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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
六章 リヴァイアサン
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8.人間の女

 ようやく追いついた時、グリフォスは既に二人の人間を追い詰めていた。

 はっきりとした邪悪な感情に怯えを隠せない高貴な身なりの娘と、その娘を庇いながら悪魔に短剣を向ける見かけだけは勇ましい表情の女。

 私はじっと二人の人物を見比べた。

 短剣を手にしているのはアマリリスの仲間だが、こちらはただの人間のようだ。

 では、同じく人間の中から生まれたはずの高貴な身なりをした娘はどうだろう。

 普通の人間を騙るにはあまりにも奇妙な気配を醸している娘。

 彼女が海巫女である事は一目瞭然だった。何よりも、グリフォスの眼差しがそれを裏付けている。今までずっと欲しかったのだろう。他の巫女たちと同様、躊躇いもなくその手で抱き、死を与えたいのだろう。

「子猫ちゃんのお相手、お疲れ様」

 グリフォスがちらりと私を振り返った。全てを見ていたかのようなその眼差しに、私は静かに頷いた。

 私の訪れを目にして、アマリリスの仲間の表情が変わった。

「子猫……」

 私の姿に動揺したのだろう。そしてグリフォスの言葉に動揺したのだろう。ルーナ、そして、アマリリスがいたはずの場所から来た、血塗れの私の姿を見たまま、アマリリスの仲間の女は目を丸くしていた。

「ルーナは……アマリリスは……」

 問い正すように彼女は震えた声を放つ。

 そして、その背後に居る海巫女が、青ざめた顔で私を見つめた。揺らぐ目と息遣いが物語る。海巫女には分かるのかもしれない。私の身に沁み込んだ罪の臭いが、そして、愛しき存在の気配が。

「そんな……」

 嗚咽と共に海巫女は言葉をひねり出した。

「リヴァイアサンが……そんな……」

 絶望が彼女を覆っていた。

 絶対的だったはずの守護を失った時点で、海巫女に残された道はもはや一つしかない。迫るグリフォスに抗う事なんて彼女には出来ない。

 それでも、今だけはそんな無力な海巫女を守ろうと必死な者がいた。

「来ないで!」

 震えた手で短剣をこちらに向け、私を恫喝どうかつする女。

 名も知らぬアマリリスの仲間が、同じ人間として私を強く見下しているのが伝わってくるようだった。

 それならば、私だって同じだ。人間のくせに、人間であるにも関わらず、幼い頃よりの信仰を捨てて、あろうことか魔女や魔物と寄り添って生きる等、理解しがたいことだ。この女はもはや人間ではない。人間の皮を被った魔性の者に過ぎない。

 ――そして恐らく、その言葉はそのまま私にも跳ね返る。

 同じ魔へと転落した者同士殺し合うのも悪くは無いかもしれない。

 何も言わず走り出す私に、女がやや遅れて動き出す。

 動きは悪くない。だが、所詮は女だ。魔女でもなく、魔物でもない。そしてどうやら何かしらの戦士だったわけでもないらしい。その動きは不慣れな上、安物の短剣と私の剣が対等にぶつかり合えるわけもない。

 それでも、女は諦めやしなかった。

 身を削ってでも私を止めようという決意が現れている。

 悪くは無い。だが、いいわけでもない。もしも幼い頃より傭兵の訓練でも受けていれば、いい戦士にはなったかもしれない。そのくらいの素質は感じられる。それだけだった。それだけのはずだった。

 けれど、聖獣たちと戦った時とは違って、私はなかなか彼女を斬りつけることが叶わなかった。何故だろう。追い詰めたと思っても、いつの間にか攻撃を避けられてしまう。彼女が怪しげな術を使っているわけではなく、私の攻撃が鈍ってしまうためだ。

 嘘偽りのない人間の女を殺す事に抵抗を感じているのだろうか。

 そうだとすれば、今さら過ぎる。

 これまで一体、何人の人間を斬り殺してきただろうか。

 私は自分自身を叱咤して、迷いを振り払うように剣を振るった。私の様子の変化に女が瞬時に目の色を変え、叫ぶ。

「プシュケ! 逃げて! 何処でもいいから!」

 不利を予感したのだろう。

 その言葉にプシュケと呼ばれた海巫女が迷いつつもその場を離れ始めた。

 私はその様子を見送った。グリフォスは少しも焦ってはいない。ゆっくりとプシュケの後を追っていく。

 彼女から逃れられるはずもないのだ。

「どうして……」

 戦いながら、人間の女は嘆いた。

「どうして、あなたは人間でありながら、こんな罪深い事を……」

 同じ人間として理解が出来ないといった様子だった。

 奇妙な事に、これまで数多の者が私に向けてきた蔑みや恨みといったものとは違い、まるで憐れんでいるかのようだった。

 そんな女に剣を向けながら、私は迫った。

「どうして、悪魔の味方なんか……」

 その問いに答える気は毛頭ない。ただ相手をして、場合によっては斬り殺してしまうことが今の私に出来る行動だとしか感じなかった。

 攻撃を避けては迫って来る彼女をあしらう内に、気付けば私達は最初にぶつかった場所からだいぶ離れた場所へと移動していた。

 どちらも目立った傷は作られていない。

 だが、女の方は明らかに疲労している。動きは次第に鈍り、これならば不思議な感覚に後ろ髪を引かれている私であっても容易に斬る事が出来るだろう。

 グリフォスはどうしているだろう。

 そろそろプシュケとかいう娘を喰い殺しただろうか。

 そんな事を考えていると、女が思い切った行動に出た。

 恐らく、減り続ける自分の体力と気力に焦りを浮かべたのだろう。だが、そうだとしても無謀過ぎた。身を呈した特攻のつもりかもしれないが、私にしてみれば切り殺される為だけに飛び込んできたようなものだった。

 短剣を構えて飛び出す彼女を迎え撃ち、私は内なる迷いとまとめてその平凡な若い女の身体を飢えた剣に与えた。

 魔物のような剣は喜んで人間の女の血肉へと牙を喰い込ませる。

 その瞬間、短い悲鳴が辺りに響いた。

 一撃で、彼女はもう動けなくなった。邪魔者は消えた。時間が彼女を死に攫わせることだろう。この女を警戒する必要はもうない。

 さて、グリフォスは何処へ向かっただろう。

 私はくうを見つめ、その気配が辿れないか意識を集中させた。魔族でも魔物でもない私にそんな事が出来るわけもないが、それでも、意識を傾けた途端、グリフォスの方がこちらに向かってきているような気がした。

 耳を澄ませば、笛の音のような巫女の悲鳴が聞こえてくるようだった。

 ジズが、ベヒモスが、そしてリヴァイアサンが私の体内で揺れ動く。全ての巫女がこの世から消えたという直感が、私の脳裏に唐突に生まれてきた。

「――サファイア」

 私はその名を呟いた。

 懐かしく、麗しい、最愛の人の名を。

「一緒にミールを迎えに行こう……」

 形容しがたい感情の波に、意識が攫われていきそうだった。


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