4.社への林道
町を救う女勇者。
悪魔を退治する救世主。
呼ばれ方はどうであれ、アマリリスは結構な持て成しを受けた。私もまた他人事ではなくアマリリスに寄り添う番犬として、それなりの待遇を受けたらしい。長に暴言を吐いた事も今だけは大目に見てくれるのだろう。
だが、受けてみたところで落ち着くわけでもない。この持て成しの裏側にある期待と寄りかかりがこの上なく不快なものに感じてしまったからだ。おまけに、長くいればいるだけ、獣の町の荒廃ぶりが目に余り、どうしようもない焦りばかりが蓄積されていく。
どうやらこの町には本当に、ほんの一握りの見習い戦士がいるばかりで、後は老人や子供、そして戦力にもならないような蜻蛉の子の生き残りばかりであるらしい。
だからこそ、誰もが期待していた。
遠き場所、リヴァイアサンの社にて、化け物へと落ちぶれてしまったマルの魂を導く事が出来たアマリリスに――その左胸で絶えず踊り狂っている《赤い花》というものに期待していたのだ。
本人はあんなにも脆いというのに。
独り旅だったならばきっとこの期待に圧し潰されていたことだろう。それとも、早くから狂い、役目の為だけに燃え尽きる御使いとなりきっていたのだろうか。
何にせよ、彼女を見張るしかない。
それこそが、クロが愛したこの世界を救うために私が出来る唯一の事。そして、ゲネシスという哀れな人間にしてやれる唯一の愛情表現でもあった。
そして、その日は来た。
巫女の鏡を長老に預け、旅立とうと言うアマリリスと私の元に寄こされたのは、従者として選ばれた町の者たちだった。
一角側に準備を要したのは、大社に突入できる人材を確保する為だった。戦力となる一角の見習いが三名。植物の声を聞き案内人にもなる蜻蛉の子が二名。そのどれもが十五をやっと越えた程度の少年少女しかおらず、私もアマリリスも戸惑いを隠せなかった。
「こう見えても彼らは同世代の中でも一、二を争う実力者です」
そう言ったのはやはり現役を退いた老いた一角。長老よりも若いが、戦力外にしか振り分けられないような男だった。
「きっと勇者様のお役に立つ事でしょう。どうぞ、我々の巫女を導いてやってください」
その切実な言葉が、またしてもアマリリスに深く圧し掛かっている。
辛うじて一角には伝わらないだろうその表情の暗さに気付いて、私は内心溜め息をつかずにはいられない。
真面目と言えばいいのだろうか。抱え込む性格の者を守るというのも面倒なものだ。責任なんぞ必要以上に感じずにいればいいものを。だいたい、魔女のくせに今更何を取りつくろっているのだろうか。いい子ぶったって、この国の人間の殆どからは嫌われる存在であるくせに。ついでに、我々人狼にだって憎まれている。彼女を勇者様として崇拝している者なんて、この国にとっての異教徒だけ。その少数にだけは嫌われたくないとでもいうのだろうか。
そうだとしたら何と弱い生き物だろう。
まるで人間のようだ。
「ティエラ様の嘆きは歌声のように響いています」
社に向かう森の中で、戦士見習いの一角の少年の一人がアマリリスにそっと説明した。
「その声が地響きを生み、次々に畏怖を作りだしていると長老は言っていました。そのせいで、我らは神具である巫女の宝玉さえも取りに向かえなかったのです……」
その声はまだ子供のようだ。
少年であるというのに声変わりすらしていないのだ。他の二人も同じようなものだ。一人は声変わりこそしているが顔つきがまだ幼い少年。もう一人に至っては少女だ。リンのような女性戦士にあったような覇気も足りない。
だが、一角である以上、彼らは彼らで人間よりもましに動けるのだろう。
問題は蜻蛉の子だ。二人も押し付けられた。
双子の兄妹だと語る彼らは、人形のように飾っておきたくなるほど美しい作りをしているけれど、それだけだ。私は覚えている。次から次に散っていった蜻蛉の子の儚さを忘れやしない。時には人間にすら捕まって支配されてしまうような弱小魔族のそれも年端もいかぬ子供を押し付けられ、どう戦えというのだろう。
戦わない事よ、とアマリリスは言った。
町を出てすぐにぽつりと不満を漏らした時だ。彼女の眼には救済の文字しかない。彼女にとっては行く手を阻む化け物や現実を拒む巫女との乱闘など、そこまで重く捕えていないのだろう。
呑気なものだ。その分、私の負担が増えるというのに。
――それなら、あなたはついて来なくたっていいのよ。
ふと、嫌な言葉を思い出し、私は一人息を吐いた。人の姿の時は消えているはずの尻尾が苛立って揺れた気がしたが、気のせいだろう。
私の腰にてぶら下がるのはかつてバルバロの亡骸より頂いた魔女狩りの剣。
アマリリスを狩るはずのこの剣が、人間姿の時の私の唯一の武器であり、当のアマリリスを守るために既に何度か利用したもの。
不思議なものだ。
この剣を手に入れた時は、アマリリスを殺す日を夢見て意気揚々としていたというのに。
「そろそろです。歌声が聞こえていますね……」
声を押し殺してさっきの少年が言う。
なるほど。人間の姿のままでも奇妙な歌声は聞こえてきた。社の姿は辛うじて見える程度の距離。だが、それでもその声は確かに聞こえた。私が人狼であり、彼らが一角であるからというわけではなく、我々よりも幾らか聴覚の劣るはずのアマリリスにも確かに聞こえているらしい。
「ダフネ……」
かつての地巫女の名をアマリリスが呟く。
ダフネ。そんな名前だった。ゲネシスよりも先回りした社の中で、その訪れを告げ口し、彼が来るよりも早くダフネと蜻蛉の子だけでも外へ逃がそうとしたあの時に教えられた名。
人間は蜻蛉の子を愛玩として捕えるのだと聞いた事がある。
金稼ぎをする人狼の中には、あらゆる森に住まう蜻蛉の子を適当に捕え、病んだ人間相手に高額で売りつける者がいるらしい。勿論、彼らにとっての商品は蜻蛉の子に留まらないものだが、あの時私は少なからず蜻蛉の子を欲しがる人間の気持ちが分かった気がした。
そのくらい、彼らから伝わる癒しは人狼の私にさえも作用したのだ。
そんな蜻蛉の子たちは殲滅された。彼らの持つ独特な癒しも、ゲネシスの硬い心を溶かしやしなかった。そして、グリフォスという悪魔に至ってはむしろ暴力性を助長しただけのようにすら感じた。
彼らは異常なのだ。我々人狼よりもずっと異常なのだ。
「いいえ、ティエラ様だったわね」
アマリリスが一人言いなおし、胸に手を添える。
「行きましょう。彼女の元に」