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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
五章 シエロ
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6.聖女シエロ

 シエロが再び鳴き出したのを見て、私もまたそれに続いた。そう時間もおかずに様々な姿をした《悲愴》たちは現れ、腐った翼で華麗に飛びながらアマリリスの行く手を阻もうとしている。それを見て、アマリリスが魔術を唱えようとした時、私はふとシエロの様子の変化に気付いた。

 ――逃げるつもりだ。

 咄嗟に人語は間に合わず、獣の咆哮を響かせた。それでも、アマリリスには通じたらしく、殺気だった眼光はすぐにシエロへと向いた。その間に、私は床を蹴り飛ばし、アマリリスを襲おうとした《悲愴》どもを爪と牙で引き裂いた。その残骸が床に落ちるか落ちないかで、アマリリスは動き出した。

 あっという間だった。

 魔女というものはさほど身体能力があるわけではない。我々人狼から見れば、魔力さえなければ、男に守られ続けるのが当たり前と化してしまっている無力な人間の女と何も変わらない。中には魔力で身体能力を高められる者もいるらしいが、アマリリスがそういった魔術を使えるかは不明だ。

 これは魔術ではない。

 しかし、魔術のようだった。

 シエロの動きがそれほどまでに鈍っていたのだろう。役目を忘れ、悲しみに暮れるばかりであったシエロのその空洞の目にも、アマリリスという名の《赤い花》の姿が晴々しく見えたのかもしれない。

 或いは、その逆か。

 ともあれ、シエロは動けなかった。動けず、そして、新たな《悲愴》も生み出せぬまま、自らの主が遺した巫女の剣によって容赦なく貫かれてしまった。

 アマリリスは無表情のままだった。

 狼狩りをしていた時のような残酷な笑みも浮かべず、更には先程まであったシエロへの傲慢とも言える憐れみの表情も浮かべていない。

 そこにあるのはただ無のみ。

 アマリリスの皮を被った別の何かがシエロを捉えているようにすら見えた。

 怪鳥の骸のような姿をしたシエロが貫かれた痛みに悲鳴を上げる。それに対し、無表情のアマリリスが何かを呟いた。その直後、マルやティエラの時のような光が生まれ、私たち全ての目を奪った。

 人狼には辛い、日光のような刺激。

 その一瞬を耐え抜き、目を開けてみれば、そこにはもうおぞましい腐敗臭を放つ者など存在しなかった。代わりにいたのは、真っ白で神々しい髪を持つ少女。かつてこの目で見た狐人の女によく似た半透明の少女が、震えながら辺りを見渡していた。

「私は……一体……」

 あどけなさの残る声が響く。

 マル、ティエラとも似ているが、だいぶ違う。独自の神を信じる人間たちにさえ天使の羽根の色だと称されそうな白。きっと獣の姿になったとしても、そこにいるのは私のように薄汚い獣などではないのだろう。

「シエロ様、御目覚めですか?」

 アマリリスが優しげにシエロに語りかけた。

 いや、アマリリスと言っていいのだろうか。声も、姿も、アマリリスであるはずなのに、何故だろう、私にはどうしても今の彼女が別人に思えてしまった。

「勇者……様……?」

 アマリリスを見つめたまま、シエロが首を傾げる。

 その幼い瞳には、アマリリスがどんな姿に見えているのだろう。もしかしたら、《赤い花》しか見えていないのかもしれない。そう思った。

「私は――」

 そう言いかけ、シエロの両目が大きく開いていく。

「私は……食べられてしまったの?」

「御安心ください、シエロ様。あなたの御身体と御心――そして何よりも大切な御方はこの私が絶対に取り返してみせます。だからどうか、もう悲しまないで。今はただゆっくりと安全なところでお待ちください」

 よく響く声だった。

 確かにアマリリスの声であるのに、アマリリスの声を借りて別の何かが喋っているようだった。女ですらないかもしれない。そもそも性別などないかもしれない。その正体は、かつてシエロの生まれ変わりを助けたことがある者なのだろうか。

 シエロはしばらく驚いた様子でアマリリスを見つめていた。だが、やがては全てを納得したように頷き、安堵したような、何かを諦めたような、そんな小さくて複雑な溜め息をそっと吐いた。

「また、あなたに助けられる日が来たのね」

 目を細め、アマリリスを見上げるその姿は、かつて私が目の前で失ってしまった女の姿によく似ていた。

「有難う、勇者様。あなたのお陰で安心して天へ帰れます。私共は勿論、神々もまたあなたの味方。悪魔のいかなる手もあなたを穢す事のないよう、他の巫女たちと共にあなたを影ながら御守りいたします」

 消えて行こうとしている。

 シエロの両目より頬へと伝っていく涙に含まれている感情はどんなものだろう。しかし、その涙が床に落ちてしまうより先に、シエロの姿は光に包まれ、羽虫のように天上へと吸い込まれていった。

 その余韻が私たち全てを包む頃には、傍で横たわっていたジズの亡骸も、刃を逃れてその場に留まり続けていた《悲愴》の残党も、全てが塵となって風に攫われていく。そうしてようやく陰鬱で穢れに満ち溢れていたこの聖域は、正常な姿へと近づいたのだった。

 アマリリスは暫く見えぬ天上を眺めていた。

 シエロに話しかけた時のような雰囲気のままだ。その心は本当にアマリリスのものなのかでさえも疑わしい。

 だが、しばらくそうしていると、突然、アマリリスは胸元を抑えて悶えた。

「どうした、アマリリス?」

 透かさず様子を窺ったものの、アマリリスの返答はない。代わりに聞こえてくるのは苦しそうな呻きばかりだった。

「大丈夫か?」

 匂いに変化はない。ただただ苦しそうな様子が見てとれるばかり。しかし、奇妙なのはこの場に居合わせている人鳥どもだ。誰もアマリリスを心配していないのは何故なのか。

 やがて、私は気付いた。

 アマリリスの持つ巫女の剣が不可思議な色に光っているということに。


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