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【書籍化&コミカライズ化】勇者の旅の裏側で  作者: 八月森
1章

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23節 火を灯す

 日が完全に落ちる前に馬を降り、私たちは野営の準備を始めた。

 ここまでは天候に恵まれたが、夜間には崩れるかもしれない。雨除けになりそうな場所を、早めに仮宿として確保しておきたかった。


 当初の予定では、今頃は途中の宿場町に着けていたはずだったが、昼間の襲撃があったため中途半端な距離しか進めなかった。今夜はここで野宿し、明日一気にその先の街、クランまで進む方針だ。


 傍に小さな川が流れる街道沿い。林立する樹々の中から目についた一本を選び、その下に荷物を置き、馬を繋いだ。

 屋外で過ごす夜は、思った以上に体温を奪う。暖を取るため、二人で手分けして枯れ枝を集め、火を(おこ)す準備をする。

 魔術が使えれば手早かったのかもしれない、と、魔術を使えない私はふと思う。



  ――――



 神官は、魔術に関わることを禁じられている。

 魔術は、とある人間が魔族からその秘奥を盗み出したのが始まりだと伝えられている。つまり、元々は魔族の技術だ。

 であれば当然、最善の女神の信仰者には考えられない行為になる。敵対する邪神の被造物、忌まわしく穢れた魔族の力に触れるなど。

 また、祈りと共に神へ捧げるべき魔力を私的に(もてあそ)んでいる(少なくとも神殿はそう見做している)のも、禁じられた要因とされる。


 だから今のような思いつき自体、神官としては許されないことなのだろう。私の法術が三節で止まっているのは、このあたりが原因かもしれない。

 ある程度魔術が普及(習得のための勉学、そのさらに前提として読み書きが必須ではあるが)している現状で、今でもここまで毛嫌いしているのは神殿ぐらいではあるのだが。


 ……法術の炎、ですか?

《火の章》の炎は基本的に穢れだけを燃やすものなので、日常で使う場面はあまりないんです。そもそも使えたとしても、神の炎を些事(さじ)に用いるのは抵抗がありますが。



  ――――



 アレニエさんも、魔術を使う様子はない。

 そういえばユティルさんは、彼女を〝持ってない〟と評していた。魔具の説明の際の発言だし、魔力を、という意味で間違いないだろう。

 実際こうして傍にいても、私の魔覚は彼女のそれを感じない。辺りを空気のように漂う淡い自然の魔力は感じるのに。


 魔力の許容量には個人差がある。身長や筋肉と同じく、体質のようなものだ。

 生まれつき莫大な魔力を保有できる人もいれば、生涯わずかにしか蓄えられない人もいる。成育や訓練で容量が増える人もいれば、努力を重ねてもあまり伸びない人もいる。全くない、という人は珍しいが。


 当のアレニエさんは、集めた枯れ枝の前で、荷物の火口箱(ほくちばこ)から火口(おそらく余り布の消し炭)を取り出していた。

 それに火打石等で引火させれば火種になるのだけど……彼女はなぜか火口を足元に置いた後、その場で立ち上がる。


「ほっ、と」


 (いぶか)しげに見る私の前で、彼女は軽く片足を上げ、もう片方の足元に擦りつけるように前後に振り抜く。左右のブーツがカシンっ、と硬質な摩擦音を鳴らし、火花が散った。

 再びしゃがみこんだアレニエさんは、今ので引火したらしい足元の火口に息を吹きかけ火種にし、枯れ木に燃え移らせる。燃え広がった火種は、やがて立派な焚き火になった。


「……」


「ん? ああ、これ? ブーツの側面に、火打石と火打金を仕込んでるんだよ」


 呆気に取られていた私に彼女は、「これもユティルから買ったんだけどね」と補足しながら説明する。

 火打石って、手に持ったのを打ち合わせるものだと思っていたけど。


「……冒険者の方って、みんなそういう道具を使ってるんですか?」


「こんなの使ってるのはわたしくらいだと思うよ。普通に点けるのと、労力もそんなに変わらないし」


「……なんで使ってるんですか?」


「面白そうだったから」


 あっさり告げるアレニエさん。


「それに、これはこれで便利なんだよ。火花が顔にかかることもないしね」


 目に火花が入れば最悪失明する、と耳にしたこともあるので、なるほどと思う。なにより納得したのは、「面白そう」の一言だったが。


「まぁまぁ、そんな話はさておいて。とりあえず食べようよ」


 言いながら彼女が荷物から取り出したのは、塩漬け肉とチーズ、刻んだ野菜などを、切り込みを入れたパンに挟んだもの。出発する前、〈剣の継承亭〉のマスターから受け取っていた餞別(せんべつ)だった。


「はい。リュイスちゃんの分」


「あっ、ありがとうございます」


 手渡されたそれを受け取り、二人で夕食を取る。その前に。


「《……〈心に従う者〉エウセベイアを私は自ら選びます。アスタリアより豊穣を受け継ぎし彼女は大地の保護者。天則を通し食物を生育する敬虔な牧養者。彼女が育む日々の食事に感謝し、……》」


 両手を組み合わせ、目を閉じ、眼前で揺れる炎に向かって私は祈りを捧げ始めた。



  ――――


 

 主神であるアスタリアは、太陽や月を含む星々の全てを司っている。

 聖典によれば、私たちが暮らすこの大地も、無数に存在する星のうちの一つなのだという(にわかには信じがたいが)。

 だから彼女は、神代の言葉で『星』の名を冠する女神であり、光をもたらす太陽神であり、豊穣を司る地母神でもある。


 その権能は砕けた体と共に新たな神々に受け継がれ、最後に残されたのが前述の星々だとされる(だから流星――『星が落ちる』ことは凶兆と見做される)が、力の多くを失った今でも、それら被造物はアスタリアと繋がっている。

 その一つが火。七つの創造物の最後の一つ。


 火は()。天に浮かぶ太陽の炎は、この世で最大の火でもある。暗闇を照らし出す星の光。魔を払う浄化の炎。

 火を灯すことは地上に星を顕現(けんげん)させることであり、その創造者である女神と人とを繋ぎ合わせる儀礼行為となる。


 私たちは火を通じて神と繋がり、心に信仰の篝火(かがりび)を宿し、証として法術を授かる。

 神殿では神への感謝を忘れぬよう、蝋燭の明かりに、あるいは(かまど)に灯した炎に向かって祈るのが習慣だった。



  ――――



 祈りを終え、顔を上げると、こちらをじっと見ていたアレニエさんと目が合う。

 しまった。彼女を放って一人で祈りに集中してしま――……もしかして、終わるまで待っていてくれたのだろうか。……ますます申し訳ない。


「すみません、お待たせして――」


「――《私は善く考え、善き舌を持ち、善い行いを示す事を自ら誓う》……だっけ?」


 彼女の口から突然発されたそれに、しばし目を瞬かせる。しかしなにか返答しなければと私も口を開き、反射的に祈りの続きを接ぐ。


「……《全ての神のうちで最善であり、この先もそうである、アスタリアの礼拝者である事を此処に誓う》……」


 私たちが口にしたのは、アスタリアへの信仰告白。最も基本の教義である善思、善語、善行の三徳(対立するのが、悪思、悪語、悪行になる)と、女神への信仰を誓う、最初の祈りだった。


 教義は広く知れ渡り、多くの国、多くの人の行動規範になっている。

 しかし貴族や資産家しか『橋』を渡れないとされる今の取り決めでは、貧しい人々を中心に心が離れているのが現状でもあった。下層は特に、その傾向が顕著(けんちょ)だとも。


 彼女がその告白を正確に知っていたのは、だから正直に言えば意外だった。神殿にあまりいい印象を抱いていないようにも見えたので、なおさら。


「……もしかして、神殿に通われているんですか?」


 下層にも神殿はあるし、教義はもちろん、読み書きを教えてもらうこともできるらしいけれど……


「ううん、わたしは全然。とーさんがよく祈ってるから覚えてただけで」


「お父さん……お店の、マスターが?」


「昔住んでた孤児院が神殿系列で、毎日祈ってたから、習慣が今でも抜けないんだって」


 神殿系列の孤児院……そういえば彼は、私を「シスター」と呼んでいた。信徒が同胞に向ける呼び方の一つだ。

 アレニエさんが教義を口にしたのは、祈る私の姿にマスターの面影を見て、だろうか。

 いや、そこも気になるのだけど、それより……


「マスターも、孤児だったんですね……」


「言ってなかったっけ」


 頷く。が、今思えば得心がいく。

〈剣の継承亭〉を初めて訪れた際は、緊張(と恐怖)で気にする余裕もなかったが……

 オルフラン・オルディネール――『ありふれた孤児』。

 その名が、身の上を表していたのだろう。

 と――


「……孤児院……〈ウィスタリア孤児院〉?」


 不意に脳裏に浮かんだ名を、私はそのまま口からこぼした。


「あれ、よく知ってるね。……って、そっか。あの人も、同じとこに住んでたんだっけ」


「はい。孤児院を卒業する際にウィスタリアの姓を頂いたのだと、以前話してくれたことがありました。……だからお二人は、知り合いだったんですね」


 司祭さまが私に目をかけてくださるのは、そのあたりも理由なのかもしれない――


「ん―……」


 耳に聞こえた呻くような声に、ふとアレニエさんを見る。彼女はなぜか、難しい顔で眉根を寄せていた。


「え、と……どうか、しましたか?」


「なんかこう、不意打ち喰らった気分」


「?」


 意味が分からず戸惑うが、彼女自身もどことなく戸惑っているように見える。

 なにか、一言では言い表しがたい感情が、彼女には珍しく顔に滲み出ているようなのだけど、それはどちらかというと……


 ……薄々感じていたが、アレニエさんと司祭さまも旧知の仲ではあるものの……あまり、仲は良くない?

 こちらの視線に気づいたのか、彼女は少しだけバツが悪そうに苦笑した。


「思ったより話し込んじゃったね。ほら、食べよ食べよ。朝はバタバタしててゆっくり食べられなかったし」


「そう、ですね」


 話を打ち切り、手にした食事を頬張る彼女に続いて、私も同じものに口をつけた。


「……!」


 塩漬け肉とチーズの旨味に、一緒に入れられた野菜とそれらを包むパン(総本山で出されるものに比べたらかなり固くはあったが)が、単体だと主張の強い具材の味を和らげてくれる。

 気づけば夢中で食べ進める私を、アレニエさんが少し嬉しそうに覗き込んでいた。


「美味しい?」


「(こくこく)」


 口いっぱいに頬張ったせいでそれ以上口を開けなかったが、首を上下に振ってなんとか気持ちを表す。お世辞でもなんでもなく、本当に美味しい。


 それに……なんだろう。ホっとする、と言えばいいんだろうか。口に運ぶ度に、胸の内から温かさが広がっていくような、そんな感覚さえ覚える。


 屋外に野晒しで、彼女と私しかいない、傍から見れば寂しくも見える食事の場。

 なのに今の私は、これまでのどんな食卓よりも、安らいだ心地を感じている。


「そっか、良かった。『上』で暮らしてたら、もっといいもの毎日食べてるだろうから、口に合うかちょっと心配だったけど」


 それまで活発に動いていた口が、ピタリと止まる。パンを持つ手が、途端に重くなる。


「……そう、ですよね。本当なら、美味しいはず、なんですよね……」


「?」


 口を開くべきか、わずかに迷う。

 しかしここで黙り込んでしまえば、せっかくの食事も先ほどまでのように味わえないだろうことは、私にも想像がついた。だから言葉を手繰り寄せ、絞り出す。


「……その……急に、変なことを聞きますけど……アレニエさんは、総本山に所属する条件を、ご存じですか?」


「へ? まぁ、一応、人並みには知ってるけど……えぇと。まず、貴族なら簡単になれるんだよね。元々神官は貴族しかなれなかったから」


 コクリと、頷く。


「それから、神官として、優れた実績を示すこと。確かこっちは、平民でも総本山に所属できるように、って後から追加されたやつだね」


「はい……。……それらの条件を、私が満たしているのかどうか。アレニエさんは、疑問に思うことはありませんでしたか?」


「あ、うん。最初会った時にちょっと思ったけど」


 率直な人だなぁ。

 苦笑と自嘲を顔に浮かべつつ、私はぽつぽつと口を開く。


「……以前話したように私も孤児で、総本山にいるのも、引き取ってくださった司祭さまに連れられてのことです。彼女の養子だとは公表せず、あくまで師弟として。そして、傍仕えとして、ですが」


「傍仕え?」


「主に貴族出身者に向けた制度です。一人では着替えもできない、という方も珍しくないらしくて……」


「……よく分かんない世界だなぁ」


「正直に言えば、私も」


 彼女の言葉に思わず同意してしまい、苦笑が漏れる。


「その意味ではクラルテ司祭にも、本来は必要なかったのですが……私を同行させるには、都合のいい制度だったんです。司祭さまとしても、私から目を離すのは不安だったらしくて……ただ……」


「ただ?」


「本当なら、傍仕えとして所属するのにも、先ほどの条件を満たさなければいけないんです。でも……私は特例として、そのどちらも満たさずに、入り込んでしまった……他の人たち――正規の道筋で所属している神官にとってみれば、それは……」


 厳粛な空気に包まれた広い食堂に、同じ聖服を身につけた神官たちが整然と着席する。

 食卓に並ぶのは華美になりすぎない程度の、けれど一般の神殿に比べれば遥かに豪華な料理の数々。

 本来なら私が口にできるはずのなかった、最上級の食事。それを……私は黙々と口に運び、流し込み、できる限り手早く終えようと、苦心する。


 食事の間中感じるのは、周囲からの侮蔑や疑念の視線。耳には届かないはずの言葉たち。

 継がれた血筋も資産も持たない。優れた資質も実績も示せない。それなのに、どうして貴女はここに、世界で最も貴き神殿に、今ものうのうと留まっている――?


「……周りの人たちのそれ、教義で言う悪思とか悪語ってやつじゃないの?」


 彼女の言葉に私は曖昧に笑い、話を続ける。


「……正直、味もよく分かりませんでした。何を食べても、食べた気がしない……私にとって日々の食事は、ただ生きるために栄養を流し込む作業で……。……でも、今は。このパンの味は――」


 旅に対する不安は少なくなかったが、普段の環境から抜け出す好機でもあった。

 現に今、こうして穏やかに食事を取れている。それだけでも、神殿を出た甲斐はあったと、そう、思える。


「そっか……一口に『上』で暮らしてるって言っても、いろいろあるんだね。……うん、でも、そっか。とーさんのパンは、ちゃんと味わえてるんだね」


「はい」


 と、そこで不意にアレニエさんの瞳が、悪戯っぽく輝く。


「それってさ、とーさんの料理のおかげだけ? それとも……わたしと一緒の食事だから、かな?」


「え……えっ?」


 慌てふためく私の様子に、アレニエさんは笑みを浮かべる。

 彼女が意図してそうしたのかは分からない。

 けれどおかげで、私が沈めてしまったこの場の空気が、元の温かさを取り戻した気がした。


 そうして私をからかいながら、いつの間に食べ終えたのか、彼女は既に二つ目に口をつけていた。

 実際、マスターの餞別はお世辞抜きに美味しく、今日は色々あったため普段より空腹も大きい。

 赤面しながら、私も手にしていた分を食べ終え、次に手を伸ばした。

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