第19話 『暴風』
全身から魔力が噴き出す。
周囲には何人たりとも近寄らせぬ暴風が立ち込める。
噴き出す白い魔力が僕の全身を包む。
そしてそれは、徐々に翡翠色へと変化していった。
「グルルル………」
ウルフが低く唸る。
その体から漏れ出る薄紫色の魔力が、一段と濃さを増した。
ウルフが姿をかき消す。
元いた場所には足跡すら残っていなかった。
(見える──!)
今まで捉えられなかったその動きが、鮮明に映る。
振り下ろされる爪も。
地面を蹴る脚も。
獲物を狩るために研ぎ澄まされた動きも。
──キィィン!
僕を引き裂かんとする攻撃を、刀で受ける。
「うぅぅ……」
凄まじい衝撃が腕に伝わる。
だが、先程までのような絶望はない。
そして──反応できる。
「おおぉぉぉお!!」
重心を前に傾け、地面を強く押す。
力任せに刀を振り抜き、ウルフの攻撃を弾き返した。
その瞬間。
──カァァン!
刀が甲高い音を鳴らす。
まるで、無茶をした刀が根本から折れたような。
「ッ!?」
慌てて刀に視線を向ける。
破損はない。
ただ──
刀身を走る峰が、翡翠色に輝いていた。
何故そんな変化が起こったのか、全く見当がつかない。
強いて言えば、持ち手に埋まる力の魔石だが、そこに変化は見られない。
ただ一つ、理解できたことがあった。
この刀なら、翡翠色の魔力も制御できると。
僕の感覚が、そう訴えかける。
僕は迷わず刀に魔力を込める。
周囲を荒れ狂う暴風へと意識を向けた。
それに応えるように暴風が勢いを増す。
より大きくなった風圧は、周囲を押し流しながら唸りを上げた。
「ガルルルル………」
そこから何か感じ取ったのだろうか。
ウルフが唸り、再び姿をかき消した。
先程よりも速い。
その姿を捉えるのでやっとだ。
でも、それはもう僕にとって問題にはならない。
荒れ狂う暴風と、魔力によって作り出した風を思いっきり圧縮した。
圧縮した空気は、ものすごい速さで吹き抜けながら、厚い層として体を覆った。
「ガウッ!?」
ウルフの爪が、僕の体に届く寸前まで迫る。
しかし振り抜かれた爪は、僕に届く前に風の壁に阻まれる。
そしてウルフは、弾かれた拍子に体勢を崩した。
(今だッ!)
体内に残る魔力を放出し、形成した術式に通す。
するとそれは、凄まじい勢いで翡翠色に変化した。
変化した魔力が一点に収束し、それはやがて圧縮された風となった。
凄まじく圧縮された風は、周囲の光すら歪め、反対側の景色を視認できなくした。
そしてそれは、高速で回転する鋭い刃となった。
その刃をウルフに向かって撃ち出す。
──ヒュゥゥン!
撃ち出された風の刃は、音を出しながら高速で進む。
そのまま空を切り裂きながら一直線に進み、やがてウルフを捉えた。
「ガウッ!?」
ウルフは、このままでは自分に直撃すると考えたのか、はたまた本能により体が動いただけか。
僕の風の鎧に弾かれ、よろけているウルフは、無理矢理体を捻って攻撃を避けようとする。
──だが、もう遅い。
間に合わないと踏んだウルフは、絶対の自信を持つ爪で風の刃を受けた。
「ガウァァァ!!」
自分の爪ならばこの程度の刃は問題にならない、そんな慢心がウルフにはあった。
しかし、その慢心は直後に打ち砕かられることとなった。
ウルフの爪が切断され、さらにそのままウルフの体を切り裂く。
その攻撃は、即死には至らなかった。
しかしその傷は、決して浅いものではない。
体を切り裂かれたウルフは怒りをあらわにし、再び地面を蹴る。
傷を負った今なお、その速さに衰えは見受けられない。
完全な隙をついた一撃すら決着をつけるには至らなかった。
風を使った攻撃は、刀を使うそれよりも威力が低い。
何度同じ攻撃をしても、こいつを倒すことはできないかもしれない。
──ならばどうする。
答えは一つしかない。
迎え撃つだけだ。
相手の攻撃が届く前に、僕の刀でウルフを斬る。
もしかしたら僕に致命的な一撃が入るかもしれない。
もしかしたら僕は攻撃を受けて死ぬかもしれない。
でももういい。
お母さんはもういない。
師匠もいない。
お父さんは戻ってこない。
ならせめて。
せめてこいつだけは僕が──
ウルフの動きをよく見る。
その動きは、深手を負っているとは思えない。
それほどまでに無駄のない動きだった。
「ガァァァァァ!!!」
ウルフが咆哮を上げる。
ウルフの纏う薄紫色の魔力がその咆哮に込められていると、そんな気がした。
それに警戒をしつつも、ウルフへの視線は外さない。
凄まじい速度で距離を詰めてくる。
このままならば、あと数秒としないうちにここに辿り着くだろう。
剣に残る全ての魔力を込める。
魔力を込められた剣は、瞬く間に鋭い風を纏った。
僕も地面を蹴る。
互いの距離が一瞬にして消える。
次の瞬間には、お互いがお互いの間合いに踏み込んでいた。
振り下ろされる爪。
振り抜く刀。
互いの攻撃が、ほぼ同時に相手を捉える。
「うっ……」
僕の横腹から真っ赤な血が滴る。
体を纏った風の壁を突破するほどの一撃が、ウルフの爪から放たれた。
そこには三本の爪痕が浅く刻まれていた。
「ガウッ……!」
同時にウルフも声を上げる。
ウルフは、体を大きく切り裂かれ、血が吹き出していた。
僕の攻撃は、ウルフを斬り裂いた。
──ドサッ
ウルフが力なく倒れ果てる。
そこにあったのは、僕の大切なものを壊した悪魔の姿ではなかった。
「おわっ……た」
全身から力が抜け、その場に膝をつく。
そして、視界の端に映った。
僕は脱力する体に鞭を打って、そこに向かった。
「ぁ……」
そこには、真っ赤な血を流し倒れるお母さんの姿があった。
そして、倒れ込む師匠の姿があった。
僕は師匠のそばに座り込む。
「し、師匠……?」
返事はない。
僕は、師匠の肩に触れる。
その体は、生命が宿っているとは思えないほど冷たかった。
「し、ししょ……」
師匠の肩を揺らす。
返事は返ってこない。
涙が溢れる。
お母さんは動かない。
師匠は、返事をしない。
お父さんは戻ってこない。
周りに、動く人の影はない。
もう、リリもいない。
なのに、僕だけが生き残っている。
「なんで………」
声が震える。
「なんで僕だけ置いて行ったんだ………」
答えるものはいない。
「二度目の人生を与えて……幸せな生活をさせて……なのに………なんで………」
溢れ出す涙が止まらない。
胸を満たす絶望は、ちっとも薄くならない。
「なんで……なんで……」
誰も答えない。
先程まで戦っていたウルフも。
村を襲った魔物たちも。
いつも元気に暮らしている村人たちさえも。
その空間には、僕しか残っていなかった。
視界が滲む。
師匠の姿も、お母さんの姿も、うまく輪郭を捉えられない。
それは、涙のせいなのか。
それとも、魔力を使いすぎたせいなのか。
僕にはわからない。
意識が遠のいていく。
最後に見たのは、青く晴れ渡った空だった。
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