第24話 潜る一家、王都の闇へ
王都の夜は、表から見れば静かだった。
高い塔の先に灯る貴族街の明かり。
王都ギルドの立派な外壁。
夜警の規則正しい巡回。
酒場の笑い声すら、どこか秩序の中に収まっているように聞こえる。
だが龍真たちは、もう知っていた。
この王都の静けさは、本当に平穏だからじゃない。
見せたくねえもんを地下へ押し込んでるから、地上が静かに見えるだけだ。
《三つ足カラス亭》の二階。
相変わらず狭い一室の机の上に、地図、帳簿の写し、走り書き、時間のメモ、商会の荷札、出入りの符号が広げられていた。
その雑多な紙の海を前に、リリィが真剣な顔で指先を動かしている。
「……やっぱりここです」
彼女が指したのは、王都南区画の地下にある旧換金市場跡へ繋がる線だった。
「王都ギルド裏口から出る“別処理”の荷は、ロートベル商会の裏搬入口で一度止まる。それから夜半過ぎ、今度は商会の正式荷札をつけて地下搬送路へ移される」
「偽装か」
「はい。ギルドの荷として消して、商会の荷として再登録してる。だから表の帳簿では人が消えたようにしか見えない」
リリィは帳面の端に書いた記号を並べた。
「しかも荷の流れが一定じゃないんです。毎日じゃない。三日に一度、五日に一度、そして“貴族側の催し”がある日にだけ増える」
「催しねえ」
龍真が低く繰り返す。
その横でカティアが頷いた。
今夜も彼女は地味な外套姿だが、それでも隠しきれない育ちの良さがある。宿の狭い部屋にいても、そこだけ空気の質が違う。
「王都の上流では、夜会、密談、品評会、慈善名目の私的集まりが頻繁にあるわ。その全部が表向き清らかとは限らない」
「その言い方だと、大半は汚れてるみてえだな」
「実際、半分以上は腹の探り合いよ」
カティアは皮肉っぽく言った。
「そして、ゼルヴァイン公爵家周辺で開かれる“非公開の催し”は、招待状が特別形式なの」
「特別形式?」
ノアが訊くと、カティアは小さな紙片を取り出した。
「封蝋の色、紙質、筆跡、それに同伴可能な人数。普通の夜会と違って、こういう集まりは“表に残さない”のが前提。だから招待される側も、表向きの名目は別に持つ」
「つまり?」
「貴族街から地下へ降りる口があるなら、その招待状の流れと必ず繋がる」
エレオノーラは腕を組み、机上の地図をじっと見ていた。
「警備も同じです。表向きの催しなら、正規の近衛や警邏が動く。ですが地下側へ流すなら、表に出せない護衛が使われる」
「裏私兵か」
「ええ。しかも、正規兵ほど整っていない代わりに、目撃されても“誰の手勢か”が曖昧になるようにしてある」
リリィが顔をしかめる。
「王都って、ほんとに嫌な街ですね……」
「今さらだな」
「今さらですけど、言いたいんです」
半分泣きそうな顔で言うものだから、ミアが思わず笑う。
だが、その笑いも長くは続かない。机の上の情報が示しているものは、あまりにも露骨だった。
王都ギルド。
ロートベル商会。
ゼルヴァイン公爵家。
地下搬送路。
貴族の非公開招待。
全部が、王都の闇オークション本拠地に繋がっている。
「じゃあ、どう潜るの?」
ミアが真顔に戻って問う。
エレオノーラが即座に答えた。
「正面突破は論外です」
「だろうな」
「地下道は狭く、逃げ道が多い。事前に売り場、檻、会計、元締めの位置を見ずに暴れれば、人質を盾にされて終わります」
龍真は頷いた。
それは分かっている。
地方の倉庫なら勢いで潰せた。だが王都の本拠地は違う。仕組みになっている闇は、力任せだけじゃ壊せない。
「まず、中を見ます」
リリィが言う。
「帳簿と荷札の流れからすると、今夜か明日の夜に“大きな搬入”がある。たぶん、地下市場が本格的に動く日です」
「大きな搬入ってのは」
「人も物も、です。地方から集められた人、王都で消えた子、違法薬品、禁制品、貴族向けの裏商品。全部が一晩で動く」
「胸くそ悪いな」
「ほんとに」
そこでエレオノーラが指先で地図を叩いた。
「役割を分けます」
全員の視線が集まる。
「リリィは中の金と帳簿の流れを見る」
「はい」
「あなたが一番、帳簿の嘘と本当を見分けられる。商会の帳面、ギルドの符号、取引記録。そこを押さえられれば、この件は“噂”では終わらない」
「分かりました……! 怖いですけどやります!」
「怖いのは皆同じです」
きっぱり言い切るエレオノーラに、リリィは少しだけ背筋を伸ばした。
「私が見るのは警備です」
女騎士は続ける。
「入口、出口、巡回の歩幅、警備の質、表と裏の連携。地下は一度崩れると一気に混乱する。だから崩すなら、どこを切れば全体が止まるかを先に見極める」
「お前さん向きだな」
「そうでしょう?」
珍しく少しだけ得意げに言ってから、彼女はミアとノアを見る。
「二人は檻の位置と、中にいる獣人たちの識別」
「識別?」
「ええ。王都の地下へ流された人たち全員を、一目で人攫い被害者と断定できるとは限らない。けれど同じ獣人同士なら、目の動き、匂い、耳の緊張、そういうものから“怯えてるだけか、売られる側か”を見分けやすいでしょう」
「……うん」
「できると思う」
ミアの耳がぴんと立つ。
ノアも真剣に頷いた。
「それと、地下で囚われてる獣人たちに声をかける役も必要です」
「私たちが?」
「ええ。いざ解放しても、怯え切っていれば動けない。説得できるのは、同じ側の声を持つ二人です」
ノアは少しだけ目を伏せ、それから静かに言った。
「……分かったわ」
「やる」
あの二人は、もう助けられるだけの少女ではない。
自分たちと同じ目に遭った者を、今度は自分たちが引き上げる側に回ろうとしている。
カティアがそこで口を開く。
「私は貴族側の招待形式と客層を見る」
「できますか」
「やるしかないでしょう」
彼女は肩をすくめた。
「どういう連中が来ているか、誰がゼルヴァイン側の客か、誰が“買う側”の大物か。そこが見えれば、闇市場の格も分かる。ついでに、私が顔を知っている家名がいれば、その時点で王都の派閥図も少し書き換わる」
「命懸けの割に、ずいぶん冷静ね」
「育ちがそうさせるの」
ミアの言葉に、カティアは少しだけ皮肉っぽく笑う。
だが、その目の奥には本気があった。この令嬢もまた、もう引く気はない。
そこまで聞いて、龍真が腕を組んだまま訊く。
「で、俺は」
「元締めと証拠、両方です」
エレオノーラが即答する。
「売り場の中心、会計責任者、あるいは地下市場を仕切る人間が必ずいる。そこを押さえるのがあなた」
「いつも通りだな」
「そうですね。不本意ながら、一番向いています」
リリィが小さく頷く。
「あと、何かあった時に一番“場を壊せる”のも龍真さんです」
「褒めてんのか」
「半分くらいは」
「なら受け取っとく」
役割分担は、これで決まった。
リリィは帳簿と金の流れ。
エレオノーラは警備と導線。
カティアは貴族側の客層と招待構造。
ミアとノアは獣人たちの識別と説得。
龍真は元締めと核心の証拠。
誰も遊んでいる余地はない。
全員が、それぞれの場所で一つでも欠ければ危うい役を持つ。
だからこそ、逆に一家の形がはっきり出ていた。
しばらくの沈黙のあと、ミアがぽつりと言う。
「……なんか、ほんとに一家っぽい」
「今さらだな」
「龍真さん、そういう時だけあっさり認めるよね」
「認めてねえよ」
「認めてるよ」
「認めてません」
「それ、エレオノーラさんの真似?」
「違う」
ぴしゃりと返す龍真に、リリィが吹き出した。
その小さな笑いで、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
決戦前の、ほんの一瞬の緩みだ。
だが、その後にまた静けさが戻る。
エレオノーラが地図を折りたたむ。
「潜入は今夜です」
「早いな」
「遅らせる理由がありません。荷の流れが大きく動くのは今夜。次を待てば、向こうも何かしら察する」
カティアも頷く。
「ゼルヴァイン側の催しも今夜。貴族の客が動くなら、地下も開く」
「つまり、今日が山か」
「そういうこと」
窓の外を見ると、王都の夕暮れがゆっくり落ちていくところだった。
石造りの街が赤く染まる。
大通りはまだ明るい。
だが、その下へ潜る地下区画は、もう別の夜を始めているはずだ。
リリィが小さく息を吐いた。
「……ついに、ですね」
「怖いか」
「怖いです」
「だろうな」
「でも、やります」
「それでいい」
ノアがミアの手を軽く握る。
ミアも握り返す。
エレオノーラは剣の柄へ触れ、カティアは上質な手袋の指先を整える。
龍真は村正の鞘を一度だけ親指で押し、鯉口の感触を確かめた。
誰も、もう引かない。
王都の闇はようやく輪郭を見せた。
次はその中へ、自分たちの足で潜る番だ。
そうして、静かな準備の夜は更けていき――
ついに、
潜入当夜を迎えることになった。




