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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
二章 リン
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8.出来ない約束

 旅立ちの朝は呆気なくやってきた。

 ニフは周囲の人間や竜族の助言を振り払って、寝台から抜けだし、アマリリスとの別れを惜しんでいた。

 交わす言葉はあまり多くない。

 だが、別れれば、もう二度と会えないという不安が嫌でも二人を包みこんでいた。

 海巫女を救った後、アマリリスはそのまま海の聖域を去り、地巫女の魂が怯える、森の聖域へと直行する事になっていた。

 大社までついて来るリン達との別れはもう少し先になるだろうが、リンの生家にてもっと療養の必要なニフは違う。

 此処を発てばもう、この魔性を秘める人間の女とは会えなくなるのだ。

「――アマリリス……お願い、全て終わったら、戻ってきて」

 震えた声でニフはアマリリスに懇願する。

 そんな彼女を、アマリリスは沈黙を守りながら抱きしめていた。

 約束は出来ない。守れない約束など、するつもりもないのだろう。アマリリスは黙ったまま労わるようにニフの背中を撫で、別れを惜しむばかりだった。

 だが、ニフは答えを得られぬ不満を漏らす事も無く、そっと瞼を閉じた。

「ルーナのことを――」

 やがて、やっとのことでアマリリスが口を開いた。

「ルーナのことを、お願いね」

 涙も浮かべずに言う赤い魔女。

 かつて人狼の多くが恐れた彼女の今の姿には、狂気も、暴力も、醜さも宿ってはいない。人間とも、人狼とも、変わらないような慈愛を有した姿で、アマリリスはじっと長く付き添ってきた仲間を見つめていた。

 そんなアマリリスの表情を、ニフは見つめ直す。

 先程までの悲しみに浸る姿はもうなく、その表情に笑みが添えられる。

「分かった。任せて……」

 これで、アマリリスがずっと思い悩んでいた事の一つが片づいた。

 黙したまま二人の別れを見守り、私はふと過去の記憶を掘り起こした。

 世界の絶望の足音すらも聞こえなかった頃、まだ、私が自分だけの悲しみに浸り続けている余裕があった頃、アマリリスは仲間達の心配をしていた。

 ルーナとニフテリザ。

 二人が平穏に暮らせる場所を探し、自分一人の死に場所を私に託した。

 魔女としての言葉ではなかったかもしれないけれど、それが生き物としての彼女の切なる願いであったのだろう。

 どちらが本当のアマリリスかなんてどうでもいい。

 好感を持てるとは言えないが、どちらの希望を聞きたいかと問われれば、迷うことなく今のアマリリスが口にする願いを叶えてやるだろう。

「カリス」

 ふと、アマリリスに抱かれるニフの視線がこちらを向いているのに気付いた。

「カリス、アマリリスをお願いね」

「お前に言われなくとも、そのつもりだ」

 これから最期の時まで、私はこの夫殺しの犯人と行動を共にする。

 最愛の人を残酷に殺し、私をどん底まで苦しめた張本人と共に、この世界の大罪人である一人の青年を破滅させに行く。

 私はきっと生まれてくる前に何か酷い事をしたのだろう。

 もしくは前世とかいう概念が存在するのならば、大変な罪を犯して生まれ変わったのかもしれない。

 どちらにせよ、この責め苦はそういった因縁のものなのだと思って開き直らなければ、私はいつまでも世の中を恨み続けてしまいそうだった。

 そんなふらついた思考を止め、私はニフテリザに向かって中身のない笑みを見せた。

 人狼の笑みだ。獲物を狩るときに重宝する技。笑う事が何も無くとも、悲しみに沈んでいても、怒りや憎しみで潰れそうになっていても、人狼というものは笑う事が出来る畜生なのだと人間共は言う。

 それは多分、間違いではない。

「お前はせいぜいこの町で上手く暮せばいい」

 そう言ってやると、途端にニフは戸惑ったような表情を浮かべた。

 笑みは偽物だ。だが、言葉は違う。嘘つき、詐欺師、ケダモノ、そう呼ばれ、そう振る舞って生き延びてきた私のような者が今さらそんな台詞を吐いたところで、人間ならば信じもしないだろう。

 それでも、だ。

 私はニフという人間の女に、本当に、平穏に包まれて幸せに過ごし、当り前の一人の人間として過ごしていって貰いたいと願った。私にも、そして、アマリリスにも望めない願いだが、この女になら、そして、リン達を始めとする竜族の守るこの町ならば、叶えられるものだと信じていた。

 ニフにはどのくらい伝わっているのだろう。

 少しも伝わっていない可能性もある。だとしても、私は別に構わない。

 人狼と人間。

 お互いに住む世界も違い、喰う者と喰われる者であるという事実も変わらないのだから。

 だが、それでも、ニフテリザという名のこの女は、私の言葉をゆっくりと受け取ると、段々と困惑の色を薄め、その代わりに、静かに笑みを広がせていった。

「ありがとう」

 真っ直ぐな心がそのまま声に乗っていた。

「ありがとう、カリス」

 彼女に礼を言われるのは何度目だっただろう。

 いずれにせよ、その純粋な言葉は、殺伐とした心しか持たないとされる人狼であるはずの私にとっても、とても心地よいものだった。

 これで、別れだ。

 ニフテリザという女の未来の一切は、もう私にも、そして、アマリリスにも干渉できないものとなる。

 後はただ未来を信じて願うのみ。

 彼女が幸せに、私達の分まで、普通に生きていけることを願うのみ。


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