第38話 正義では勝てない、だから筋で押す
王城外宮の中庭は、昼の光を受けて静かに白かった。
整えられた低木。
細く水を弾く噴水。
風に揺れる白百合。
王都の外では人の噂と金の流れが渦を巻いているというのに、ここだけはまるで別の世界のように整っている。
だが、その静けさの真ん中で交わされる話は、穏やかなものではなかった。
セレスティア・ルミナス・アルヴェイン第二王女は、石卓の向こう側で静かに姿勢を正していた。
その前には龍真。
少し離れた位置にエレオノーラ、リリィ、ミア、ノア、そしてカティア。
王女に呼ばれたのは午前だったが、話はもう二刻近く途切れていない。
地下市場で回収した帳簿。
ロートベル商会の裏会計。
慈善晩餐会に集まる代理人たちの名。
王城内の勢力図。
全部を机に広げた上で、今は“ここからどう崩すか”が議題になっていた。
「私は、表から詰めるべきだと考えています」
王女が言う。
声は落ち着いている。
だが、その落ち着きの中に芯がある。
「地下市場の存在、ロートベル商会の裏会計、慈善資金との不自然な重なり。これらを繋ぎ、王都ギルド上層部と公爵家の会計筋へ正式に調査を入れる」
「正式に、ねえ」
龍真が低く返した。
「ええ。王城側から、言い逃れのできない順で」
「それで潰せるなら楽だな」
「楽ではありません。ですが、表の正しさを使わずに公爵家を崩せば、逆に“王都の秩序を乱す乱暴者”としてこちらが悪にされる」
その理屈は分かる。
実際、王都という場所はそういう街だ。
下町では噂が走り、上流では印象が組み立てられ、王城では理屈と手順が正義の顔をする。
正しさを経由しなければ、正しい側に立っていても負ける。
セレスティアはそう言っている。
「王女様の言い分は分かるよ」
ミアが少し首を傾げながら言う。
「でも、それって時間かからない?」
「かかります」
セレスティアは即答した。
「かなり」
「その間に、向こうが証拠消したり、人を逃がしたりしたら?」
「その危険もあります」
王女はそこで視線を龍真へ向ける。
「だから、あなたたちの力が必要なのです」
「……」
龍真は黙ったまま、机の上の帳簿を見ていた。
紙の上の数字。
整った符号。
綺麗な言い回し。
それらが結局何を隠しているか、今さら分からないほど鈍くはない。
人を売っている。
獣人の娘を攫っている。
王都の地下で値をつけている。
それを“会計”や“慈善”や“秩序”の言葉で包んでいるだけだ。
「証拠だけじゃ逃げ道を作られる」
龍真がようやく言った。
部屋の空気が少し変わる。
「……どういう意味ですか」
セレスティアが問う。
「そのまんまだ。帳簿を出す。公爵家に繋がる金の流れを突きつける。王都ギルドの腐敗を示す。そりゃ表向きは効くだろうよ」
「ええ」
「だが向こうは、切る尻尾を用意してる」
龍真は机の上の一冊を指で叩いた。
「ロートベル商会一つ潰して終わり。王都ギルド上層部を二、三人切って終わり。慈善資金の流れは会計係の独断でしたで終わり」
「……その可能性は高いです」
カティアが静かに言う。
「王都の上流は、そうやって本体を守る」
「だから表だけじゃ足りねえ」
龍真の声は低い。
「裏の流れも止める。実際に人を運んでる手足も潰す。逃げ道に使ってる邸宅や倉庫も押さえる。そっちを同時にやらねえと、帳簿だけ出しても“綺麗に片付けました”って顔されるだけだ」
「……」
セレスティアはすぐには返さなかった。
反論したいわけではない。
むしろ、それが本当だと分かっている顔だった。
王都の秩序は、帳簿一冊でひっくり返るほど軽くない。
だからこそ彼女は困っているのだ。
「正義では勝てない、ってことか」
ノアが小さく呟く。
「勝てなくはない」
エレオノーラが言った。
「ただ、正義だけで勝とうとすると遅い。そして遅い間に、人も証拠も消える」
「じゃあ、どうするの」
ミアが聞く。
龍真は答える。
「筋で押す」
「筋?」
リリィがきょとんとする。
「表は表の理屈で詰める。王女様のやり方だ。帳簿、記録、派閥、告発、そういう王都の正しい顔で相手を縛る」
「はい」
セレスティアが静かに頷く。
「その代わり、裏はこっちで壊す。人を運ぶ手、金を流す道、口を塞いでる護衛、逃がすための裏口、そこを先に潰す」
「つまり……」
リリィが整理するように言った。
「王女様側が“表の証拠”を集めて、こっちが“裏の現場”を潰す、ってことですか」
「そういうことだ」
「二重に締めるわけね」
カティアが目を細める。
「ええ。そうしないと、公爵家は絶対に言い逃れる」
セレスティアは少し黙ったあと、静かに言った。
「荒いやり方です」
「綺麗にやって勝てる相手じゃねえだろ」
「……その通りです」
王女は素直に認めた。
その時、エレオノーラが一歩前へ出る。
「殿下。龍真の言い方は乱暴ですが、実務的には理にかなっています」
「あなたもそう思いますか」
「はい。私は騎士として、法と秩序を軽んじるつもりはありません」
「ええ」
「ですが、法が届く前に敵が逃げれば終わりです。王都の大貴族は、その“逃げる術”を何重にも持っている」
「だから、表と裏を同時に?」
「そうです」
エレオノーラの目は真っ直ぐだった。
「表は殿下の力で。裏は私たちで押さえる。それが一番現実的です」
「……」
「殿下が綺麗なやり方を望まれるのは分かります。ですが、相手は綺麗に腐っています」
その言葉に、セレスティアはほんの少しだけ苦く笑った。
「綺麗に腐っている、ですか」
「はい。王都らしいでしょう」
「まったくです」
カティアも口を開く。
「私は殿下寄りの考え方だったけれど、今は半分変わったわ」
「半分?」
「表だけでは足りない。でも裏だけでも駄目。どちらか一つなら、向こうは必ず残る」
「……ええ」
「だったら二つ同時にいくしかない」
リリィは帳簿へ視線を落としながら、小さく言った。
「私、最初は“ちゃんと証拠があれば王都って動くのかな”って少し思ってました」
「そう思うのは自然です」
セレスティアが答える。
「でも」
リリィは顔を上げた。
「帳簿見れば見るほど、“動かないように作ってる”感じがするんです」
「……」
「だから、証拠を出すだけじゃなくて、証拠を出した時に逃げられないようにしなきゃ駄目なんだって、今は思います」
「よく見ていますね」
「見たくもないものまで見えちゃっただけです……」
そこで、ミアが拳を握る。
「じゃあ、決まりじゃん」
「何が」
龍真が聞く。
「王女様が表をやる。私たちが裏をやる。それでいいんでしょ?」
「ずいぶん雑にまとめたな」
「でも合ってるでしょ」
「……合ってるな」
ノアも静かに頷く。
「うん。どっちか片方だと、また誰かが消される」
「そうね」
カティアが同意する。
「王都のやり方に合わせるだけじゃ、王都の闇は残る。龍真たちのやり方だけでも、王都の表には届かない」
「だったら両方だ」
龍真は短く言った。
その一言で、部屋の空気がようやくまとまった。
正義では勝てない。
だから筋で押す。
王女は表から詰める。
龍真たちは裏から潰す。
その役割分担が、ようやく全員の腹に落ちた時だった。
扉の外で、控えていた侍女が一礼しながら声をかけた。
「殿下」
「何ですか」
「急ぎ、王都ギルドより報が」
「中へ」
侍女が差し出したのは、小さく畳まれた紙だった。
セレスティアが目を通す。
その表情が、ほんのわずかに変わる。
「……動いたわね」
王女が低く言う。
「何がだ」
龍真が問う。
「王都ギルド上層部の一人が、昨夜から行方をくらませようとしている」
「逃げる気か」
「ええ」
セレスティアは紙を机へ置いた。
「表向きは地方視察。ですが、荷物のまとめ方と護衛のつけ方が明らかに逃亡準備のそれです」
「名前は」
エレオノーラが聞く。
「クラウス・ベルディン。王都ギルド監査補佐官」
「監査、ねえ」
カティアが鼻を鳴らす。
「一番逃げたらまずい役職じゃない」
「地下市場と慈善資金の流れ、その両方に印が出ていた名です」
リリィがすぐに帳簿をめくる。
「ほら、ここ。別処理案件の承認印。それと、王都西区画の出入り許可証の補助印」
「中を知ってるな」
龍真が言う。
王女ははっきりと頷いた。
「ええ。だからこそ逃げるのでしょう」
「なら追うだけだ」
「そうなります」
セレスティアは龍真を見る。
「殿下側で正式に足を止めるには、まだ時間がかかります」
「待ってたら逃げる」
「ええ」
「だったら、やることは決まってる」
龍真は椅子から立ち上がった。
「表は王女様が押さえろ」
「はい」
「裏の逃げ足は、こっちが折る」
「お願いします」
そのやり取りを見ながら、エレオノーラが静かに剣の位置を直す。
リリィは帳簿を抱え、必要な符号を探し始める。
ミアとノアも顔つきを変える。
カティアは、逃亡先に繋がる上流の導線を頭の中で洗い始めている顔だった。
話し合いは終わった。
王女と流れ者の間で、表と裏の役割が決まった。
その直後に、裏の中枢の一人が逃げ出そうとしている。
都合が良すぎるほど、次の一手は明確だった。
龍真は村正へ手を置き、低く言った。
「いい流れだ」
「いい、んですか?」
リリィが思わず聞く。
「逃げるってことは、向こうも焦ってる」
「……たしかに」
「だったら今のうちに、逃げる帳簿係を追うぞ」
王都の表と裏をまたぐ戦いは、そうして次の局面へ動き始めた。




