27:雛織桜の霊媒能力
「ひぃ、はぁ、ふぅ……」
「頑張れ、後ちょっとよー」
私の家、香御城神社に続く長い石段を登りながら、私は息も絶え絶えな笹原さんに応援の言葉を投げかけていた。
運動部の練習に使われるだけあって、うちの石段は結構長い。
何でわざわざこんな山の方に神社を建てたのか、と文句も言いたくなる所だ。
まあ、生まれた時からずっとここだし、私はすっかり慣れたもんだけど。
……けどまぁ、流石に笹原さんにはキツイらしく。
「か、神代さん……はぁ、はぁ……い、いつも……こんなの、上り下り……」
「きついなら喋らなくていいから。まあ、私もヒメも毎日よねぇ。慣れよ、慣れ」
「いい運動になるしねー」
まあ、ヒメの運動能力はかなり高いから、そっちは特殊な部類に入るだろうけれども。
正直、私だってこの石段をひょいひょい二段飛ばしになんか出来ない。
篠澤兄妹は、正直人間とは別の次元で生きてるんじゃないかと思いつつある。
……まあ、それを言ったらうちのお兄ちゃん達なんかもっとぶっ飛んでる訳だけれども。
「す、すごい……ふぅ、ふぅ」
笹原さんにとっては、私すら異次元の存在のようだったけれど。
とは言え、私とてこの石段には辟易する部分だってあるものだ。
「まあ、気をつけてないと足が太くなっちゃうのよね……ちゃんとケアしてればむしろ引き締まってくれるんだけど」
「そうそう、杏奈ちゃんの蹴り足は凄いんだよ? 公園に置いてあるゴミ箱を蹴り飛ばしちゃった事だってあるんだから」
「……ヒメ、それはあんまり褒められてる気がしない」
「あれ?」
どうやら、ヒメは本気で褒めているつもりだったらしい。
私だって好きでこうなった訳じゃないと言うか、毎日この石段を上り下りしてれば流石に足腰は鍛えられてしまう。
って言うか、その蹴りは主にアンタの兄が標的になってるんだけど……ヒメ的には褒める点でいいのだろうか?
まあ、それはいいとして。
「ほら笹原さん、あと十五段ぐらいよ。鳥居もあと少し」
「は、はい……」
終わりの見えてきた石段に、しかし表情をやわらげる余裕も無い笹原さん。
そんな彼女の様子に小さく苦笑しつつ、私は先に上りきって、彼女へと手を差し伸べた。
笹原さんは汗ばんだ手で私の手を握り、ようやく長い石段を登りきる。
これからが本番だと言うのに、すっかりと疲れきっている様子であった。
「お疲れ様。ちょっとここで休憩していく?」
「はい……少し、休憩……」
言葉と言うより最早単語会話である。
鳥居にもたれかからせ、ゆっくりと息を整えている笹原さんに苦笑しつつ、私はふと視線を家の方へと向けていた。
境内にお兄ちゃんと桜さんの姿は見えない。
お兄ちゃんはまだいるのかどうかは分からないけど、お願いした以上桜さんはいてくれるだろう。
「―――」
じっと目を細め、私は感覚を鋭く研ぎ澄ませる。
私はいづなさんみたいに遠く離れた場所にいる人間の気配を感じ取ったりする事はできない。
けれど、桜さんならば、少しだけ分かる事もあった。
「……やっぱり、いる」
あの人の周りには、常に霊魂が存在している。
霊たちは常に桜さんの味方であり、桜さんが望まぬ事をする事は無い―――お兄ちゃんは、そう言っていた。
私は目で見る事は出来ず、気配を感じ取れる程度だけれど、それでも桜さんははっきりし過ぎているのだ。
一体どうしたらあんな事が出来るのか、そしてどうしたらあそこまで霊たちを使役する事が出来るのか。
口で説明を受けはしたけれど、やっぱり分からない部分は多いものだ。
「杏奈ちゃん、もう大丈夫そうだよ」
「お、お待たせしました……」
「っと。うん、分かった。それじゃ、行こうか」
まだ若干顔は赤いものの、笹原さんも何とか息を整えたようだ。
もう少し休んでいてもいいかもしれないけど、笹原さんもはやる気持ちを抑えている様子。
やっぱり、霊に取り付かれているかもしれないとなると不安なんだろう。
けど―――やっぱり彼女の周囲の気配は、この辺りにいる霊魂とは異なっている。
霊と言うより、どちらかといえば―――
「……まあ、聞けばはっきりするかな」
「杏奈ちゃん?」
「何でもない。さ、付いて来て」
脳裏に浮かんだ考えを頭を振って追い出し、私は笹原さんを促すように歩き出した。
真昼間からこんな山の中の神社を訪れるような人間はおらず、周囲は静寂そのもの。
実に静かな朝の空気も好きだけれど、この時間帯でもやっぱりいいものだ。
って言うか、どっちかと言うと朝の方が騒がしいし。
家の扉を開け、靴を確認する。
残っているのは一足だけ―――やっぱり、お兄ちゃんは先に戻ってしまったようだ。
桜さんには悪い事をしてしまったと思いつつも、靴を脱ぎつつ声を上げる。
「ただいまー。桜さん、お待たせしましたー」
「お邪魔しまーす」
「お、お邪魔します」
『はーい』
居間から声が響く。
どうやら、桜さんはそこにいるらしかった。
多分その辺の幽霊達のおかげで私達が近づいて来ている事には気付いていただろうし、準備は終わっているんだろう。
私は笹原さんを招き入れながら、居間の襖を開けて中へと入っていった。
目に入るのは、テーブルの向こう側で待っている、サイドポニーの人影。
雛織桜さん……いつもお世話になっている彼女は、私の方へと柔和な笑顔を見せてくれた。
「お帰りなさい、杏奈ちゃん」
「はい、桜さん」
凄く優しくて、親切な人―――けれど、私達がくるタイミングを知っていても、お茶が用意されているような事はなかった。
まあ、それをして欲しいと言うわけじゃないんだけど、前にお兄ちゃんに言われた事を思い出してしまう。
曰く―――桜さんには、善意と悪意が存在しないとの事。
昔のある出来事で心の傷を負っていて、善悪の基準と言うものが無くなってしまったらしい。
そう言われてもピンと来ないのが正直な所だけど、こういう所にはちょっとだけそういう部分が現れているようにも感じる。
お兄ちゃんが言うには、桜さんは自主的に動く事は殆ど無く、そしてそれがあるとしたらごく個人的で利己的な理由があるらしい。
正直、この人のイメージには全く合わないのだけど……もしも何かをして欲しいのならば、お願いしないとダメだと言う事だ。
「それで、私に用事って言う事だったけど……どんな用事、なのかな?」
「あ、はい。私のクラスメイトの事なんですけど……はい笹原さん、入って入って、そしてそこに座って」
とりあえず笹原さんを促して、桜さんの正面に座らせる。
その両側に私とヒメが座るようにして、三対一の形で桜さんと向き合った。
まあ、別にそれに意味があるって訳じゃないけど。
桜さんは……じっと、笹原さんの事を見つめている。この人も、彼女の周りにある奇妙な気配を感じ取っているのだろう。
「はい笹原さん、説明して」
「え、えっと……その、私、幽霊に取り憑かれてしまったみたいで―――」
「違う」
と―――笹原さんが何かを言い切る前に、遮るかのように桜さんの声が響いた。
思わず面食らって、笹原さんは言葉を止めてしまう。
けれど、私はどこか納得していた。やっぱりあの気配は、幽霊ではなかったのだ、と。
しかし、疑問は残る。あの気配は一体何だったのだろうか?
「……私の力は、あくまでも魂に……霊に干渉する力。だから、霊異であるならばいくらでも引き剥がして喰らう事が出来る。けど、貴方のそれは別」
「え……?」
思った以上に饒舌な桜さんに、私は面食らう。
こんなにはっきりと、そういった説明をしてくれるとは思っていなかったのだ。
けど、私のそんな驚きは、それ以上の驚愕によって塗り潰された。
「貴方のそれは、怪異。実体化した噂、偽物が本物の効力を持ってしまう、霊異よりもよっぽど厄介な存在」
「え……っ!?」
「さ、桜さん! 笹原さんのこれは、怪異だったんですか!?」
「うん……霊の気配は感じない。けれど、纏わり付く悪意に実体は無い……なら、多分怪異だと思う」
そんな事まで分かるのか、と私は思わず感心してしまう。
しかしまぁ、怪異と来たか。何でこう、立て続けにこういう話が私達の元に舞い込んでくるのか。
まるで、怪異の方から私達に近付いて来ているみたいな―――
「ぁ―――」
自分で考えたその言葉に、私は思わず戦慄する。
そうだ、最初の怪異、ひきこさんの時……日記の杏奈は何と言っていた?
ひきこさんは誰を狙っていたのか……そして私が、怪異調査部に入る決心をしたのは何故だった?
そう、それは―――
「―――杏奈ちゃん」
「ッ……!」
じっと、桜さんの瞳が私を射抜く。
まるで、私の考えを肯定するかのように、ヒメがまた狙われていると肯定するかのように。
そしてそれは、逃れようも無く私達ににじり寄って来ているのだと、そう告げるかのように。
桜さんは一度目を閉じると、深く息を吐き出す。
意識をリセットするかのような仕草の後、彼女は笹原さんへと向けてゆっくりと声を上げた。
「……笹原さん、でしたね」
「は、はい!」
「貴方が幽霊に取り憑かれたと思うようになったのは、一体どうして?」
桜さんが、問われる事無く自らの意思で笹原さんへと質問する。
それは奇妙な状況であり―――同時に、どういう事だか理解していた。
桜さんが動くのは利己的な理由がある時だけ。つまり、怪異が近付いて私が傷付けば、お兄ちゃんが悲しむかもしれないという事だ。
善意ではなく、桜さん自身がお兄ちゃんの悲しむ姿を見たくないという事。
その機械のロジックのように答えを叩き出す桜さんに若干の戦慄を覚えながらも、私は笹原さんの言葉を待った。
―――私の目的は、あくまでもヒメを護る事だ。
その為なら、誰がどうとか、そんな事は関係ない。
さあ、今回の敵は一体何だ?
「……学校の、七不思議」
「―――!」
その言葉に、私は息を飲む。
誰だって聞いた事のある言葉だろう。前時代から続く、学校にはよくあるタイプの噂話。
そしてそれは、有名であるだけに怪異と化しやすいものだ。
人が多くいる場所だけに信憑性も持たせやすく、怪異を知る身としては警戒しなければならないもの。
けど―――
「七つ、かぁ……」
思わず感じた眩暈に、私は額を押さえる。
一つを相手にする事すら非常に苦労すると言うのに、七つ。
しかも今回は、向こうの方からヒメを狙って近寄ってきた可能性のある怪異だ。
一つ一つに命の危険がある可能性も否定出来ないだろう。
先輩なら予め調べ上げているかもしれないけれど。
「えっと、その……笹原さん。学校の七不思議って、どういう事なの?」
「あ、はい。えっと……七不思議と言っても、実は六つしか伝わって無いらしくて……でも、知ってはいけない七つ目があるんです。それを知ってしまったら―――」
「し、知ってしまったら……?」
「どうせ七不思議に襲われて殺されるとか、誰もいない異次元の学校に閉じ込められるとか、自分が次の七つ目になるとかそういう類でしょ?」
「ちょ、杏奈ちゃん! 何でそんな怖い事言うの!?」
いや、何でってアンタね……まあ、ヒメが怖がりなのは今に始まった話じゃないし、別にいいか。
笹原さんの表情を見る感じ、当たらずも遠からずって感じみたいだし、どうやら本当に危険のあるタイプの怪異みたいだ。
これは、先輩に相談した方がいいかもしれないわね……それと、嶋谷にも。
「ま、いいわ。相手が怪異だって言うんなら、怪異調査部の出番でしょ」
「怪異、調査部……ですか?」
「そ、私とヒメが所属してる部活。そういう超常現象を調べ上げて解決しようって所よ」
私が肩を竦めて言った言葉に、笹原さんは目を見開き―――そして、希望を見出したと言うような表情で私を見つめてきた。
正直、藁にも縋る思いなんだろう。
無理も無いとは思うけれど、ちょっと大げさに思えてしまう。
と―――そこで、今まで沈黙を保ってきた桜さんが声を上げた。
「うん……私も行くよ」
「え……?」
「今回は中々危なそうだから、私が付いて行く」
そういう桜さんの表情は頑なで、言った事を曲げるような気配は無い。
まあ、私としてもこの人に協力してもらえるならば百人力だ。
一度目を瞑り―――そして、私は頷いた。
「お願いします、桜さん」
「分かった……必ず、護りますから」
そんな桜さんの言葉は本当に切実で……どこか、この場所にはいないお兄ちゃんに向けて放たれたもののようにも感じられた。




