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第48話 王女、静かに牙を剥く

 王都の朝は、何事もなかったような顔をして始まる。


 石畳は洗われ、露店は開き、役人は書類を抱えて走る。

 昨日まであれほど王都の裏が血なまぐさく揺れていたというのに、表の町並みは今日もきっちり整っていた。


 だが、その“何事もなかった顔”の下で、確かに何かが動いている。


 《三つ足カラス亭》の二階。

 窓際に立って下町の往来を見ていた龍真は、その気配を肌で感じていた。


 目に見える騒ぎではない。

 もっと静かな揺れだ。


 商会街から出てくる使いの足が妙に早い。

 王城方面へ向かう馬車の数が、朝から多い。

 それに、王都ギルド筋の顔をした人間が、いつもよりずっと固い表情で通りを行き来している。


「……始まったな」


 低く呟く。


 その声に、机へ突っ伏していたリリィが顔を上げた。

 目の下に少し隈がある。昨夜遅くまで黒帳簿と写しを照らし合わせていたせいだ。


「何がですか」

「王女様の反撃だろ」

「まだ王城から正式な使いは来てませんよ?」

「来なくても分かる」


 龍真は窓の外を顎で示した。


「町の空気が違う」

「……ああ」


 リリィも立ち上がって外を見る。

 帳簿だけ見ていても分からないことが、実際の町にはある。


「ほんとだ……なんか、みんな落ち着かない感じ」

「ええ」

 エレオノーラが部屋の隅で腕を組んだまま頷く。

「王城が表向き動けば、まず先に揺れるのは役人と商会です。下へ命令が降りる前に、上の連中がざわつくから」


 ミアが帽子を弄りながら言った。


「でも、王女様って本当にやるんだね」

「何を今さら」

 ノアが小さく笑う。

「地下市場に一人で潜る人よ」

「それはそうなんだけどさ、でもほら、王城の中で“ちゃんと”動くのってまた別じゃん」

「別だからこそ、大変なのよ」

 カティアが椅子へ深く座りながら言う。


 彼女の前にも、昨夜から広げっぱなしの名簿と人脈図があった。

 慈善晩餐会に出ていた代理人。

 王都ギルドの監査筋。

 王妃派と中立派で、どちらに揺れそうかまだ読めない家。

 そこへ王女側の動きが入れば、誰がどう顔色を変えるか。

 全部が王都の“表の戦い”だ。


「地下市場を潰しただけなら、まだ公爵家側は“商会の不祥事です”“王都ギルドの一部が腐っていました”で押し切れた」

「でも今は違う」

 ノアが言う。

「黒帳簿があるから」

「ええ。しかも、ただの裏帳簿じゃない。王都ギルド、ロートベル商会、慈善資金、裏邸宅の会談、全部を繋ぐ本物」


 カティアは細く息を吐いた。


「王女殿下があれを持ったまま黙ってるはずがないと、上流はもう分かってる」

「だから町の空気がこうなる」

 龍真が言う。

「そういうことよ」


 その時、階下から女将の声が響いた。


「王城から使いだよ!」


 全員の動きが止まる。


 昨日なら“またか”で済んだかもしれない。

 だが今日は違う。

 何かが本当に動いた後の使いだ。


 エレオノーラが最初に立つ。

 龍真も続く。

 階下へ降りると、そこには王城外宮付きの使者が二人立っていた。


 前に王女の招致状を持ってきた者とは別だ。

 衣の格も、立ち方も、一段固い。

 つまり今日は“個人的な招き”ではなく、もっと公に近い動きなのだろう。


「水戸龍真殿」

 年長の使者が一礼する。

「第二王女セレスティア・ルミナス・アルヴェイン殿下より、急ぎのお言葉です」

「何だ」

「本日、王城にて不正会計および非公認流通の調査が正式議題として提出されました」

「……」


 やはり来た。


 エレオノーラの目がわずかに細くなる。

 リリィは小さく息を呑み、ミアは「ほんとにやった」と半分驚いた顔になっていた。

 カティアだけは、当然だというように薄く頷く。


 使者は続ける。


「殿下は、ここから先の動きに備え、皆さまに“王都の町側の変化をすぐに拾ってほしい”とのことです」

「王城ではなく町を?」

 ノアが聞く。


「はい。王城内では表向きの議論が進みますが、公爵派が実際に先に動かすのは、おそらく商会と王都ギルド、そして下町側の口封じだと殿下は見ておられます」

「王女様らしいな」

 龍真が低く言う。


 表で牙を剥きながら、同時に裏の反動まで読んでいる。

 あの王女はやはり、ただ王城の中だけを見ている人間ではない。


 使者が去ったあと、部屋へ戻る空気は、朝のそれとは完全に違っていた。


 王女の反撃が始まった。

 しかも今度は地下ではない。

 王城の議題として、王都の表へ向けてだ。


「……王女様、静かに牙を剥いたね」

 ミアがぽつりと言う。

「ええ」

 エレオノーラが答える。

「しかも、公爵家を直接名指しせずに」

「そこがいやらしいのよ、王城の戦いは」

 カティアが言う。

「名指ししない。でも誰が狙われているかは全員に分かる。そういう形で最初の一手を打つの」

「王都っぽいな」

 龍真が言う。

「ほんと、嫌になるくらい王都的だわ」


 リリィは慌てて帳簿を抱え直した。


「じゃ、じゃあこれから王都ギルドも商会街も一斉にごまかし始めますよね!?」

「ええ」

 エレオノーラが頷く。

「記録改ざん、口裏合わせ、責任転嫁、逃亡。やれることは全部やるでしょう」

「うわあ……」

「だから今のうちに拾うのよ」

 カティアが言う。


「今なら、向こうもまだ“どこまで王女が持っているか”を測りながら動く。つまり、完全には統制が取れていない」

「焦ってるうちに尻尾を出すか」

 龍真が言う。

「そういうこと」


 ノアが机の上に広げられた王都図へ手を置く。


「じゃあ、こっちはどう動く?」

「まず下町」

 エレオノーラが即答した。

「王都ギルドが崩れ始めれば、最初に圧がかかるのは証言者と末端の受付・雑務係です」

「下っ端から切るってこと?」

 ミアが聞く。

「ええ。王都の上はいつもそうです。責任を押しつけやすい場所から崩す」

「最低ね」

 ノアが小さく言う。


 リリィも真顔で頷く。


「……ありえます。王都ギルドの上層部って、平気で“末端の不正でした”って言いますから」

「だったら」

 龍真が低く言う。

「その前に拾う」

「はい」


 全員の答えは、もう揃っていた。


 王女は王城で動く。

 ならこちらは王都の町で動く。

 表が牙を剥いた以上、裏も確実に反応する。

 その反応を先回りして拾うのが、今の“一家”の役目だ。


 午後、王都の空気はさらに変わった。


 王都ギルド本部前には、いつもより兵が多い。

 商会街では、急に閉めた店がいくつか出た。

 教会筋の使いがあわただしく行き来し、下町の酒場では「王城がギルドを調べるらしい」という噂がもう流れ始めている。


 王女セレスティアは、確かに王都を揺らした。


 だが面白いのは、その揺れ方だった。


 誰もまだ大声では騒がない。

 けれど、皆が“何か起きた”と知っている。

 それが王城発の一手の重さだ。


 龍真は下町の通りを歩きながら、その空気を肌で読んでいた。

 隣にはエレオノーラ。

 少し後ろにリリィ、ミア、ノア。

 カティアは別動きで上流側の反応を拾いに行っている。


「見ろ」

 龍真が顎で示す。


 角を曲がった先、王都ギルドの雑務係らしき若い男が、荷物もまとめずに裏道へ走っていく。

 その表情は明らかに“普通の用事”の顔ではない。


「早速ね」

 エレオノーラが言う。

「ええ。上が揺れれば、末端は逃げるか、隠れるか、誰かに泣きつきます」

「泣きつく先を辿ればいい」

「そういうことです」


 リリィが少し前へ出る。


「あの人、ギルド本部の伝票係です。私、顔見たことある」

「知り合いか」

「知り合いじゃないです。嫌な上司の一人です」

「それはちょっと嬉しそうに言うんだな」

「今だけはです!」


 だが、その伝票係はただ逃げているだけではなかった。

 裏道の先で、誰かへ紙を渡そうとしている。


 龍真の目が細くなる。


「取り次ぎだな」

「ええ」

 エレオノーラも頷いた。

「上流へ繋がる前に、押さえますか」

「いや、もう少し泳がせろ」

「先を見ますか」

「ああ」


 王都の表が動き始めた初日。

 その日のうちに、もう末端が紙を持って走る。

 やはり、公爵派も王都ギルドも、まだ全然落ち着いていない。


「王女様の一手、効いてるね」

 ミアが小さく言う。

「効いてるわ」

 ノアが答える。

「だから向こうも焦ってる」


 龍真はそのまま歩く。


 追う。

 拾う。

 潰すべき場所を見定める。


 王都の政治は王城で回る。

 だが、王都の腐敗は町で慌てる。

 セレスティアが静かに牙を剥いたことで、王都の上も下も、今は少しずつ綻び始めていた。


 その綻びの先に、次の獲物がある。

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