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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
五章 ベヒモス
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9.哀れな獣

 ダフネにはもう抗う事さえ出来ないようだった。

 安全な世界で味方に守られている事しか知らなかった地巫女が、どうしてこのような事態を想像できただろうか。

 抗えたとしても、もう遅い。

 礼服を脱がされ、グリフォスの前で地肌が曝された時、既に彼女の命運は決まっていた。

「いや……やめて……」

 哀願するような声が、逆にグリフォスの食指を動かす。

 直後、聞こえてきたのは耳をつんざくような少女の悲鳴だった。グリフォスが触れたその先で、ダフネの肉体が侵されている。

 痛みと苦しみがか弱い彼女を襲い、その喉から声をひねり出させていた。

 グリフォスは黙ったままだった。意識を集中させ、ダフネの肉体を貪ることに現をぬかしているようだ。

 全身をくまなく触りながら、グリフォスは残酷にも時間をかけて巫女を食した。

 壮絶な悲鳴にカリスの身体が反応する。

 荒い息と共に起きあがり、彼女は茫然とその光景を見つめていた。何も言わず、ただ唸るだけ。グリフォスに触れられてしまったせいだろうか。まるで本物の狼のように、カリスは一声鳴いた。

 そして、私を振り返ると物言いたげな目をこちらに向けてきた。

「お前の負けだな、カリス……」

 私はその姿に告げた。

 悲鳴が途切れた。力なく動いてはいるけれど、巫女の命ももう長くはないだろう。そんな空気を感じ取ったのか、カリスは唸りもせずにただただ頭を垂れた。

 今から止めに入ろうだなんて愚かな事は考えないらしい。

 考えていたとしても、間に合わなかった。

 グリフォスが深く息を吐くと、ダフネの身体はぴたりと動きを止めた。その直後、血色の良かった肌は大理石のように白くなっていき、やがて、身体の端々からひび割れ、粉々に崩れていってしまった。

 その塵すら風に攫われ、跡には何も残らない。

 名残を惜しんで塵を見つめると、グリフォスはうっとりとした目を、私と私の傍にいるカリスへと向けた。

 勢いを失ったカリスは、唸ることも出来ない。

 そんな彼女にグリフォスはそっと近づいた。

「選びなさい」

 カリスに語りかけながら、グリフォスは微笑んだ。

「ここで私に喰い殺されるのと、愛しのこの人に斬り殺されるのと、はたまた、私達につき従うのと、どれがお好み?」

 あっという間にグリフォスは辿り着き、狼姿のカリスの前に座りこんだ。

 その顔が敵意を顕わにするより早く、頭の上に手が置かれる。

 グリフォスに触れられれば力を吸い取られる。カリスも恐らく、人狼として戦う力を奪われてしまっているのだろう。

 触れられてしまえば彼女はもはや鎖で繋がれた犬でしかない。

 誇り高いと自称する傲慢な人狼などそこにはいなかった。

 顔を覗きこまれ、カリスの美しい目が揺らいだ。尾は悲しいほどに垂れ下がり、四肢は今にも力を失いそうなくらい震えていた。

 そんなカリスの顔を見つめ、グリフォスは目を細めた。

「私だって今は、地巫女の味の余韻を楽しみたい。ゲネシスも疲れたでしょうから、余計な仕事で煩わしては駄目ね」

 そう言うと、グリフォスはわざとカリスの頭を撫でた。

 まるで飼い犬の頭を撫でる人間のように。

「逃げようとしても無駄よ。抗おうとしても無駄。あなたを人間に戻してすぐに食べてしまうのはとても簡単な事だけど、大人しくしてくれるのなら、そうしないであげる」

 優しげにグリフォスは語りかける。

 その顔を見つめたまま、カリスは怯えきっているようだった。

 その姿はまさに狩人に囚われ、生皮を剥がされる前の獣のようだった。哀れ過ぎて、同情も追いつかない。

 ひとしきり撫でるとグリフォスはそっと手を離し、頭上よりその名を呼んだ。

「カリス」

 見上げるカリスに向かって、彼女は強い口調で言った。

「選ぶのはあなたよ。あなた次第で、私も頑張ってあなたを食べてあげるし、ゲネシスも疲れた体であなたの首を刎ねるでしょうね。それが嫌なら、惨めに生き延びたいなら、今すぐ腹這いになって私にひれ伏しなさい」

 唸り声が聞こえてくるようだった。

 考えるまでもなく、人狼にとってはこの上ない屈辱なのだろう。その証拠に、声には出さないにしろ、カリスは恨めしそうに奥歯を噛みしめていた。

 傍から見れば恐ろしい姿だ。

 人間の腸すらも引きずり出すような獣が、これ以上ないというほど分かりやすく敵意を顕わにして睨みつけているのだから。

 それでも、グリフォスは動じる事は無い。

 じっと見降ろしたまま、黙ってカリスの答えを待っていた。

 やがて、カリスは泣き出しそうなほど輝く獣の目をぐっと瞑ると、私の見ている前で、覚悟を決めたように腹這いになり、グリフォスに向かってひれ伏した。

 全ての尊厳が打ち砕かれた瞬間だった。

 ひれ伏したまま悔しそうに身体を震わすカリスを見下ろしながら、グリフォスは一層笑みを深める。

 黄金の頭に再び綺麗な手が置かれた。

 その手の感触を受けながら、カリスは静かに身体の力を抜く。

 我々の勝ちだ。

 屈服する狼の姿を見つめながら、私は密かに確信していた。

 残るはあと一体。リヴァイアサンを残すのみ。


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