9.奇妙な見物者
太陽の照りつける世界。
此処を堂々と歩けるのは人間か魔族くらいだ。我慢をすれば魔物であっても歩けなくもないかもしれないが、誇り高い魔物がわざわざそんな事をするわけもない。
するとしたら、誰かの隷属となり、プライドの一切を忘れてしまった哀れな者だけだ。
――かつてのルーナのように。
私は生憎、アマリリスの僕等ではない。だから、その影にぴったりと張り付き、日の光を避けていた。
リンの生家から、惨劇に見舞われた大社までそう遠くはないが、着くまでにはやけに長く感じた。実際、長くかかったのかもしれないが、影の中からではよく分からない。
ただ、リンとその他の竜族に付き添われながら進むアマリリスは、心の一切を殺してしまったかのように大人しいものだった。
昨日の事があったせいか、今日の朝と昼はしっかりと自分で食べていた。
だから、もう心配する事はなさそうだが、その表情を見ていると無駄に不安にさせられる。かといって、張り切り過ぎているようでもいけないのだが。
「もう少しです」
進み始めてしばらく経った気がする。
ようやくリンの声が聞こえてきた頃合い、太陽の光が少し遮られた。私はアマリリスの影を抜けだし、傍に生えている並木の日陰へと移動した。この方が状況を捕えやすい。
太陽がどんなに傾いても、ここならば日射しをもろに受ける事もなさそうだ。
竜族達は私の動きなどお見通しかつ、取るに足りないと判断しているようで、誰も注意を逸らされたりしなかった。アマリリスも同じだ。彼女は大社を目指す事だけに集中している。ただ、リンだけが私に少々目配せをした。
鼻を利かせろ、とでも言いたいのかもしれない。
だとしたら、腹が立つ。
言われずとも、そのつもりだ。
惑わそうと空気を乱す風を受けながら、私は周囲を目と鼻で探った。
この辺りに、グリフォスもゲネシスもいない。我々の行動を、ゲネシスはともかく、グリフォスが把握済みなのかは分からないが、今のところ、奴らに邪魔をされるという事はなさそうだ。
だが、風は無駄に細かい情報を運んでくるものだ。
潮の匂いが混じっているのは分かっていたし、それが段々と強まるのは大社が近づいて来ているからだとも分かっていた。大社の傍にはリヴァイアサンが生き物の一部を陸に運んだという聖なる海が存在しているからだ。
しかし、その潮の匂いには、違う匂いも混じっていた。
魔物。それも、複数。
それは、何処かで嗅いだ事のある匂いだった。
「誰かいますね」
先頭を歩いていた竜族達の声が聞こえ、私はようやく大社の姿に気付いた。
もう目と鼻の先に、大社はある。
その入り口付近に、奴らはいた。
ここまで近づいてやっと竜族達が気付いたということは、彼らはきっと人狼ほどの嗅覚を有してはいないのだろう。
不便なものに思えるが、困ってはいないらしい。
生まれつき鼻に頼りながら生活する私には想像も出来ない。
まあ、それはいい。それはいいのだが、私は人狼の中でもさほど鼻がいいというわけではない。飽く迄も、平均なものであって、人狼という種族の者の間に生まれた純血者ならば、当然有しているものだ。
そう、つまり、大社の入口に屯している彼ら。
彼らもまた、とっくに我々の接近に気付いていたのだろう。
「カリス……」
アマリリスの声が聞こえ、私は溜め息を漏らした。
「――別に仲間ではない」
知らない奴らだ。そう言おうとして、口が閉じた。
近づけば近づくほど、その人狼達の姿がはっきりと見えてきた。そうして、私はふと、この上ない屈辱の時間を思い出したのだ。
首に鎖を巻かれ、変身という神聖な能力を奪われ、風を駆ける自由すらも失って、無様に曝されていた決して短くもないあの日々の事を思い出したのだ。
あの時、声をかけ、私に近づこうとした集団。
同じ人狼の、同じ同胞の、巡礼者達がそこにいた。
彼らの多くは真っ直ぐリン達を見ていたが、その一部はアマリリスを、或いは、私を見つめていた。
「あなた達は何者ですか? 生憎今は、礼拝堂も閉鎖しています」
丁寧だが棘のある口調で、リンが彼らに近づいていく。
影と影を縫うように移動し、私もまたその傍へと這い出た。
同じ人狼だが、彼らは別に太陽の光を必要以上に嫌わず、人間と変わらぬその姿でリン達を迎えていた。
「ああ、別に礼拝したいわけじゃないよ、竜族の姉ちゃん」
先頭に居た茶髪の男がそう言った。
「ただちょっと、神話と、それに関わる奴らに興味があるってだけさ」
やはり、あの時の奴らだ。
喋っているのは、あの時、グリフォスに触れられた男。旅人風の中年の男だ。
太陽の光は鬱陶しいが、戸惑う竜族やアマリリスの代わりに、私が彼らに近づいた。
「悪いが、関係者以外は入れないようだぞ。旅人さん達」
そう言って目を細めると、男を始め、彼の仲間と思しき者達の多くが好奇の目を私に向けてきた。彼らは分かっている。匂いは同じだからだ。あの時、悪魔によって獣として綱を引かれていた奴隷と、今こうして人間の姿で自由に振る舞う私が、同じ存在であることくらい、分かりきっている。
「なあ、教えてくれ。お前さん、どうやって力を取り戻したんだい?」
それで分かった。この男、まだグリフォスの呪いに苦しめられているのだ。
「ねえ、カリス、何の話を――」
アマリリスの問いを遮って、私は男に答えた。
「お前達が何故、この大社の前で屯していたのか、本当の事をきちんと教えてくれたら、答えをやるよ」
私と同じ始祖を持つ同胞達がうろたえ、アマリリスを取り巻く竜族達の目が光る。
ただ、茶髪の中年男だけは、真っ直ぐ私を見つめていた。
鋭い獣の目。相手を心から信用しない人狼らしい目。だが、その心が判断を下すまでには、さほど時間はかからなかった。
「いいだろう」
男の低い声が波の音にも勝った。