1.鳥の町の状況
獣の町と比べ、鳥の町の荒廃はそこまで酷いものではなかった。
記憶を辿る限り、ゲネシスは多くの人鳥の命を奪ったかと思われたが、幸いな事に命からがら逃げ果せた者も多くいたらしい。
建物の奥に隠れる狐人の生き残りたちを庇うように、人鳥の生き残りたちは町の表で目を光らせていた。
そこへアマリリスと私は訪れたのだ。
正確に言えば、たった一つの目的に向かって前進するアマリリスに、ただのケダモノである私がついて行っているだけ。
黄金の狼に従われる赤い花の魔女。
その噂はどうやら既にこの町にも到達しているらしい。
私たちが町に入って暫くもしない内に、アマリリスは人鳥の大人たちに囲まれた。全てが見知った顔ではないだろう。アマリリスの事を殆ど覚えていない人鳥もいるかもしれない。それでも、今は違った。彼らにとって、今のアマリリスこそはこの絶望的な状況を覆せる可能性を秘めたたった一つの存在なのだろう。
「お待ちしておりました」
アマリリスに向かって、取り囲む人鳥の内の一人が口を開く。
「貴女が此処へ来るだろう事は、町長から聞いておりました。竜の町でのこと、獣の町でのこと、その全てについて報せを受けております」
穏やかな梟のような眼差しで、彼はアマリリスを見つめている。
だが、アマリリスの方は心ここにあらずという様子だ。内心では早く大社に向かいたくて仕方ないのだろう。それでも、一応は理性ある魔女として、アマリリスは静かに人鳥たちの言葉に耳を傾けていた。
「どうぞ、まずは我々の長たちの家で疲れを癒してくださいませ」
きっと、疲れを癒すことすら煩わしいはずだろう。
案の定、アマリリスは答えそうにない。以前ならばこういった場面では胡散臭いほどの礼儀正しい返しをしたはずなのだが、そんな様子も期待できないほど、アマリリスはこう着してしまっていた。
単なる疲労のせいではない。
休めと言われている今もなお、神々に急かされているのだ。
「有難いことだな」
アマリリスの代わりに、狼姿のままの私が人鳥たちに向かって答えた。
「こいつは獣の町から殆ど歩き通しだった。せいぜい、この国の人間の重役と同じように扱ってやってくれ」
私の言葉を受けて、人鳥たちは各々複雑な思いのこもった眼差しをアマリリスに向け始めた。憐れんでいるとでもいうのだろうか。それならば、どうか彼女の負担を軽く出来るように手を貸してほしいものだ。どうせ出来まい。彼らもまた自分たちの神しか信じないこの国の人間共と同じだ。大きな存在に全ての責任を押し付け、枠組みにはまる事でしか生きていけない。本当は自由を与えられていながら、そこからはみ出ることを恐れる臆病者ばかりだ。
そして、それは、私も同じ。
――……どうして私は汚らわしい魔女の心配なんてしているのだろう。
もう何十回、何百回と繰り返された疑問が頭を過ぎっていく。
「国の人間の重役? いいえ、それ以上ですよ」
人鳥の代表らしき男が私に言った。
「狼の方、あなたも勿論御一緒してもらいます。あなたにはゆっくり話を聞きたいと町長が申しているのです」
人鳥の眼差しがやや鋭い。
――話?
それはきっと、これまでのアマリリスの様子についてだけではないだろう。彼らはきっと知っているのだ。私がずっとグリフォスを止めようとして来た事。そして、グリフォスの悪行を阻止しようとして来た事を。
「分かった。こいつと一緒に甘えさせてもらおう。分不相応ながらも、ね」
からかうつもりで皮肉を込めて言ってみた。
彼らにとって重要なのはアマリリスをいかに利用するかであろう。これまで信じてきた神々さえもそうであるのならば、その神々と直接的に関係のある人鳥たちなんて、もっと単純なものに違いない。
私なんていてもいなくてもいいのだ。
関わらないなんて選択は自由に出来るはず。だが、不思議なことに、投げ出すという考えは、今の私の中になかった。
何故だろう。どうしてだろう。分不相応ならば逃げ出せばいいのに、私は当然のごとくアマリリスの付き添い役を担うつもりでいた。
それが我ながらおかしかったのだ。おかしくて、滑稽で、馬鹿馬鹿しくて、そして、何故だか切ない気持ちが込み上げてきたのだ。
それをかき消したかったのかもしれない。
けれど、人鳥たちはあまり私の冗談に付きあってはくれなかった。
「では、こちらへ」
無表情のままただそう言って、彼らは私とアマリリスとを案内し始めたのだった。
町長の家というものは、竜の町におけるリンの生家や獣の町における長老の家に雰囲気がよく似ていた。
恐らくどれもリンと同じような役目を担った者が住んでいるか、住んでいたのだろう。だが、獣の町と同じく、鳥の町の長の家もまた人数が妙に少なかった。
どうやら此処に住んでいた幾人かは既にグリフォスによって細切れにされてしまったらしい。幸いにもその中に町長は含まれていなかったそうだが、町としては痛すぎる損害であっただろう。
それでも、獣の町よりはましだ。
竜の町よりも酷いけれど、あの町の荒廃ぶりを見てきた後だとそう思ってしまう。
もちろん、ましだからといって悲惨でないわけではない。町長の家の中は未だに喪に服した臭いで一杯だった。
この家の住人の死のみを悼んでいるのではない。
家内で働く使用人などは、たびたび巫女の死を悼んでいた。
「カザン様は御綺麗な方でした……」
応接間に案内され、町長が訪れる間に壁にかけられていた肖像画を何気なく見ていると、待機していた狐人の女中が私にそっと話しかけてきた。
「わたくしのようなしがない女にとって、その御姿を一瞬目撃出来れば幸運なほどの御方でしたが……まさかこんな事になるなんて……」
すっかり塞ぎこむその姿は、やはり弱々しくて可憐なものだった。
似ている。目の前で殺されていったあの狐人達に似ている。当然か。この女中もまた彼らと同じ血を引いているのだから。
空巫女と同じ血を。
――あなたは巻き添えになってはいけません。
私の身を案じる空巫女カザン。
白い肌、赤い血、黒みがかった肉と臓器。甲高い猛禽の猛り声と共に一瞬だけ女の悲鳴が甦り、木霊し、頭の中を震わせた。
気持ちが悪い。吐き気がする。
まるで、クロが死んだ光景をこの目で見てしまった時のようだ。
「無念は同じです」
ふと、意識が引き戻された。ずっと黙りこんでいたアマリリスが口を開いたのだ。どうやら意識はきちんとあるらしい。だが、獣の町を出た時よりもやや淡々とした雰囲気となったのは否めない。アマリリスの顔を見れば、その目はやはり何処か雲っていた。
また、それ以上の声は聞けなかった。
女中との会話が長引くより先に、町長が現れたためだ。
やはり人鳥である。年齢の程は予想しにくいものがあるが、恐らく中年以上か壮年であろう。それも濃い血を引いているのか、魔力をさほど解放していなくても人間ではない特徴が大きく外に出ている。
肉を食らう者特有の眼差しに見つめられると、同じ肉食者としての警戒心が強まっていくようだった。
対して、アマリリスの方はさほどそうでもなかった。
「お待たせして申し訳ない」
思っていた以上に丁寧に、彼は渋みのある声だった。