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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
三章 マル
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9.罪人を恨む者

 黙々と進むアマリリスを無理に追い掛けようとする竜族はいなかった。

 彼女を引きとめようとするのは私だけのようだ。私が阻もうとしても頑なに進もうとする彼女の心はどうなっているのだろう。明らかに、腕に抱える巫女の鏡のせいだと分かっていても、それを手放させることすら出来なかった。

 それでも、疲れれば止まるのだろうか。

 だが、いつしか阻むのを止めて共に進みだした頃、竜の町からも海の社からも離れてしばらく経ったその頃に、私ですら止められなかったアマリリスの歩みを一瞬にして止める者が現れた。

 それは、竜族の青年だった。

 名前は確か――。

「ウィル……」

 驚いた様子でアマリリスは彼を見つめる。

 そうだ、確かそんな名前だった。

 彼の事は覚えている。確か、プシュケと共にマルの里にいた青年だ。アマリリスを介して私に協力を要請してきた生意気なトカゲ。有り余る力と実力がありながらも、ゲネシスに負け、ずっと見守ってきたのであろうプシュケを失って廃人のようになっていた男。

 たった一人で剣を背負い、ウィルと言う名の竜族の青年はアマリリスを見つめながら静かに立ち尽くしていた。竜の双眸はすっかり濁っている。鱗が見え隠れすることを考慮しても、その顔色は以前よりも悪く見えた。

「アマリリスさん……」

 力をすっかり失った声でウィルは言った。

「あなたはとうとう勇者様となったのですね」

「ウィル。海巫女様の魂は天に帰ったわ。後は私に任せて、あなたは安心して里に帰って。もう一度、海巫女様が生まれるまで――」

「里には帰りません」

 アマリリスの言葉を遮り、ウィルは唸るように言った。

「私はプシュケ様を御捧げする事を誇りに思っておりました。御捧げした後は、里で人間達を守りながら竜の町からの便りを聞ければそれでいいと。しかし、そんな些細な私の望みは、完全に断たれてしまった」

 彼もまた、涙はとうに枯れてしまったのだろう。

 プシュケの身に起こった惨状を聞かされた彼が、どんな反応を見せたのか、影の中から見つめたその光景は頭に焼きついたままだ。

 海巫女への崇拝だけではない。

 それ以上の特別な感情が、彼の中にはあったのだろう。それが具体的に何なのか、わざわざ暴くつもりはないけれど。

「海巫女様は確かに生まれ変わるでしょう。でもそれはもう、プシュケ様ではない」

 プシュケは死んだ。グリフォスに喰われて死んだ。

 その断末魔は耳の奥に沁みついたまま一生離れやしないだろう。獣に肉を喰われるのとは違う痛みと苦しみなんて、私などには想像出来ない。だが、あの叫びは、巫女たち全てが最期に残したあの嘆きは、想像を絶する苦痛から生まれたのだろうとしか思えなかった。

 それが、ウィルが大切に守ってきた巫女の死に様。

「勇者様、あなたは他の巫女を御救いください。私はこのまま先へと進みます」

「――先?」

 アマリリスが一歩踏み出すと、ウィルの目に敵意が宿ったのを感じて、慌てて私はアマリリスの服の袖に噛みついて引っ張った。

 下手に刺激しない方がいい。

 今の奴には死んだプシュケの幻影と、嘆き、そして恨みしか宿っていないのだろうから。

「プシュケ様の仇を討ちに行きます。大罪人と彼に寄り添う悪魔に破滅をもたらしに行きます」

「ウィル、駄目よ」

 私の制止も無視してアマリリスは更に身を乗り出す。引っ張られてもなお、アマリリスはウィルから目を逸らさずに訴えた。

「彼らは異常者なの。カリスが言っていたわ。彼は人鳥も一角も殺せる力を持っていたんだって。人間の姿をしていても、もはや人間ではない。あなた一人で立ち向かったって、殺されてしまうわ」

「それでもいいのです。リンたちのようにあなたに全てを任せて何もしないでいるよりも、たとえ敵わなくとも彼らと戦い死んでいく方がずっとましだ……」

「プシュケはそんなの望まないわ」

「――アマリリスさん……いいえ、勇者様。あなたに御武運があることを願っております。ベヒモスの下でも、そして、ジズの下でも」

「ウィル……」

 頑なな彼の心を溶かせないと悟ったアマリリスは、そのまま力を失った。

 袖を放しても、もう近づこうとはしない。それに安心して、私は改めてウィルという名の青年へと視線を向けた。

「おい、トカゲ」

 荒んだ竜の目がちらりとこちらを向いた。けれど、その目に宿っている竜族特有の威圧感は、私が怯むには少し力が足りない。

「お前、本気でゲネシスに挑むつもりなのか?」

「ええ、そのつもりです」

「相手は全ての神獣を倒し、その力を剣に吸わせている男だ。それも、悪魔の絶対的な守護が付いている。そんな奴に勝算でもあるのか?」

「ありません。けれど、行かねばならないのです」

 淡々とウィルは答える。

 その姿はまるで、絶対的捕食者に伴侶を奪われた狼のようで、切なく感じた。死に行こうとしていることは、自分でも分かっているのだろう。分かっていて、止まることが出来ないでいるのだ。

「どうして、ウィル。どうして行かなくてはならないの?」

 アマリリスが問うと、ウィルはやっと微笑みらしきものを浮かべた。

「それが私にとっての正義であるからです」

 ウィルにとっての正義。それが、神話や言い伝えに縋って何もしない事よりも、僅かな可能性にかけて自ら立ち上がるという事。

 己の正義を信じている者の前で、アマリリスはとうとう口を噤んだ。

「これまで、我らの為に力を貸していただき、有難う御座いました」

 ウィルは言った。

「これでお別れです、アマリリスさん」

 引き留められる可能性など、零に等しいだろう。


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