頼られ過ぎる探偵~依頼完了~クロード編5~
# 頼られ過ぎる探偵
## 第五話「依頼完了」
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弥太郎が津見原警察署の前に着いたのは、午後二時をまわったころだった。
隣に幸子が立っている。連絡を受けてから一時間で身支度を整えて出てきた。黒い上着を着て、手にハンドバッグを持って、背筋を伸ばしていた。泣いていなかった。
弥太郎は昨夜のうちに整理したメモを確認した。話す順番は決めてある。感情より先に、事実を並べる。
「準備はいいですか」
「はい」と幸子は短く言った。
二人で署に入った。
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応対したのは、四十代の刑事だった。名前を後藤といった。最初は明らかに乗り気でない顔をしていた。遺族が「事故ではないはずだ」と言いに来るのは、珍しくないのだろう。
弥太郎は静かに話し始めた。
まず組合の裁定と、「覚えとけ」の発言。次に現場の足跡の写真と、石の染み。ビニール袋の支柱。山田の玄関先のスニーカーの写真。そして最後に、誠二が見た軽トラの目撃証言。名前は出さず、「現場近くを通った人物が車を確認している」とだけ言った。
後藤の顔が、話が進むにつれて変わっていった。
乗り気でない顔が、考える顔になった。考える顔が、メモを取る顔になった。
「この支柱は、どこで」
「現場の用水路に引っかかっていました。触らずに回収しています」
「写真の足跡は」
「三日前の現場です。雨が降る前に撮りました」
後藤はしばらく資料を眺めた。
「……山田という人物は、今どこに」
「今日中に旅行に出ると近所に話しているそうです」と幸子が言った。声は落ち着いていた。「急なことです」
後藤は立ち上がり、「少しお待ちください」と言って奥に消えた。
待合の椅子に並んで座りながら、幸子が小声で言った。
「……うまくいきそうですか」
「わかりません」と弥太郎は正直に言った。「でも、後藤さんの顔は悪くなかった」
幸子はそれ以上何も言わなかった。ハンドバッグを両手で持って、じっと前を向いていた。
二十分後、後藤が戻ってきた。
「山田義夫の件、捜査します。任意で話を聞くことになりますが、まず本人の所在を確認します」
幸子が、小さく息を吐いた。
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警察署を出ると、春の午後の光が眩しかった。
幸子が「ありがとうございました」と頭を下げた。深いお辞儀だった。
「まだ解決したわけじゃないです」
「でも、動いてくれた。それだけで」
幸子は顔を上げて、弥太郎をまっすぐ見た。
「探偵さん。依頼人は、武雄ですか」
弥太郎は少し間を置いた。
「言えません」
「言えないということは、そうなんですね」幸子は小さく笑った。泣き笑いに近い顔だった。「あの人らしい。自分で何とかしようとして、でも自分ではどうにもできなくて、それでも誰かに頼んで」
弥太郎は何も言わなかった。
「最後に、わがままを言ってもいいですか」
「どうぞ」
「武雄に、伝えてもらえますか。もう心配しなくていいと」
弥太郎はうなずいた。
「伝えます」
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帰り道、弥太郎は寄り道をした。
田んぼのあぜ道まで戻ると、兼田武雄がいた。三日前に初めて会ったときより、輪郭がずいぶん薄くなっている。光の加減では、ほとんど見えないくらいだ。
「警察が動きます」と弥太郎は言った。「山田を任意聴取します。証拠も渡しました。あとは警察の仕事です」
武雄はしばらく黙っていた。
「……ちゃんとなるか」
「なります。たぶん」
「たぶんか」
「俺は探偵なので、保証はできません。でも証拠は揃っています。後藤さんは、ちゃんとした顔をした刑事でした」
武雄は薄くなった顔で、あぜ道をゆっくり見回した。自分が死んだ場所を、最後にもう一度見ているような目だった。
「……奥さんから、伝言があります」
「なんじゃ」
「もう心配しなくていい、と」
武雄は何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと空を見上げた。山の稜線の向こうに、雲が白く流れていた。
「……そうか」
それだけだった。
武雄の輪郭が、陽の光に溶けるように、薄くなって、薄くなって。
気づいたらあぜ道には、春風だけが吹いていた。
弥太郎は一人で立って、しばらくその風を受けていた。眼鏡のレンズが少し曇ったような気がしたが、風のせいだと思うことにした。
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事務所に戻ると、机の上に幸子から受け取った五千円が置いてあった。
弥太郎は椅子に座り、緑茶を淹れた。
後日、幸子から正式に調査依頼書にサインをしてもらって、きちんと費用を請求する必要がある。現場往復の交通費、調査時間、資料作成。足せばそれなりの金額になる。今月の家賃は、なんとかなりそうだ。
それから弥太郎は手帳を開き、新しいページに一行だけ書いた。
『兼田武雄案件 依頼完了』
ペンを置いて、緑茶を一口飲んだ。
引き戸の外で、風が吹いた。
看板がかすかに揺れる音がして、それからまた静かになった。
弥太郎はぼさぼさの頭をかきながら、競馬新聞を引き寄せた。次の依頼が来るまで、することは何もない。
もっとも、次の依頼が来るときは、大抵ドアが開いて誰かが入ってくる。
そしてその誰かは、たいてい足が床についていないのだが。
それはまた、別の話だ。
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**了**
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【クロード編完結です。最後まで一貫して淡々と仕上げてきました。クロードらしい作品です。それに合わせて弥太郎も大人な感じです。しっかり請求書をつくっているあたり、ジェミニの、霞を食っているロマン探偵弥太郎とは違いましたね。あまりの差にクロードの弥太郎が守銭奴に見える不思議。最終評論はコーパイロッド編5話の後にやります】




