7.萎れかけの花
痩せてきたのは気のせいではない。
アマリリスの姿をまじまじと見れば見るほど、確信へと変わっていく。
前はもう少しふっくらとしていた。太っていたという訳ではなく、飽く迄も健康的で見栄えも良かった。しかし、この数日でアマリリスは痩せてしまった。見栄えの悪い痩せ方をしているのが服の上からでも分かる。
特に目を離せないのは、白い手首。
あんなに細かっただろうか。
その先の指は、まるで枯れ枝のようではっきり言って醜い。
「おい」
とうとう私は暗闇の中で目を開けたまた黙りこんでいるアマリリスに声をかけた。
「そろそろ喰え。冷めるぞ」
あれからずっと食器の中の料理に手を付けていない。せっかく竜族と人間が魔女向けに考慮したと言うのに、恩知らずな奴。
睨みつけていると、ふとアマリリスの視線がこちらを向いた。
その無機質な表情を見た瞬間、思わず身体が強張った。一瞬だけだったが、彼女が元の魔女に戻ってしまった気がしたからだ。
「ねえ、カリス」
だが、名前を呼ばれ、すぐに気が抜けた。
「どうして私、《赤い花》を受け継いで生まれたのだろう」
「何なんだ、一体。私はお前の母親じゃないぞ」
「私じゃなくて、もっと強い魔女か魔術師だったら、って思うの」
「思うからなんだ。現状は変わらないぞ。それよりも、喰え。お前に必要なのは、考える事じゃなくて、食べることだろう」
アマリリス。赤い花。人狼殺しの残虐な魔女。
こいつを恐れて引きこもってしまった若者の人狼の話を聞いたことがある。
その引きこもりの親は、どうしても子を見捨てることが出来ず、嘆きながらどうにか外に出そうとするらしい。
だが、その矢先で、また遠くの地でアマリリスの犠牲になった人狼の話が舞い込み、親の試みは振り出しに戻る。
今も彼らは悩んでいるのだろうか。
その親の苦労が何となく今、分かる。しかし、私の苦悩の相手がその引きこもりの元凶であるアマリリスそのものなのだから笑えるものだ。
「いらない。カリスが食べて」
またしてもそう言うアマリリスに、いよいよ腹が立ってきた。
突然立ち上がる私を、アマリリスが不安げに見つめる。その視線にも答えることなく、私は真っ直ぐ夕食の皿へと近寄り、スプーンを手に取った。
「――カリス?」
怪訝そうな姿などに惑わされない。
アマリリスの肩を素早く掴むと、無理矢理その口に喰い物を押し込めた。突然の事に驚いたアマリリスが逃げようとしたが、その力は拍子抜けするくらい弱いもので、人狼の私でなくとも抑えつけるのは簡単だっただろう。
押し付けた喰い物をしっかり飲み込んだ後、アマリリスはむせながら不満を口にした。
「……何……するのよ」
「自分で喰わなかった罰だ。もう一回やってやろうか」
視線で脅すと、アマリリスはゆっくりと頭を振った。
両手で口を拭うと、狼の子供にでもなったかのように私を見上げた。
「分かった、ちゃんと自分で食べるから……」
そう言って、すっかり冷めた骨付き肉を手に取った。少々火を通し過ぎのその肉をじっと見つめ、齧りつく前に息を吐く。
「どうして私の心配をするの……」
「気色悪い事を言うな。別にお前の心配しているわけじゃない。まっとうな生き物としての責任だ。それに――」
スプーンを皿に戻すと耳障りな音が響いた。
辺りはすっかり暗い。こうしている間にも、明日は迫って来る。
「それに、食う時にお前が骨と皮になっていては、味気ないからね」
見下ろしながらそう言うと、アマリリスは窺うように私を見ていた。
やはり、信じてはいない。腐っても、忘れていても、魔女であるのだから、私の心に頑なな意志が灯っていない事等お見通しなのだろう。
だが、だとしても、その事実を素直に認める気にはならなかった。
明確な希望など持たせやしない。
何故なら、この女は愛する男を殺したのだから。
「あなたって――」
アマリリスがふと口を開いた。
「本当に変わっているわね」
「無駄話はいい。さっさと喰え。こうしている間にも、明日は来るぞ。鈍った身体を動かさねばならないのだからな」
「そうね」
私の小言を短く受け流し、アマリリスはすっかり固くなってしまったらしい肉を齧った。
痩せてはいても、噛みきる力に問題はない。
だが、先が思いやられるものだ。海巫女の魂を救った後、地巫女、空巫女の元へと向かうまでの間、ともすれば私がこの女の為に、この女にも喰える獲物を捕えてやらねばならないかもしれない。
――いや、深く考えるのは止そう。
今はただ、リンの依頼を成し遂げる事だけを考えるべきだ。
「マルの魂か……」
リンの話を思い出してみても、今一ピンとこない。
それもそうだ。私が知っているのは物語としての神話ばかりで、その実際なんて断片しかこの目で見たことがない。
巻き込まれる形で、赤い花という存在も、巫女という存在も、神獣という存在も、そして悪魔という存在もこの目で見てくる羽目になったけれど、まだ私は絶望しか知らないままなのだ。
「一体何が待っているのやら」
答えはそう焦らずとも明日分かる。
けれど、何となく気が急いてそわそわしてしまうのはきっと、ここ数日、理不尽に足止めを食らってきたからなのだろう。
こうしている間に、ゲネシスは何処まで行ってしまったのだろう。
グリフォスは何処まで彼を導いてしまったのだろう。
願わくは、崩壊していく自我が、彼の足止めとなっていることを。
「マルは……マルよ……」
食べかけの皿を置いて、アマリリスはそう言った。
「不安なら、ニフと一緒にここに残ればいいじゃない」
「減らず口を叩く暇があったら喰え。それとも、もう一度、介助してやろうか?」
淡々とそう言い返すと、アマリリスは少々不満げに冷めたスープを啜った。