6.人形を集める魔女
キュベレー。
奴の城はここカタリナの家から駿馬の脚で一日もかからない場所にあるらしい。とはいえ、私は狼であるし、アマリリスも一緒だ。どのくらいでたどり着けるかは具体的には分からない。
それでも、そう離れてはいないのだとよく分かった。
どうやらカタリナは、随分と昔からまだ子供である少年少女を閉じ込めてきたらしい。大人になる前の花をキュベレーに奪われぬよう。そうしてきたらしい。
「ずっと昔にね、ここに居た男の子が盗まれちゃったんだって。とても綺麗な男の子で、気高い薔薇のようだったんだって。でも、ある日、キュベレーはこのお家を訪ねてきたの。カタリナに、その子を頂戴って言いに来たんだって」
きっと、何もかも残らないくらい昔の話なのだろう。
「カタリナは断った。自分の花だと断った。そしたら、数日もしないうちに、男の子は消えてしまったの。キュベレーが盗んでしまったんだって」
「それで、お前は閉じ込められているのか」
「うん……。その男の子がいなくなってしばらくはキュベレーも大人しかったんだけれど、数十年もしたらまた盗みに来るんだって。飽きたらお城の何処かに放置されるの。冷たくて暗い場所でじっと佇む石像として、寂しく永遠の時を過ごすの。そうカタリナは言っていたわ」
集めても、集めても、キュベレーの欲は満たされない。少年少女を捕らえて石の人形にしてしまう魔女。力を持ちすぎ、止めてくれるものもいない。最愛の友も失い、ただ欲を満たすだけの日々。
彼女は今、何を思っているのだろう。
憎しみに支配され、グリフォスに付け込まれたゲネシスという怪物を生み出してしまった今の状況を、どんな思いで見つめているのだろう。
「あたし、お人形になりたくない」
ローザは言った。
「カタリナの傍を離れたくないもの。冷たいお城の中に閉じ込められて、飽きてからも忘れ去られるなんて嫌なの」
「そうか……」
今のお前の姿もカタリナのための人形と何も変わらない。
そんな感想を口には出さずに飲み込んで、私はローザから目を逸らし、揃えた両前脚に顎を乗せた。
どうせこの子もいつかは大人になる。あと数年もすれば、きっとその時は来るだろう。それまでの辛抱だと思えば、この子はずっと、かの人の義弟よりも恵まれている。
来るべきその日。ふと、未来へと思いを寄せた。
その時、ローザは何を思うだろう。今のこの瞬間と同じままの気持ちでいられるのだろうか。アマリリスは違ったのだ。不自由さに飽きを覚え、自由を夢見、友を唆して危ない世界へと共に旅立ってしまった。
そうして今がある。
もしかしたらこの子も、いつかはここから羽ばたいてしまうのかもしれない。そう思うと、少し不安がよぎった。
「ローザ」
私はそっとその名を呼び、もう一度視線を向けた。
「おとぎ話は好きか?」
訊ねてみれば、ローザは不思議そうに頷いた。
その純粋な様子にそっと笑みが浮かび、口を閉じて誤魔化した。好きならば問題ない。素早く頭で話をまとめ、私は無邪気な少女に向かって言った。
「じゃあ、私からも一つおとぎ話を聞かせてやろうか」
誘ってみると、途端にローザは嬉しそうな表情を見せた。
その姿にふとアマリリスの傍に寄り添うルーナの面影が見えた気がして、思考が止まりそうになった。年齢も種族も容姿も、何もかも違うのに。
「どんな話なの?」
無邪気な声。これまでの私とは無縁なもの。いや……こんな人間の子供を捕らえたこともあったかもしれない。疑う心の知らない子供の肉を、何も知らないうちにこの手中に収めたこともあったような気がする。
狼以外の者なんて私にとってはその程度のものだった。
「人食いの話だ。この世界の何処かを流離う恐ろしい悪魔の話」
「人食い……」
その表情に不安げなものが生まれる。
あどけなさに目を細めてやると、少しだけ不安は紛れたらしく、私の顔をじっと窺ってきた。それにしても、美しい目をしているものだ。ヘーゼルの目。森に住まう妖精の鱗粉のように輝いている。
人伝にしかしらないけれど、キュベレーが見たらきっと欲しがる類のものだろう。ただでさえそんな性癖を持つ魔女がうろついているのに、その上、心に《赤い花》を咲かせているときた。カタリナが閉じ込めてしまうのも分かる気がする。
今一度、頭で話をまとめながらふと、幼い頃のアマリリスを想像した。
彼女もヒレンとかいう友と共に、こういう場所に閉じ込められていたのだろうか。そして、キュベレーは一度でもアマリリスに目を付けたことがあるのだろうか。
憎き赤い花。私から見れば憎悪しか抱けない顔立ちも、他人から見れば整った部類に入るのだろう。きっと大人の女性になるまで、キュベレーも欲しがったはずだ。
それとも、もう此処に引き取られた時点で、キュベレーが諦めるくらいに大人になりかけていたのだろうか。
解き放たれる前のアマリリス。ゆるやかに容姿の時を止めてしまうという魔女の一人である彼女の幼少期がどのくらい前のことかなんて知らないけれど、それでも確かにかつてはそんな時代もあった。
その頃からきっとこの辺りの人狼は怖がったのだろう。狼殺しの魔女、アマリリス。神々が我らに与えた残酷な試練。彼女の解き放たれし世界で生き残った者だけが子孫を残せる。きっと、アマリリスがこのまま役目を終えて死んだとしても、また別の魔女や魔術師の中に、人狼狩りの性を与えられた者が生まれてくるのだろう。
「カリス?」
ふとローザに様子を窺われてはっとした。
考え込んだまま、意識がぼやけていたらしい。
「すまない。なんでもない」
そう言って、私はローザをもう一度見つめた。
「よく聞くといい。人食いの話だ」
そう言って語り出す私を、ローザはじっと美しい目を向けて真面目に聞きの姿勢へと移った。