8.断罪の剣
変容した剣の重苦しい名前がいつまでも私の脳裏を木霊する。
――断罪の剣。
思っていた通り、神々がもたらしたものは大罪を犯したどうしようもなく愚かな青年を死に導くものだった。
ゲネシスはもう死を免れない。
彼が生き残るとすれば、グリフォスの力がこの世界の全ての神々を超越した時だろう。しかし、それは私を含む全ての生き物にとっての滅亡を意味する。
もう彼は私と同じ世界の生き物ではないのだ。
そう思うと苦しくて、悲しかった。
何故だろう。もしも今もクロが生きていたら、こんな感情には浸らなかった。こんなにも苦しい想いはしなかっただろう。全て私の隣で町長の話を聞いているアマリリスのせいだ。しかし、口に出して責める気にはなれなかった。
断罪。
その名がせめて死後のゲネシスの魂を正しく導くものとなるように。
どうやら私にはもうそんな願いしか抱けないらしい。
これは私への罰でもあるのだ。
最愛の人の仇を討てぬままもたもたとしてしまった怠惰の罪。永遠の愛を誓ったはずであるクロ以外の男に好意を抱いた不貞の罪。そして何よりも、その男の傍にいながら悪魔から引き離せなかった無能の罪。
それら罪に対する罰なのだ。
今まで散々思い知らされてきたことだけれど、こうもはっきりとした形になると動揺せずにはいられない。だが、私が私自身のためにこの罪を償うには、最期まで逃げずに付き添う以外に方法はない。
そのためには恨みを捨てて、クロの仇ではなくなってしまっているアマリリスを導くしかないのだ。
「断罪の剣……」
その言葉を呟きながらアマリリスは鞘を見つめていた。
ジズの大社を去って数時間。辺りはすっかりと日も暮れ、町長の家の中も何処か薄暗さが漂っていた。
鳥の町へと戻ると、長の使いがすぐに迎え入れてくれた。
やはり、巫女の剣が変容したあの頃合い、長に預けていた鏡と宝玉にも異変が現れたそうだ。マルを癒し、ティエラを癒したあれら神器は、今はもう何処にもない。赤い光に包まれて何処へともなく消えていったのだと町長は言った。
「鏡と宝玉に込められていた力は、今、全てその剣に宿っています」
町長がアマリリスだけを見つめて口を開く。
「勇者様、あなたは神々の望む偉業を達成なさいました。最後に、あなたに授けられる力はその剣に込められております」
しかし、と町長は急に声を潜めた。
「しかし、アマリリス様。まずはよく考えてくださいませ。その剣を手に取ってこの町を去るということは、もう――」
言いかけて、町長はそのまま言葉を濁した。
適当な表現も見つからなかったのだろう。あるいは、我に返ったのかもしれない。彼は町長。ジズの子孫の中でも、大切な聖域を守る重鎮の一人。そんな彼が私情を挟むなど、本来許されることではないのだろう。
きっと、今までそうだった。
もしかしたら、リンたち竜族も、そしてベヒモスの子孫たちも、皆、単なる盲信からアマリリスを「勇者様」と奉っていたのではないのかもしれない。
そう思うと、少しだけ気が楽になれた。何故だかは分からないけれど、確かな事だった。
「――有難うございます」
訪れかけた静寂を払うように、アマリリスは口を開いた。
「以前の私ならば迷っていた事でしょう。でも、今やもう私も迷えないのです。きっとこれが私に課せられた役目。それならば、私はただ神々の御導き通りに進むだけ。そして大罪人を苦しませず、一刻も早く裁くしかないのです」
以前のアマリリスだったら、きっとかつての私のように憎しみの欠片を覗かせていたことだろう。
だってゲネシスはアマリリスからルーナを奪ってしまったのだ。魔術を使うものから、宝物である隷属を奪ってしまったのだ。それは魂を削られるよりも残酷な事。まるで、永遠の愛を誓った狼の夫婦の片割れだけを殺してしまうかのように残酷な事なのだ。
――アマリリス。
この女はゲネシスと同じだ。そして、私とも同じだ。奇妙で不可解で愚かでわがままでどうしようもなく罪深い私と同じなのだ。
アマリリスは変わってしまった。全ての人狼に噂され、怖がられていた頃のアマリリスはもう戻って来るつもりもないのだろう。
生きるということを諦めるのは醜いことだと思っていた。
褒められた事ではなく、自己憐憫をしがちな馬鹿しかやらないことだと思っていた。
しかし、アマリリスのことは、この醜くも美しい花を左胸に咲かせるわが夫の仇のことは、今となってはどうしても馬鹿にすることが出来なかった。
「あなたの御志、とてもよく分かりました」
町長は至極丁寧な口調で言い、頭を下げた。
「勇者様、どうぞせめて我が町で心行くまでお疲れを癒してくださいませ」
その言葉には尊敬だけではなく哀愁も含まれている。
彼らにはアマリリスの未来がよく分かっているのだろう。
アマリリス自身はそれ以上によく分かっているらしい。
私が口約束で殺してやると言う以上に、避けられぬ末路が彼女を待っている。予め死を約束されている当り前の身体しか持たずに生まれてきたアマリリスに対して、断罪の力を詰め込めるだけ詰め込んで神々は傍観しているのだろうか。
神々よ、どうしてあなた達はこんなにも冷酷なのだろう。
本当にあなた達は実在しているのだろうか。
それとも、神々という名の大きな理の上で、我々のような命ある者が勝手に踊っているだけなのだろうか。
いずれにせよ、私に出来る事はただ赤い花が枯れてしまうまで寄り添うことだけのようだった。