表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マニュアルキラー 第3部 ~ 不適切な運用に関する修正履歴 ~  作者: 早野 茂


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/14

第5話「死を招く現場」

水曜日の朝、湾岸エリアの埋め立て地を叩いていた激しい雨は、昼前には小降りになり、やがて止んでいた。


巨大な物流倉庫の建設現場。

無機質な鉄骨の森の下、水たまりの中に、作業員の遺体があった。

坂本健太さかもとけんた

二十三歳。

孫請け(二次下請け)である零細建設会社の若き職長リーダーであり、真面目で責任感が強いと評判の青年だった。


「……即死か」

真壁凛は、湿ったアスファルトの上で遺体を見下ろした。

地上三十メートルの足場から転落。

ヘルメットは砕け、腰にはフルハーネス型の安全帯が装着されたままだった。


「フックはどこにも掛かっていませんでした」

所轄の刑事が報告する。

「現場の足場には親綱(命綱を掛けるロープ)がありましたが、彼はそれを使わずに作業していたようです。典型的な手順無視による事故ですね」


真壁は無言で足場を見上げた。

そこには真新しい親綱が張られている。

だが、彼女はすでに気づいていた。

雨上がりなのに、そのロープの芯だけが乾いていることに。

事故の後で慌てて張られた、隠蔽工作だ。


その時、真壁のスマホに一通のメールが届いた。

警視庁の公式サイト経由で送られてきた「匿名通報」。


『坂本くんは殺された。親綱なんて最初からなかった。彼は現場代理人の権田に脅されて、無理やり高所作業をさせられていた』


送信元は、フリーメールのアドレス。

だが、名指しされた「権田」という名前に、真壁は眉をひそめた。



午後、真壁は坂本健太の自宅アパートを訪れていた。

迎えたのは、婚約者の女性だった。

彼女は泣き腫らした目で、遺品となった坂本のスマートフォンを握りしめていた。

画面はひび割れ、電源が入らない状態だ。


「……健太は、ずっと悩んでいました」

彼女は震える声で語り始めた。

「元請けの『帝都建設』からの圧力が凄まじくて……。ここは地域の有力企業で、逆らえばこの業界で生きていけなくなると」


「帝都建設……一次下請けの会社ですね」

真壁は確認した。

大手ゼネコンの下で実質的な工事を取り仕切る、地場のボス企業だ。

「通報にあった『権田』という男は?」


「帝都建設の常務であり、この現場の責任者(現場代理人)です。でも、健太は言っていました。『あの人は名ばかりの代理人だ』って。人手不足だからって名前だけ登録して、実際には現場に来ず、健太のスマホに直接電話をかけてきては、『死んでも工期を守れ』『雨でもやれ』と怒鳴り散らすだけだったと」


名義貸しの現場代理人。

建設業法違反の疑いが濃厚だ。

しかも相手は、コンプライアンスなどお構いなしの荒っぽい会社。


「彼は、拒否できなかったのですか」

「うちのような孫請けの弱小企業が断れば、会社ごと潰されると脅されていました。彼は責任感が強かったから……仲間の生活を守るために、自分が危険な場所を引き受けていたんです」


真壁は唇を噛んだ。だが、死人に口なし。

会社側は「彼が勝手にやった」で押し通すだろう。


「悔しい……」

婚約者は唇を噛んだ。

「健太は、もしもの時のために記録を残していたんです。彼、言っていました。『言った言わないの水掛け論にされないように、指示は全部録音してある』って」


「録音?」

真壁は壊れたスマホを見た。

「このスマホにですか?」


「はい。かかってきた電話は通話録音アプリですべて保存していました。そして電話を切った後、すぐにボイスメモを起動して、補足情報を吹き込んでいたんです。『今のは権田常務からの電話。〇〇の件で違法な指示があった。日時〇月〇日』……って」


真壁は息を呑んだ。

それは単なる隠し録りではない。

相手の「生の声」に加え、前後の文脈を本人の声で解説した、完璧な業務日誌ボイスログだ。

証拠能力は極めて高い。


「でも、スマホが壊れてしまって……それに、私にはどうすればいいのか……相手はバックに怖い人たちもいるような会社で……」

彼女は怯えていた。

地元の顔役でもある帝都建設。

その裏には暴力団の影も噂されている。

証拠を出せば自分も狙われるかもしれないという恐怖。

真壁は彼女の肩に手を置こうとした。


その時、彼女のスマホが鳴った。

非通知の着信。

しかし、彼女は画面を見て息を呑んだ。

画面に表示されていたのは、メッセージアプリの通知だった。


『クラウドストレージへのアクセスを確認。フォルダ名「業務記録」』

『データ同期完了。ファイル総数、412件』


「え……?」

彼女が震える指で画面をタップすると、ずらりと並んだ音声ファイルのリストが表示された。

『No.001』から始まり、最新の『No.412』まで。

そのすべてが、過去数ヶ月にわたって記録された、権田からの違法指示と坂本の悲痛なメモだ。


「400件以上……」

真壁はリストを見つめ、低い声で呟いた。

「ハインリッヒの法則だ。1件の重大事故の背後には、300件のヒヤリハットがある。……これだけの数の危険な指示が出されていたのなら、重大事故が起きるのは不運などではない。統計的な必然だ」


そして壊れたスマホからこのデータを引き出し、彼女に提示した「何者か」。


奴だ。

真壁は直感した。

あの「透明な処刑人」が、すでにこの事件の「バグ」を見つけ、トリガーを引く準備を整えている。



夕方、真壁は帝都建設の本社ビルに乗り込んだ。

豪奢だが、どこか成金趣味の悪さが漂う自社ビル。

応接室で対峙したのは、常務の権田と顧問の唐沢(元警察参事官)。


「しつこいな、真壁くん」

唐沢は不快そうに眉をひそめた。

「労基署も警察も『事故』で処理を進めている。君だけだよ、騒いでいるのは」


唐沢。

かつてのエリート官僚が、なぜこんな地方の建設会社にいるのか。

噂通りこの会社が暴力団と繋がりがあるなら、その「警察封じ」の用心棒として天下ったのだろう。

腐りきっている。


「新たな証言があります」

真壁はハッタリをかけた。

「坂本さんは生前、権田常務からの電話をすべて録音していました。さらに通話直後に詳細なメモも吹き込んでいます。そのデータが存在します」


権田の眉がピクリと動いた。

叩き上げ特有の荒っぽい顔つきに、焦りの色が浮かぶ。

だが、唐沢は動じない。

「ほう?では、そのデータを聞かせてくれたまえ。……まさか、現物もないのに言っているわけではないだろうね?」


真壁は言葉に詰まった。

データは婚約者の手元にある。

だがまだ提出はされていない。

唐沢はその隙を見逃さなかった。


「証拠がないなら、それは妄想だ。それに、彼がサインした『安全誓約書』がある以上、法的には会社に責任はない」

唐沢は冷徹に言い放つ。

「警察と同じだ。書類マニュアルが全てだよ」


その時、権田の秘書が部屋に入ってきて、何やら耳打ちをした。

権田の顔色が変わる。

「……なんだと?ネットに『内部告発』の書き込みが増えているだと?」


匿名通報だけではない。

坂本の同僚たちが、あるいは何者かが仕掛けたボットたちが、SNSで騒ぎ始めているのだ。

『帝都建設の権田常務による人殺し』

『証拠音声があるらしい』


「……唐沢さん」

権田が焦ったように時計を見た。

「例の件、予定を早めましょう。マスコミが嗅ぎつける前に」


「ああ。それがいい」

唐沢は真壁に向き直り薄く笑った。

「残念だが時間切れだ。権田常務はこれから、ロンドン視察へ出発する。向こうでのプロジェクトが難航していてね、陣頭指揮が必要なんだ」


逃げる気だ。

録音データの存在が公になる前に海外へ高飛びし、ほとぼりが冷めるのを待つ。

その間に唐沢の人脈と裏社会のルートを使って証拠を揉み消し、婚約者に圧力をかけるつもりだ。


「……行かせると思いますか」

「止められるかね?逮捕状もないのに」

唐沢は勝ち誇ったように言った。

「我々は正規の手続きで出国する。法は我々の味方だ」



本社ビルを出た真壁は、激しい雨の中、拳を握りしめた。

法は彼らを守る。

書類が完璧である限り、そして決定的な証拠(録音データ)が警察の手に渡っていない今、彼らの出国を止める術はない。


だが。

スマホが震えた。

画面には見知らぬ地図アプリが起動し、成田空港へのルートと、あるフライト便名が表示されていた。


『NJ401便ロンドン行き19:30発』

『搭乗者:権田剛』

『状態:チェックイン済み』


そして画面の下部に一行、メッセージが浮かび上がった。


『証拠データNo.1〜No.412、共有設定完了。開示まであと60分』


真壁は息を呑んだ。

姿なき処刑人は、婚約者を守りながら、同時に権田たちを追い詰めている。

膨大な録音データをいきなりばら撒くのではなく、まずは「あるぞ」と匂わせて敵を動かし、逃げ場のない「空の密室(空港)」へと誘導したのだ。


「……追うぞ」

真壁はパトカーに乗り込んだ。

「成田へ向かう。権田常務を見送ってやる」


逮捕するためではない。

彼らが自らの作り上げたような「冷徹なシステム」によって、どのように裁かれるのかを見届けるために。


(第5話完)

第3部「追跡者の校正」をお読みいただきありがとうございます。

本作に至るまでの「修正フィックス」の記録を、以下のアーカイブよりご確認いただけます。

■ 第1部:『マニュアルキラー』

https://ncode.syosetu.com/n4289lo/

設備屋として潜伏する織部悟。彼は、社会の誤植(悪意)を赤ペン一本でデバッグする「伝説のエディター」だった。すべての始まりとなる第1シリーズ。

■ 第2部:『マニュアルキラー Ⅱ —校正なき改竄—』

https://ncode.syosetu.com/n4641ls/

論理パズルを愛する男・三谷と、システムを免罪符にする「ルール」との死闘。織部が「仕様」を悪用する巨悪をいかにして葬ったかを描く、緊迫の第2シリーズ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ