第十一頁「無題02(3)」
都道四〇三号を靖国通りに抜けて、だらだらと車を走らせる。昼前の道路は朝ほどの交通量はなく、比較的空いていて心労はなかった。ビル群を通ると、どこもかしこも日光が反射して万華鏡のようだった。歩道を行き交う人々は秋も半ばというのに想定外なまでに上がった気温に踊らされて腕に上着をかけているものが多かった。
車内ではまさかクーラーをつけることになるとは思っていなかったが、この暑さなら仕方ない。効きすぎてないか、と薬屋に尋ねると、何か考えていたようで、返答に時間がかかった。
「おい、どうした?」薬屋はばっと顔を上げた。
「ああすみません。少し考え事をしていました」
「だろうな」ちらっとサイドミラーに目をやった。
「で、何考えてたんだ?」
「その例の溺死した男のことです」
「どうやったらあんな状態になるんだろうと思ったんです。あのあと少し調べたらネットに画像が上がってて」
「それは知らなかったな」
「そりゃそうですよ。最近の葬儀屋さん、なんだかどちらの仕事にも身が入っていないじゃないですか」
「ああ、まあ、そうだな」また耳が痛い。「だが、もう大丈夫だ」
「ならいいですけど」薬屋は片目を閉じた。
「それで、その画像ってのは?」
少し待ってください、と言って薬屋は大きなタブレットを取り出してぺたぺたすすすと操作した。
「最近の大学生はみんなそれ持ってんのか」
「そうですね、うちの大学は無料配布してましたし」
「マジかよ。ふとっぱらだねえ。俺のときはまだ辞書片手にだったのによ」
「それは葬儀屋さんがあまりパソコンが得意じゃなかったからでしょう?」
「あながち間違いじゃない。坂口も苦手だったもんで、ずっとアナログに戦ってたんだ」もう一度サイドミラーを見る。やはり後ろにべったりと張り付いている車が一台ある。
薬屋がお二人らしいです、と笑うと、これです、とタブレットを私の視界に入れた。
それはひどいものだった。よくこれを撮った一般人がいるものだ。好き者というやつだろう。少なくとも私なら撮らない。
その遺体は色が浅黒く、皮膚はまるで真空パックされたように細かく波打っていた。顔は見れたものではない。大きく口が開いて、眼球が歪になっていたところまで確認したところで目をそらした。
「よく見つけたな」私はアクセルを踏み込み始めた。
「前の、掃除屋さんのときもネットに上がっていたんです」タブレットをそっとカバンに戻し薬屋は静かに言った。
「そうか」今さっきの変死体を撮るものがいるのだとしたら、それは当然、坂口の首なし死体も十分魅力的であったのだろう。
「しかし、あそこまで体の水分を抜くってのは、薬でも可能なのか?」
「どうでしょう。色々薬はありますけれど、正直なところ、あそこまで水分を失くすものはないんじゃないでしょうか。長時間かけるなら別ですけど。あとはたとえば、喉を乾燥させるなり、体温を向上させるなり、幻覚を見せるなり、それで水分を過剰に摂取させて溺死、というなら僕も心当たりはあるのですが、何にせよあれは異常です」
「異常か。確かに異常だよな。まるで吸血されたみたいだ」
考えながらルームミラーを確認する。やはり後ろの車もスピードを上げてきている。こちらが気付いていることはもう分かっているのだろう。
的屋の趣味でいじらせたこのフィアット500は驚くほど馬力があり、最高速度は三四〇キロを超える。そこまで加速させることがあるのかとその当時的屋に聞いたが的屋は男の夢なんだから野暮なことは聞くな、と言ってさらにボアアップさせようとした。
まさか、その男の夢を今ここで叶えることになるとは思ってもみなかった。
「葬儀屋さん」薬屋が声を上げた。
「なんだー?」ガタガタとフレームが音を立てる。
「スピード出し過ぎじゃないですか?」
「そう思うか?」
「思う、っていうよりそうでしょう!」窓の向こうの流れていく景色をぱちぱちと瞬きして見てからまた私を見る。
「音だって今まで聞いたことないくらい轟音ですし、それにメーター! 振り切ってるじゃないですか!!」
メーターをちらりと見ると確かに振り切れていた。
「ああ、まあこれ、的屋がいじったからな」的屋の名前を聞いて納得したようで、また瞬きしてから深く背もたれにもたれた。
「それよりあんまり動かねえほうがいいぞ、あと口元も気を付けろ、舌噛むぞ。俺も危うく」
舌を噛むところだった。さらに加速していく。メーターは二二〇キロまでしかないので、今の速度がどれくらいなのかはわからないが、おそらくまだ最高速度には到達していないだろう。ミラーを見やればこんな公道の真っただ中、真昼間からしっかりアサルトライフルを構えている。映画の見過ぎじゃないかと思わずぼやいた。
「薬屋、これ渡すからちょっと調べてくれ」私の携帯を渡す。
「それの中に殺し屋界隈の情報をまとめたアプリがある。その中にカーナンバーから特定できるように検索欄を用意しているはずだ。そこであの車のナンバー検索してくれ!」
そこまで言い切ったところでちょうど代々木公園を走り抜けた。ずいぶんと近かったのか。
「それと、屋号会に警戒するよう伝えてくれ。ちょっとばかし、こりゃ面倒な相手らしい」
分かりました、と薬屋は手早く手慣れたように操作していく。やはりこういうものは若者の方が扱いが得意なのかもしれないな、と思ったが、私もまだ世間から見たら若者だと言われてもおかしくない層にいるのだった。ということは単純に私が機械に慣れていないだけということか。
それでも車種の扱いなら私だってそれなりだ。ついてこれるものならついてこいだ。
薬屋がナンバーを確認しようと後ろを見て、がばっと体を引き戻した。
「後ろの車の人、なんか鉄砲持ってますよ!! 真昼間なのに!」薬屋が顔をこちらに寄せてそう叫んだ。
鉄砲とは、ずいぶんとかわいらしい表現だと思わず笑った。それを見て薬屋が「何がおかしいんです!」とまた叫ぶ。鼓膜がエンジン音とタイヤのすり減る音とフレームが鳴る音やら様々な音でずっと揺れていたのに、薬屋の声がそれをさらに上書きした。
「そんなに近づかなくとも叫ばなくとも聞こえてるよ。それに俺はずっと見てた」
「だったら教えてくださいよ!!」
「お前のことだからてっきりわかって落ち着いているのかと思っていたんだよ」
ジャケットから煙草を取り出して火をつける。紫煙が目の前の道を示すように消えた。
「まったくもう、僕をなんだと思ってんですか」
「薬屋だろ。俺たち屋号会の」
「そうですけど、僕はこういうのには慣れてないんです! もっと静かなやり方じゃないと」
「でも銃火器は慣れっこだろう? お前だって何度か相手してたじゃねえか」煙草を咥えたまま煙を吐き出した。
「だってそれはこんなバカみたいなスピードで走りながらでもこんな太陽がさんさんと輝いて一般人がたくさんの目をむけるような状況でもなかったですから!」
こつこつ更新でいっす!




