7.神々の花
赤い色。そうだ、赤い色をしていた。
剣全体が赤く輝き、震えている。そして、それに反響するかのように、アマリリスの抑える胸元もまた赤く輝きだした。
――心臓だ。
その時、ようやく分かった。
全ての巫女を救った為だろうか。
絶大な苦痛をアマリリスにもたらしながら、巫女の剣が《赤い花》と共鳴している。揺れながら、震えながら、少しずつ形を変えていこうとしていた。
だが、全てが終わるまでアマリリスの心身が持つのだろうか。
そんな不安がよぎり、とっさに剣をアマリリスの手から奪おうとしたその時、背後より雷鳴のような声があがった。
「お待ちを」
他でもない私を咎める声。人鳥の一人だった。
「今はただ変化を待ちなさい。それが神々の印です」
こいつらは飽く迄も神々の奴隷だ。アマリリスが苦しそうにしていても、同情の様子を全く見せたりしない。根本的な部分でこいつらと私はどうも違うらしい。
しかし――。
「待っていて大丈夫なのか?」
私は人鳥に訴えた。
「終わる様子がないぞ。これではアマリリスが狂ってしまう」
「その御方は神々の花」
別の人鳥が淡々と言う。
「れっきとした守護がついております。だから、邪魔をしてはなりません」
その忠告に従わぬようなら、容赦なく私の身体は引き裂かれることだろう。
生憎、死ぬのは御免だ。そもそも、人鳥相手に無駄に争う気になんてなれない。それでも、すぐそばでアマリリスが苦しそうにしている姿は、見ているだけで不安な気持ちにさせられた。
何故だろう。夫の仇であるはずだったのに。悲鳴と懇願を受けたとしても八つ裂きにしてしまいたいくらい憎んでいたはずなのに、どうして私はこれほどまでに切実な思いをしてまで、アマリリスの心配をしているのだろう。
「カリス……」
荒い吐息に混じって、アマリリスの声が漏れだした。
汗と震えに囲まれた弱々しい眼は、私の姿を見つけ出さないまま、ただじっと床を向いているだけ。
「大丈夫よ……カリス……」
そのまま意識を渦潮に吸い込まれるようにアマリリスは倒れてしまった。
「おい!」
とっさに触れてみて驚いた。酷い汗であるにも関わらず、その身体は異常なほど冷えていたのだ。呼吸をしているのが分からなかったならば、死んでいるとさえ思っただろう。そのくらいアマリリスの身体は冷えていた。
アマリリスの返答はない。だが、その代わり、手からことりと巫女の剣が抜けおちた。そのまま私が茫然と見ている前で、巫女の剣は震えを強め、やがてひとりでに宙へと浮いた。大き過ぎる力が剣を変化させている。アマリリスから何かを吸い取って、その形を別のモノへと変えている。
装飾、持ち手、刃、そして鞘。
その全てが、ジズがかつて願い、神々より承ったという時の姿から全く違う雰囲気のものへと変化していく。
赤い輝きは相変わらずだ。まるで血を吸って呪われたかのような色。その色を際立たせるような刃と鞘の色だった。そして鞘の装飾も同じ。きっと神々の使いの聖なる姿が彫られているのだろう。そしてその付近に掘られた花は、赤い花なのだろう。
これは神々の剣だ。或いは、赤い花の剣。
それでも、変容を遂げて未だ眠りに付くアマリリスの横へとぽとりと落ちるそれを見つめれば、神々しさの裏に禍々しさすら感じてしまい、思わず怯んでしまった。
巫女の剣ではなくなった聖剣は、眠るアマリリスに寄り添いながら光を弱めていった。きっとアマリリス以外の者には、たとえ《赤い花》を持つ者であっても扱えない代物なのだろう。
これでもう、この女は逃げられない。
そして、ゲネシスも同じ。
この剣こそがゲネシスを殺す刃となるのだろう。
アマリリスに寄り添う剣を見つめ、私はそんな思いに駆られた。
プシュケがアマリリスに目をつけた時から、もしくは、アマリリスがマルの里へと脚を踏み入れた時から、この運命は決まっていたのだろうか。
それでも、これまでは余裕があった。
アマリリスが役目を果たし、己の心と引き換えにゲネシスを断罪することなど遠い未来の話だと思っていた。
けれど、もう――。
「帰りましょう」
静寂を破り、人鳥が告げた。
「きっと町長がお待ちです」
アマリリスはまだ目覚めていない。
しかし、目覚めるのを待っていたら日が暮れてしまうだろう。
人鳥に従って人の姿となってアマリリスをそっと抱き上げてみれば、先程のおぞましい程の冷たさはもう感じず、ごく当り前の生き物らしい温もりが宿っていた。
触れれば伝わってくるのは鼓動。
この鼓動のせいで、私もアマリリスもとんだ目に遭ったものだ。
かつてはこの瞬間を狙った頃だってあったはずだった。かつての私だったならば、無抵抗に眠るアマリリスなど前にすれば、躊躇いもなくその喉元を食い破っていたことだろう。それが仇を取ると言うことであり、人狼としての責任であるはずだった。
今の私は《赤い花》の従者。
この役目から解放されれば、クロの為にこの女を殺さねばならない。
そうであるはずなのに、何故だかやっぱりこの女に手を出す気になれなかった。
もしかしたら、アマリリスが魔女の性から解放されているように、私もまた人狼としての恨みから解放されているのかもしれない。
勿論、クロがどうでもよくなったわけではない。今でも会いたいし、寄り添いたくてたまらない。しかし、かつてのようにそれを奪ったアマリリスへの殺意は引っ込み、ただ何もかも虚しいという感情だけが心を満たしているのだ。
「行きましょう」
人鳥に促され、私は黙ったまま頷いた。