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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
七章 キュベレー
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6.死した魔女

 ――ナキ。

 その名を聞いたのは一度だけだ。

 けれど、忘れる事は出来なかった。

 人に危害を加えていたのかは分からない。恐らく、加えてはいなかった魔女なのだろう。人間の偏見と拒絶を極端に恐れ、それでも孤独に耐えられずに人間の集う賑やかな場所を求めて廃墟に住みついていた少女の姿の魔女。

 今となっては弱々しいポルターガイストのような力を思い出せる。

 この剣によって黒い血を流して死んでしまったあの少女。

 名前も知らぬまま、血抜きしたその身体より薬の元となる部位を切り分け、そのままいい価値をつけられ売られていった彼女。

 その名がナキであった事を告げたのは彼女を友として愛していたというキュベレーだ。

 ナキ。それは、恐らく私の罪の名とも言うべきだろう。

 あの仕事に関わったせいで、キュベレーに憎まれ、ミールは奪われた。ミールを奪ったキュベレーは憎く、恨めしいほどだったが、それ以上に私は自分を呪った。

 仕事の依頼は無下に出来ない。

 その魔女が危害を加えていようといまいと、誰かに依頼されてしまった以上、試しにでも魔女狩りの剣で斬らなくてはならなかった。

 ――そんな事は言い訳に過ぎない。

 腹が減って死にそうだった時に現れたから仕方なく食べたのだと、もしもサファイアを喰い殺した人狼が言ったとして、それを許せるだろうか。

 許せるわけがない。

 だが、それはお互い様だ。私は罪を犯し、キュベレーもまた罪を犯した。唯一、何の罪も無かったミールを助けるには、キュベレーに死んでもらうしかない。

 それこそが、呪いを解く手段。

 そして、グリフォスもまた、何の罪も無かったかもしれないナキという少女のことで、キュベレーに対して揺さ振りをかけていた。

「ナキ」

 その名を告げると、キュベレーの身が微かに強張った。

「彼女もまた寂しがっているわ。あなたとまた会えるのなら、たとえ私のようなおぞましい悪魔の支配下に置かれたとしても、あなたを恨んだりしないでしょうね」

「……騙されない」

 震えた声を放ちキュベレーは顔を両手で覆った。

 嗚咽と共にその並々ならぬ魔力の渦が小さな体の中で蠢いているのを感じ、私は思わず哀れなミールを前に後退りしかけた。

 そのくらい、動揺したキュベレーは危険に思えたのだ。

「わたしは罪人になんてなりたくないし、死んでしまったナキを巻き込みたくない。死んでもなお、あなたのような悪魔に囚われるなんて、この上ない屈辱だわ……」

「たかだか数百年生きた程度で、随分と薄情な気高さを積み重ねてしまったようね。私に従う事を拒絶するあまり、お友達の声までも無視するなんて」

 微笑むグリフォスを見つめたまま、キュベレーが王座の上で固まる。

 そのエメラルドの目が凍ったように青い悪魔の双眸を見つめながら、震えた唇を動かして声を放つ。

「――騙されない」

 吐き捨てるように、恨みを込めて、幼い姿の魔女は私の最愛の女性(ひと)の姿をしたグリフォスを睨みつける。

「その男のようには、絶対になりたくない」

 それならば私も同じだ。

 この魔女のようにはなりたくない。

 つまらない尊厳が何の役に立つというのだろう。生きるためならば、そして、苦しみから解放される為ならば、どんなに醜い姿に成り果てようと私は構わない。

 けれど、この魔女は違うらしい。

 馬鹿馬鹿しい掟と頭の悪いほどの括りに縛られて、この魔女は愚かにも頑なな態度を私と、グリフォスの前で取る。

 裁きが何だと言うのだろう。

 罪人と言う肩書きが何だと言うのだろう。

 正しさを守るために、今も悪しき魔女の傍で石となる大切な人を諦めよと言われて、一体どれだけの人間が諦められるというのだろう。

 誰しも己の事ではないから批難できるのだ。

 もしもあれが、自分の親兄弟、息子や娘、親しい友人、そして、一生共に寄り添うと誓いあった伴侶であったとしても、見捨てられるというのだろうか。

 罪人でもいい。

 血も繋がらない、既に死んだ妻の弟という関係かもしれないが、ミールは紛れもなく私の家族であり、幼い頃から見守ってきた弟で間違いないのだ。

 此処まで来て彼を見捨てる事は、自分を見捨てることにも等しい。

 私は諦めたくない。可能性を信じたい。救われると信じてグリフォスに従い続けた私に後悔が生まれるわけがない。

 ああ、だが、この頑なな魔女を全面的に批難するつもりはなかった。

 彼女は怖いのだろう。罪人となって裁きを受けることが。そして、同じ罪人の立場に愛する友人を引きこんでしまうことが。

 自分を愛し、粗末にしていないからこそ、彼女は怖いのだ。

 その感情は分からないでもない。

 けれど恐らく、彼女と同じ心の動きが、私には違う作用をもたらしたのだ。自分の身が可愛いからこそ、粗末にしたくないからこそ、私はグリフォスの手を握った。サファイアによく似た姿に従ったのだ。

「ゲネシス――」

 獣を宥めるような声で、グリフォスは私の名を呼んだ。

 話は終わりだ。

 悪しき魔女と信じたキュベレーの生き血さえ流せば、石となってしまったミールの呪いは祓われ、停まっていた時が動き出す。

 剣を握り、飢えた獣のように王座に座る偽の女王を見つめ、私は吠えた。

「キュベレー」

 全てはミールの為に。

「その血肉を貰おう」

 そして、私の為に。


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