第4話「晒した者が晒される」
その瞬間、世界中の何十万というモニターが同じ光景を映し出していた。
「おい、なんだこれ?」
渋谷のカフェでスマホを見ていた女子高生が声を上げる。
「ギロチンの配信、バグってない?なんかデスクトップ丸見えなんだけど」
「え、マジ?」
秋葉原のネットカフェ。
個室の男が身を乗り出す。
「これ、演出か?それともガチの放送事故か?」
大手広告代理店のオフィスでは、担当者が青ざめた顔で電話を掴んでいた。
「今すぐ配信を止めさせろ!スポンサー契約してるんだぞ!違法ファイルのフォルダが見えてるじゃないか!」
そして警視庁、サイバー犯罪対策課。
真壁凛は係長の悲鳴のような報告を聞いていた。
「だめです、止められません!プラットフォーム側に緊急停止要請を出していますが、向こうも『本人確認が取れない』の一点張りで……!」
モニターの中、ギロチンのPC画面では、カーソルが機械的な正確さで動き続けていた。
それはまるで乱雑に散らかった部屋を片付ける清掃業者のような手際だった。
『隠しフォルダ:ネタ帳(捏造用)』ダブルクリック。
展開されたのは、被害者・小俣氏の顔写真に、悪意ある加工を施したコラージュ画像の数々だった。
さらにテキストファイルが開かれる。
『今回のターゲット:小俣。痴漢冤罪でっち上げシナリオ。証拠DMはサブ垢で自作自演すること。煽り文句は“疑惑”で止めて、特定はリスナーにやらせる』
コメント欄の空気が、一瞬で凍りついた。
滝のように流れていた「草」「放送事故w」という弾幕が止まる。
代わりにどす黒い怒りが湧き上がり始めた。
『は?これマジ?』
『全部嘘だったのかよ』
『俺たちを騙してたんか』
『最低だな』
その怒りの炎に油を注ぐように、カーソルは次のファイルを開いた。
『裏帳簿.xlsx』脱税の記録。
企業案件のステマ報酬リスト。
そして、「示談金詐欺マニュアル」と題されたPDF。
画面の向こう側、どこかの部屋で、ギロチン本人はパニックに陥っているはずだ。
マウスを奪い返そうと必死に動かし、キーボードを叩き、あるいは電源を抜こうとしているかもしれない。
だが無駄だ。
これはハッキングではない。
複数のクラウド同期設定と、リモートデスクトップの共有機能、そして配信ソフトの自動復旧機能が、奇跡的な悪条件で噛み合い続けた結果の「仕様の暴走」だからだ。
彼が足掻けば足掻くほど、システムは「ユーザーが操作を継続しようとしている」と判断し、配信を維持し続ける。
「特定班、動いてます」
サイバー課の捜査員が、乾いた声で報告した。
「配信画面のデスクトップ壁紙と、以前の動画に映り込んでいた窓の外の風景……照合完了しました。住所、割れました」
真壁は奥歯を噛み締めた。
昨日の光景がフラッシュバックする。
加害者と被害者が、完全に入れ替わっただけだ。
「住所がコメント欄に貼られました!拡散されています!」
「警部、所轄から連絡です!『ギロチンの自宅と思われるアパートに、不審者が集まっている』と通報が!」
真壁はモニターを睨みつけた。
ギロチンが小俣氏に対して行ったこと。
住所を示唆し、正義感に酔った暴徒をけしかけ、社会的に抹殺する行為。
それが今、ブーメランのように彼自身に突き刺さっている。
「……皮肉なものだな」
真壁の隣で、係長が力なく呟いた。
「我々が法的手続きに縛られて手を出せなかった情報を、奴自身が全世界に公開してしまっている。これだけの証拠があれば、名誉毀損どころか、信用毀損、偽計業務妨害、脱税……何でも立件できますよ」
「ああ、そうだな」
真壁は低い声で答えた。
「だが手錠をかける相手が、まだ生きていればの話だ」
モニターの中、カーソルが最後の動きを見せた。
開かれたのはブラウザの設定画面。
SNS、動画サイト、オンラインサロン。
全てのアカウントの「退会」あるいは「削除」ボタンへと、カーソルが迷いなく進んでいく。
『本当に削除しますか?この操作は取り消せません』
『はい』
『アカウントを凍結しますか?』
『はい』
次々と消えていくアイコン。
積み上げてきた二百万人のフォロワー。
数千万円の収益。
称賛と罵倒の嵐。
それらが電子の海へと還っていく。
最後に、配信ソフトの「終了」ボタンが押された。
画面が暗転する直前、デスクトップの壁紙に、メモ帳が一枚だけ残されていたのが見えた。
誰が書いたのか。
あるいは、最初からそこにあったのか。
『校正終了。以後の出力なし』
プツリ、と映像が途切れた。
会議室にファンの回転音だけが残る。
「……終わった」
誰かが呟いた。
だが、現実の炎上はここからが本番だ。
住所は晒された。
悪事は露呈した。
スポンサーからは巨額の損害賠償請求が来るだろう。
国税局も動くはずだ。
ギロチンと呼ばれた男は、社会的に完全に「死んだ」。
ナイフで刺されるよりも深く、残酷な死に方で。
「警部、どうしますか。所轄に、ギロチンの保護を要請しますか?」
部下の問いに、真壁はゆっくりと息を吐き出した。
保護。それは警察の義務だ。
たとえどんな悪党であっても、私刑から守らなければならない。
だが、今の彼を守る術などあるのだろうか。
ネットという広大な牢獄の中で、彼は一生、自分の犯した罪のアーカイブに追われ続けるのだ。
「……所轄に行かせる。暴徒による傷害事件が起きる前に」
真壁は踵を返した。
「だが、急ぐ必要はない。まずは信号を守り、制限速度を守り、法規通りに向かわせろ」
「え?」
部下が目を丸くする。真壁は背中越しに言った。
「我々は警察だ。マニュアル(法)には従わなければな」
会議室を出た真壁は、廊下の冷たい空気を吸い込んだ。
胸の奥にあるのは正義が為されたという安堵ではない。
自分たちが守ろうとしていた法や秩序が、巨大な「仕様」というシステムの前では無力な紙切れに過ぎないという、底冷えするような恐怖だった。
手帳を開く。
『連続不審死・失踪事案』のページに、新たな項目を書き加える。
『被害者:扇動者ギロチン。加害者:システム障害(仕様の連鎖)』
「……次はお前がターゲットか」
真壁の指先が次のページをめくる。
そこにはまた別の「理不尽」が待っているはずだ。
この街のバグが全て修正されるまで。
(第4話完)
第3部「追跡者の校正」をお読みいただきありがとうございます。
本作に至るまでの「修正」の記録を、以下のアーカイブよりご確認いただけます。
■ 第1部:『マニュアルキラー』
https://ncode.syosetu.com/n4289lo/
設備屋として潜伏する織部悟。彼は、社会の誤植(悪意)を赤ペン一本でデバッグする「伝説のエディター」だった。すべての始まりとなる第1シリーズ。
■ 第2部:『マニュアルキラー Ⅱ —校正なき改竄—』
https://ncode.syosetu.com/n4641ls/
論理パズルを愛する男・三谷と、システムを免罪符にする「ルール」との死闘。織部が「仕様」を悪用する巨悪をいかにして葬ったかを描く、緊迫の第2シリーズ。




