り―――文字通り縦横無尽に部屋の中を駆け巡りながら、放たれるピアノ線を避けている。
桜さんが一瞬前までいた場所は、常に縛られ、寸断される異音が響く。
捕まればひとたまりもない。けれど逃げれば逃げるほど、糸によって空間が仕切られ、桜さんの逃げ場はなくなってゆく。
ジリ貧だ、このままでは桜さんは確実に追い込まれていってしまう。
「せめて、何処から糸が放たれているのかさえ分かれば……っ!」
私は、思わずそう呻いていた。
けれど薄暗いこの場所では、細い糸の姿を見極める事はできない。
増しては、光の無い場所でそれが伸びてきている場所を見極めるなど、不可能に近かった。
眼のいいヒメやトモにすら見えないのに、私では影すらつかむ事もできない。
どうすれば―――
「―――糸が出ている場所はピアノの下部、腹だ!」
「え!?」
「……っ、はい!」
―――瞬間、嶋谷が大声でそう叫んでいた。
一瞬彼が何を言ったのか理解出来ず、きょとんと目を見開いてしまう。
嶋谷だって、視力は私と同じようなもの。ヒメやトモのように動体視力がいい訳でもない。
ならばどうして、ピアノ線の出所を知る事が出来た?
破壊された物の場所から、その発生場所を計算して割り出したとでも言うの?
分からないけれど、今はそれを問う時間は与えられないようだった。
「ふッ……!」
鋭い呼気と共に、桜さんは駆ける。
比較的高い場所を蹴り、跳ねて空中を駆けるようにしながらその身は加速してゆく。
ピアノ線は若干遅れて、桜さんが足を付いた場所を破壊するけれど、その身を捕らえる事はできない。
そして―――
「はああああああああッ!」
桜さんは、遂にピアノの真上へと躍り出た。
それまでは中々近寄る事は出来なかったけれど、ピアノ線の出る場所がピアノの下側にある以上、真上は『人食いピアノ』にとって攻撃のし辛い場所となる。
桜さんは一度宙返り、そして回転するように振り上げられた足を、十分な旋回速度を持って踵からピアノへと叩き付ける。
―――瞬間、学校全体が振動したのではないかと思うような、強い衝撃を受けた。
ピアノの足が折れ、天板が砕け、中身が宙を舞うように吹き飛ばされる―――瞬間、その桜さんの右足の太腿に、紅い線が走っていた。
「ぐ……ッ!!」
桜さんの苦悶の声。それは『人食いピアノ』の最後の抵抗なのか、放たれた一本のピアノ線が、桜さんの太腿に巻きついていたのだ。
強い力を持つピアノ線はすぐさま引き絞られ、肉に食い込み、鮮血を吹き上げる。
―――けれど、桜さんはそれを一切合財無視した。
「そ、こッ!!」
そして、右手に持った刃が突き出される。
その切っ先の向かう先は、ピアノが砕けた瞬間に中から飛び出していた、バラバラに寸断されていると思われる白骨化した死体の頭部―――
―――刃はそれを真っ直ぐ貫き、白いかつての被害者を、その中に潜んでいた『根っこ』ごと粉砕していた。




