050_個人イベントカード発生と発動の話
皇女がそそくさとチャナのいるホールに戻るのを止めもせずに見送ったヨウキは、三人の取り巻き令息と一緒に一足先に2年1組の教室に向かっていた。
「さて、せっかく小細工したから、イベント発生の条件をもう少し整えておこうか。」
教室に入ると、ヨウキは教壇から2mほど離れている位置から階段状に昇って行く生徒席を見渡した。
4人ほど座れる長机が通路を挟んで3列並び、教壇から階段状に昇って8段、詰めて座ると96人座れる計算だが、その半分くらいの人数しかいないため、皆余裕をもって座っている。
1つの長机に2、3人が座っているので、いくつかの席が空席のままになっていた。
生徒席の状態を一瞥したヨウキは、取り巻きの三人の令息たちを近くに呼びに耳打ちした。
「教壇の前の最前列に座ってる生徒に、後から来るデイジー様たちがすぐ座れるように席を空けてもらってくれ。
4人席がちょうど1つ空くように。
あと、上の方に空の席があるから、近くに座る生徒たちに空の席を無くすように調整して、窓際の席に私が座る席を開けておいてくれ。」
「はい、じゃ、俺が最前列の生徒に話しをしてきます。」
赤い髪の伯爵令息が、さっそく最前列の生徒席の前に行き、そこでおしゃべりをしていた女子生徒二人に話しかけると、女子生徒たちは顔を赤らめて立ち上がり、伯爵令息を挟んで歩き段上の生徒席に移動した。
「上の席で、彼を挟んで三人でおしゃべりを始めてしまいましたね。」
水色の髪の伯爵令息が移動した三人を目で追っていると、ヨウキは感心して頷いた。
「一瞬で2人も客引きに成功したホストみたいだな。
やるな。」
「では、私たちは他の生徒を誘導して、最前列以外に4人が並んで座れる席をなくします。」
茶色の髪の侯爵令息と、水色の髪の伯爵令息が頷きあうと、即座に左右に分かれて空いている席の生徒たちを誘導し始めた。
「さて、チャナが教室に来たときにこの状況に気づいてくれるといいけど。
初回の様子からもそうだけど、あまり説明書は読み込んでいないようだから、どうかな?」
公爵令息扮するヨウキの指示を的確にこなしていく令息たちを見ながら、ヨウキは窓際の席に向かった。
「攻略対象者、皇女、デイジーの個人イベントカードの発生条件。
1つは、プレイヤーの1人が好感度50%以上、もう一人が好感度50%以下だけど、これはたぶん大丈夫かな。
廊下のエスコート中にチャナを選んで、振られたくらいだから、俺への好感度半分以下にはなってるだろう。
もう一つが、座る席順だけど、教室に、皇女とチャナが並んで入ってきたら、そのまま座るだろう。
まあ、半分運任せになるけど。
更にもう一つが、好感度の低いプレイヤーが窓側の席に座っていること、これはクリア。」
ヨウキがイベントの発生条件を1つ1つ声に出しながら窓際まで進むと、朝日の指す窓にうっすらと今の金髪碧眼の自分の顔が映っていた。
その窓を15cmほど開けると、静かに風が吹き抜けヨウキの金の髪を揺らした。
「あとは、待つだけかな。」
「ヨウキ様、生徒たちの席の調整は完了しました。」
銀縁メガネで茶色の髪の侯爵令息が、後ろの席に座りながらヨウキに声をかけると、その横にいる水色の髪のショートカットの伯爵令息も確認したことをヨウキに報告した。
「僕の方も4人が並んで座れる席が無いことを確認しました。」
二人の令嬢とのおしゃべりから抜け出してきた赤い髪をとがらせている伯爵令息も、ヨウキの前方の席に座ると、後ろに座るヨウキに振り向き二カッと歯を見せて得意げに報告を入れた。
「教壇の前の席は、デイジー様と転校生たちが座るからと説明しときました。」
三人の令息がヨウキに報告を終えるのと同時に、教室のドアが開き、皇女とチャナが、その後ろからスカーレットとルイスが歓談しながら入ってくるのが見えた。
「チャナさん、教壇の前の席が空いているわ。
私の隣に座ってね。」
皇女は自ら教壇の前の席まで進むと、先に教室に来ていた自分の婚約者のことを気にすることもなく、すぐ後ろを歩くチャナに隣の席に座るように勧めた。
皇女が座った隣に遠慮がちに座るチャナ。
「じゃ、その隣は私が、」
そそくさと自分の前に行こうとするスカーレットをルイスが阻み、1つ通路を挟んだ長机の端の席を指した。
「デイジー様の護衛なんですから、やはりデイジー様のお隣の方がよろしいのでは?」
「通路を挟むより、チャナを挟んだ方が効率がいいだろ?」
「何の効率かしら?」
スカーレットとルイスの攻防が続いていたが、その横でチャナは座ったまま後ろを振り返り、自分の後ろに広がる段上の生徒席に座っている生徒たちの様子を見渡し、窓際の4人席の端に一人で座るヨウキを見つけて目を細めた。
窓際の生徒席にいるヨウキから見ても、教壇前に最前列に並んでいる金糸の髪の皇女とピンクゴールドの髪の男子生徒であるチャナはかなり目立って見える。
ヨウキに限らず、その姿は生徒たちの目を引いていて、赤い髪の伯爵令息がヨウキを見て目を細めたチャナに気づき、訝しげな顔をした。
「なんだあの転校生、ヨウキ様を睨んでいるのか?」
ヨウキの様子を伺っていて周りが見えていなかったチャナだが、ヨウキの前に座る赤い髪の男子生徒が放った殺気を帯びた視線にはさすがに気がつき、ひきつった笑みを浮かべて目を逸らした。
チャナを睨んだ後に赤い髪の男子生徒が後ろに座るヨウキにの方に体を倒して、顔を近づけると声を潜めて話かけた。
「ヨウキ様、今はデイジー様がいらっしゃるので無理ですが、あいつが一人になったら俺が締め上げて礼儀を教えておいてやります。」
「うん、なかなか、悪役令息の取り巻きらしいことを言ってくれるな。
マニュアル通りだ。」
「「もちろん、我々も一緒に礼儀を教えます。」」
後ろの席の二人も、男ヒロイン扮するチャナが取った態度が許せないらしい。
「ここでの俺は公爵令息だから、あんなふうに目下のものが見上げるのはNGなんだけど、チャナはゲーム設定まるっきり無視だな。
無理に役を付けるなら、常識知らずの転生者男ヒロインというところか。
ある意味、テンプレートだな。
せっかく揃えた個人イベントの発動条件も気づいてないみたいだし。」
廊下から人の足音とガチャガチャという音が聞こえてきて、音は教室の前で止まった。
「あら、先生が来られたようだけど、魔法道具をお持ちのようだわ。」
教壇側のドアが開き、腰を曲げながら木箱を抱えて入ってきた老年の教師を見てルイスが意外そうな声を出している。
「今日の最初の授業は数式じゃなかったか?
まあ、いいか、数式よりこっちの方が断然面白いからな。」
スカーレットは数式の授業が変わったのが嬉しいらしく、魔法道具を抱えた教師を見て喜んでいる隙に、ルイスがチャナの隣の席に座ってしまった。
「あっ!ルイス、ずるいぞ、そこは私が。」
「君、赤い尻尾頭の君じゃよ、スカーレット君だったかな、早く座りなさい。
授業を始めるぞ。」
丸い小さなメガネを鼻にかけて、白髪を長く伸ばした背の低い教師が、教壇の前の席に立っていたスカーレットを注意すると、スカーレットはしぶしぶ、通路を挟んだ皇女の隣の席に移動した。
「今の時間の科目は魔法道具に変わったから、この魔法道具の使い方を教えよう。」
そう言いながら教師が取り出したのは、手のひらサイズのレースのような羽のついたブリキでできた小さな妖精だった。
「わー、めずらしい、かわいい。
魔法道具?」
チャナがたった今教師が箱から取り出した妖精に見入っていると、魔法道具の入っていた箱の中から薄白いイベントカードが飛び出した。
「なにあれ?カード?」
黄色の薔薇に囲まれた、麗しい第二皇女デイジーのはにかみ笑顔ショット。
「あ、個人イベントカードだ、イラストが出たってことは、イベント発動?条件って揃ってるの?
すごい偶然、やった!」
チャナは教壇の上に浮かび上がった個人イベントカードを見て飛び上がった。
「チャナさん、どうしたの、座ってなきゃ。」
ルイスがチャナの制服の裾を引いて座るように促したが、チャナはそれどころではなく、初めて見るイベントカードの絵が浮かび上がる様子に目が釘付けになり、さらに、消えていく瞬間まで見逃さないように瞬きもせずにくぎ付けになっていた。
「はい、そこの列、さっきから煩いよ、まあいいじゃろ。
この魔法道具を最初に練習させてあげようかな。」
手の上に乗せた妖精を見せながら教壇からチャナに近づいてきた教師が、妖精の頭に何かを振りかけると妖精の羽が忙しげにブーンと羽ばたきだした。