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Alice Lee 短篇集 涙腺の綻び  作者: Alice Lee


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第六話 心の防波堤




私には五歳になる息子がいる。



三歳までは手も掛からず、夜泣きをすることなく好き嫌いもなく、つかまり立ちも他所の子と比べても早いように感じた。



クリクリとした大きな瞳と、透き通るように白い肌。



まるで女の子のようであり、実際にベビーカーに乗せ公園散歩に出掛けた折にはよく女の子に間違えられたものだ。



体格がよくゴツゴツとした旦那に似なくて本当に良かったと思えた。



私の心の防波堤が決壊したのは、三歳児健診を前に保育園の先生から言われたひと言だった。



「出来れば早い内に専門機関で検査を受けた方がよろしいかと」



分かってた。



いいえ、それとなく違和感は感じてたけど、どうか私の思い過ごしであってほしいと現実を受け入れようとしていなかったんだと思う。



息子は名前を呼んでも目を合わせようとはしなかった。



お気に入りの玩具から離れられなくて、何処に行くにも持ち歩いていたし、テーブルの上に玩具を整然と並べたりしていた。



私が玩具を取り上げようとすれば癇癪を起こし、テレビに夢中になっているかと思えばその場でくるくると回りだしてしまう始末。



保育園の先生からも、走り回って集中出来ない、団体行動が取れない、発語がなく会話が成立しない、などと指摘され療育を勧められた。



旦那に相談したら即答で病院受診の予約を入れようと言った。



勿論、私もはっきりさせたい気持ちは確かにある。



でもね、この子の将来のことを考えると怖かった。



私に育てていけるのかって。



旦那はいつも仕事で忙しくしてる。



子育てのメインはパートで働く私であり、熱を出せば仕事を早上がりし迎えに行かなければいけないし、もちろん保育園の送り迎えもそうだし買い物だってそうだ。



受診の結果下された診断は、自閉症スペクトラム障害だった。



この子のことを愛してる。



でも、家の中で玩具をバラまかれたり、テレビを壊されたり、そこら中に落書きされたり、買い物中に走り出し逃走したり。



私の肉体と精神はボロボロになっていった。



旦那が休みの日には家事をしてくれたり、息子と遊んでくれたりするんだけど、他所の子と何が違うかあまり理解してないように見える。



この子とまる一日過ごしてみればいいのに、なんて我ながら嫌な考えが頭を過ぎる。



私と子供で公園に遊びに出掛けたときだったわ。



私の目を盗んで道路に駆け出してしまったの。



子供は私と追っかけっこがしたかっただけなんだろうけど、危うく車に轢かれそうになった。



転んだ拍子に膝を擦りむいただけで済んだけど、私はこの子を抱き締め大きな声を上げて泣いてしまった。



旦那が帰宅するまでに食事を済ませ風呂に入れ、もう私はクタクタだった。



家の中を走り回る我が子を放心状態で眺める私の瞳は、いまにも涙が溢れそうで、それを必死に食い止めようとしていたの。



心の防波堤が、限界を迎えて決壊寸前だった。



そんな私の顔を覗き込み、息子が言ったの。



「ママ……だいじょぶ……?」



始めて耳にする、息子の言葉だった。



大丈夫だ。



私の防波堤はまだまだ決壊なんてしやしない。





おわり

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