第35話 流れ者、王女の“私的協力者”になる
王城外宮の一室で決まったことは、重かった。
王女セレスティア・ルミナス・アルヴェイン。
第二王女その人が、王城の内外に広がる腐敗を暴くために、龍真たちへ継続的な協力を求めた。
しかもそれは、王命でもなければ、公的な任命でもない。
王女個人の私的な依頼。
言葉にすればそれだけだ。
だが、その曖昧さこそが、この話の危うさを全部示していた。
正式な立場ではない。
だから自由に動ける。
だが、正式な立場ではない。
だから守ってもらえる保証も薄い。
王城外宮を出る頃には、ミアでさえその意味をなんとなく理解し始めていた。
「……つまりさ」
白い回廊を歩きながら、ミアが小声で言う。
「味方っぽいけど、味方って言い切れないってこと?」
「ざっくり言えばそうね」
カティアが答える。
「王女殿下ご本人は味方。でも王城全体がこっちについたわけじゃない。むしろ、私的に動くしかないってことは、表では簡単に庇えないってことよ」
「うわ、やだそれ」
「やですよねぇ……」
リリィがすぐに同意した。
「私、最初“王女様が味方ならちょっと安心かも”って思ったんですけど、今は逆に“王女様しかはっきり味方じゃない”って感じになってきました」
「いい勘してるな」
龍真が言う。
「褒められても全然嬉しくないです!」
リリィの抗議はもっともだった。
王城の空気は、部屋の中だけならまだ静かだった。
だが一歩外へ出れば違う。
回廊の向こうで立ち話をしていた役人風の男たちが、龍真たちを見るなり会話を止める。
侍女たちは露骨に見ないふりをし、近衛は礼を崩さないまま視線だけを一瞬流してくる。
王女に招かれた。
それだけでもう、十分に目立つ。
しかも招かれたのが、
獣人の娘二人、
元受付嬢、
地方守備隊副長、
侯爵令嬢、
そして黒髪の流れ者だ。
まともな王城の風景には見えない。
エレオノーラはそういう空気を読みながら、小さく息を吐いた。
「……これで確定ですね」
「何がだ」
「私たちは、少なくとも王城では“正規の客人”ではありません」
「今さらだろ」
「今さらですが、改めて実感すると面倒です」
「面倒なのは最初からだ」
そう言いながらも、龍真は周囲を見ていた。
王城の中の視線は、下町のそれと違う。
恐れより先に値踏みがある。
露骨な敵意はない。
だが、“どの程度危険か”“どこまで王女へ食い込んでいるか”“切るべきか、使えるか”を測っている目だ。
地下市場の私兵より、よほどやりにくい。
外宮の大階段を降りるところで、セレスティア付きの侍女が一人、後ろから追ってきた。
年は三十前後。地味な衣だが所作が美しく、目元だけで相当有能だと分かる。
「龍真殿」
「何だ」
「殿下より、こちらを」
差し出されたのは、王家の正式印ではなく、白百合をかたどった小さな銀の留め具だった。指輪ではない。外套や内ポケットの裏へ忍ばせて使う類の、小さな認証具だ。
「これは?」
ノアが問う。
侍女は静かに答える。
「殿下の私印です。王城で正式な証とはなりませんが、殿下個人の意志で動く者であることは示せます」
「そんなもの、渡して大丈夫なのか」
龍真が言うと、侍女は少しだけ口元を緩めた。
「大丈夫ではないからこそ、殿下がご自身でお決めになりました」
「……」
「ただし、これで守られると思わないでください」
「分かってる」
「でしたら結構です」
そのやり取りを聞いて、リリィが小さく震えた。
「わ、わあ……ほんとに私的協力者って感じだ……」
「何だその感想」
「だって、王女様の秘密バッジみたいなものですよ!?」
「秘密バッジ……」
「ミア、そこ笑うところじゃないわよ」
「でもなんかちょっとだけ分かりやすかったから……」
侍女は一礼して去っていく。
その背中を見送りながら、カティアがぽつりと言った。
「殿下、本気ね」
「本気でなきゃ地下市場に自分で潜らねえだろ」
「そこはそうなんだけど、王女が私印を渡すって、結構大胆な話なのよ」
「そうか」
「そうなのよ。王城の中で、誰にどこまで自分の側だと見せるかは、それだけで政治になるから」
やはり王都の上流は面倒だ。
龍真は改めてそう思った。
王城を出るまでの間、ミアはずっときょろきょろしていた。
豪奢な柱、整えられた庭、噴水、白い鳥の浮かぶ池。
緊張しているのに、つい目に入ってしまうのだろう。
「……すごかった」
「何がだ」
「全部」
ミアは真顔で言った。
「王女様も、部屋も、王城も、空気も、全部すごかった」
「語彙が死んでるな」
「しょうがないじゃん! ほんとにそうなんだもん!」
ノアが苦笑する。
「でも、気持ちは分かるわ。豪華っていうより、世界が違った」
「うん。それなのに……」
ミアは少し声を落とした。
「王女様、なんか思ってたより、普通に話す人だった」
「普通、ではないけれど」
カティアが言う。
「でも、壁の向こうの人ではなかったでしょう」
「それは、うん」
ミアは頷いた。
「ちゃんと怒ってたし、ちゃんと地下のこと気にしてた」
「そこが、あの人の強さなんだろうな」
龍真の言葉に、エレオノーラも静かに同意した。
「ええ。王族でありながら、王城の中からでは届かない場所を知っている」
「だから俺らを使う」
「使う、という言い方は少し違います」
「じゃあ何だ」
「……背負える者に、分けているんです」
「似たようなもんだろ」
「それを言うと身も蓋もありません」
王城の門を出た途端、みんな少しだけ肩の力を抜いた。
外の空気は、王城の中よりよほど汚れている。
馬の匂い。
石畳の埃。
商人の怒鳴り声。
それでもこっちの方が、龍真にはまだ呼吸しやすい。
だが、気が緩んだのはほんの短い時間だけだった。
門から少し離れた大通りへ出た瞬間、龍真は気配に気づいた。
視線がある。
しかも一つや二つではない。
通りの向こう、荷馬車の陰、香木店の二階窓、通りを掃く下働きのふりをした男。
見ている。
王城から出てきたこの一団を、確実に。
「……ついたな」
龍真が低く言う。
エレオノーラの目が鋭くなった。
「私も感じています」
「どこ」
「正面に二人、左の店先に一人、あとは尾行が一つ」
「王城の近くで?」
リリィの声が少し上ずる。
「やっぱり、もう動いてるんですか」
「王女殿下の私的協力者になった以上、当然でしょう」
カティアが冷静に言った。
「王城の中で誰かが味方になったと分かれば、逆に公爵家側も“どこまで王女が掴んでいるか”測りにくる」
「ほんと面倒だね王都」
「だからずっとそう言ってるでしょ」
龍真は歩調を変えないまま、大通りの角を曲がる。
ついてくる。
王城の門前から、ずっと同じ距離を保っている。
下手ではない。だが、消す気はない尾行だ。
つまり、“見ているぞ”と伝えるための監視。
ゼルヴァイン公爵家側。
あるいはその息のかかった役人か商会筋か。
どちらにせよ、こちらを放っておく気はないということだ。
ミアが不安そうに小声で言う。
「どうする?」
「どうもしねえ」
「えっ」
「今はな」
龍真の声は落ち着いていた。
「向こうも、王城の近くでいきなり何かはしてこねえ。今は“見てる”って知らせたいだけだ」
「それって十分嫌なんだけど……」
「そういうやり方が好きなんだろ。王都の連中は」
「嫌な趣味ですね……」
リリィが本気で顔をしかめる。
宿へ戻るまでの道中、視線はずっと消えなかった。
下町へ入っても、路地を曲がっても、完全には切れない。
露骨ではない。
だが分かる者には分かる。
監視されている、という感覚。
《三つ足カラス亭》へ戻ると、女将が妙にそわそわした顔で迎えた。
「あんたたち……何したんだい」
「何でだ」
「昼前から妙な連中が宿の周りを見てるんだよ。役人みたいなのと、商会の下働きみたいなのと、あと金持ちの家の使いみたいな顔したのが」
「見てるだけか?」
「今のところはね。でも気味が悪いよ」
エレオノーラが頷く。
「予想通りです」
「うれしくねえ予想だな」
「ええ、まったく」
二階の部屋へ戻り、窓の隙間から外を確認すると、確かにいた。
通りを行き来する人間に紛れて、宿を気にし続ける視線。
通りすがりを装って、滞在時間だけが不自然に長い男。
近くの茶店へ入って、同じ茶を何杯も頼んでいる役人風の男。
「公爵家側の監視ね」
カティアが断じる。
「断定か」
「ええ。ああいう“こちらに見せるための監視”は、下手な連中じゃなく、ある程度身分のある家がよくやるやり方よ」
リリィが青い顔で窓から離れた。
「はぁ……ほんとに戻れなくなったんですね」
「戻るってどこに」
ミアが聞く。
「ええと……普通の生活?」
「最初からしてねえだろ」
龍真が言う。
それはその通りだったので、誰も強く反論できなかった。
エレオノーラが卓へ地図を広げながら言う。
「ですが、これで立ち位置ははっきりしました」
「どういう」
「私たちは王女殿下の私的協力者。そして公爵家側から見れば、王女側へ取り込まれた危険な異物」
「異物か」
「ええ。下町で好きに動いているだけなら放置もできたでしょう。ですが、王城へ呼ばれた時点で話が変わった」
ノアが小さく頷く。
「つまり、もう本格的に敵扱いってことね」
「そういうことです」
カティアも腕を組む。
「でも悪いことばかりでもないわ」
「何が」
「王女側に立ったという事実は、王都の中で“こちらを簡単に潰せない理由”にもなる」
龍真が目を細める。
「どういう理屈だ」
「もし今あなたたちが雑に消されたら、“王女が直前に会っていた流れ者たちが消えた”って話になるでしょう」
「たしかに」
「公爵家側も、露骨にはやりづらくなる。少なくとも少しの間は」
エレオノーラが補足する。
「だからこそ、監視です。今は消すより、測る段階」
「面倒な連中だ」
「王都ですから」
結局、龍真たちはその日の午後いっぱいを、帳簿整理と今後の動きの確認に費やすことになった。
リリィが王女側へ渡せる証拠と、こちらで握っておくべき証拠を分ける。
エレオノーラが王城内の勢力図を簡単に書き出す。
カティアが上流側で動く家名の整理をする。
ミアとノアは地下市場から救い出された獣人たちの証言を、下町側でどう拾うか相談する。
その間も、窓の外にはずっと気配があった。
夕方、陽が落ち始めた頃になってようやく、龍真は窓辺へ立って外を見た。
王都の空は赤い。
高い屋根の向こうに、王城の尖塔が少しだけ見える。
「王城に入っただけでこれか」
「まだ入口に立っただけですもの」
カティアが言う。
「王都の中心へ足をかけるっていうのは、そういうことよ」
「だったら、奥へ行くほど面倒も増えるな」
「ええ。とても」
エレオノーラはそう答えてから、龍真を見た。
「……後悔していますか」
「何を」
「王女殿下の私的協力者になったことを」
「してねえよ」
即答だった。
「地下まで見ちまったんだ。今さら王城の空気が面倒だからって引くか」
「そう言うと思いました」
「なら聞くな」
「確認したかっただけです」
「頑固だな」
「あなたほどではありません」
それを聞いて、ミアが少しだけほっとしたように笑った。
「なんか、龍真さんがそう言うと安心する」
「何がだ」
「分かんないけど、“やっぱりそうだよね”ってなる」
「雑だな」
「でも大事なんだよ」
ノアも静かに頷いた。
「うん。だって、ここから先は王都の中心だもの。迷ってる人が一番前にいたら、みんな不安になる」
「迷ってねえ」
「知ってる」
「ならいい」
簡単な会話。
だが、そのやり取りで部屋の空気は少しだけ軽くなった。
王女の私的協力者。
その立場は曖昧で、危うくて、正式な後ろ盾も薄い。
けれど、その曖昧さの中でしか今は動けない。
王都の闇を暴くための、正式ではないが確かな繋がり。
それを得た一方で、公爵家側の監視もはっきり姿を見せた。
味方は少ない。
敵は大きい。
そして王城の中にすら、見て見ぬふりをする者がいる。
だが、それでも。
龍真は窓の外を見たまま、低く呟いた。
「上等だ」
誰に向けた言葉でもない。
だが、その一言で十分だった。
流れ者は、王女の“私的協力者”になった。
そしてその瞬間から、王都の中心に巣食う連中にとって、確かに放っておけない存在になったのだ。




